陣が峯城(じんがみねじょう)

陣が峯城の基本情報

通称・別名

陣ヶ峰城

所在地

福島県河沼郡会津坂下町宇内字五目

旧国名

岩代国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

城重則?

築城年

平安時代

主な改修者

主な城主

城氏

廃城年

遺構

土塁、横堀(空堀)、掘立柱建物跡、鍛冶炉跡、土坑、溝跡

指定文化財

国史跡(陣が峯城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

新宮城(福島県喜多方市)[3.7km]
北田城(福島県河沼郡)[5.8km]
青山城(福島県喜多方市)[11.1km]
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陣が峯城の解説文



陣が峯城(じんがみねじょう)は福島県河沼郡会津坂下町にあった平安時代末期の城館(日本の城)。遺跡は陣が峯城跡(じんがみねじょうあと)として国の史跡に指定されている。

遺跡は近世以降も再利用されず、撹乱をまぬがれ中央平坦部は畑となっているが、一部敷地は公民館が建てられている。

歴史 

陣が峯城のある一帯は平安時代末期は摂関家領の会津蜷河荘であったことが確認されており、永久2年(1114年)に藤原忠実が伝領している。そのような経緯より、城の築城者は蜷河荘の管理に携わっていた人物であると思われる。このようなことから、忠実の孫にあたる九条兼実の日記『玉葉』に登場する「藍津之城(あいづのしろ)」は陣が峯城である可能性がある。なお、伝承では越後の城助職(長茂)によって建てられたといわれている(城氏は慧日寺衆徒頭・乗丹坊とも強い結びつきがあるなどこの時期の会津に大きな勢力を保持していたと思われる)。しかし『恵隆寺縁起』によれば陣が峯城は城助職(長茂)と乗丹坊によって攻められたという。

史跡指定 

遺跡が所在する会津坂下町教育委員会では、その重要性に鑑み2002年度(平成14年度)から3年間にわたり内容確認のための発掘調査を行った。その成果から、12世紀の城館遺構が残る遺跡としては全国でも珍しく貴重であるとして、2007年(平成19年)7月26日、陣が峯城跡(じんがみねじょうあと)として国の史跡に指定された。

遺構と遺物 

遺構
城は段丘の地形に沿って築かれ、東西110メートル、南北170メートルの平場に加え、西方にも平場が付属しており、総面積は4ヘクタールにも及ぶ。堀は二重堀(幅は合わせて60メートル、深さ15メートル)であることが確認されており、城の西側にその遺構が残っている。また、発掘調査によって、中心部分より4棟の掘立柱建物跡、1基の鍛冶炉跡のほか、多数の土坑や溝跡が検出された。
遺物
同時にそれらの遺構より白磁などの多くの貿易陶磁器や青銅製品、鉄製品が出土したが、それらのほとんどは被熱しており、また、多量の炭化物とともに鉄鏃がランダムに出土したことから、城は戦いによって焼失したと推定される。発掘された遺物は、2010年(平成22年)5月21日に、一括して陣が峯城跡出土品として福島県指定重要文化財に指定された。

城の周辺 

城跡の西には高寺伝承で有名な高寺山の丘陵が連なり、その麓には鎌倉時代造立の千手観音像(国重文)を本尊とする恵隆寺、平安時代初期造立といわれている薬師如来像(国重文)を本尊とする上宇内薬師堂(会津五薬師の一つ)がある。城跡の東側は会津盆地の田園風景が広がり、およそ約2キロメートルの地に亀ヶ森・鎮守森古墳がある。また、城の周辺には前記2古墳のほかにも多数の古墳が確認されており、前記の寺院や陣ヶ峰城の存在を照らし合わせると、中世初期に佐原義連一族が入部するまでは陣ヶ峰城一帯が古代会津の中心であった可能性も考えられる。

陣が峯城の口コミ情報

2021年04月07日 藤陸奥守重真
陣が峯城

二重堀が良く残っています。駐車場は完備です。

2020年06月26日 テク陸前守テク
陣が峯城



案内盤の奥の公民館に駐車スペースがあります。案内盤の解像度の高い写真を貼ります。

2015年11月14日 カーネル
陣が峯城

只見線、会津坂下駅から、陣ヶ峯-新宮熊野神社-新宮城-北田城-笈川駅まで歩きました。

昨夜の天気予報で、『雨。傘が意味をなさないほどの強風も』の予報が当たり、常に風上側の半身がビシャビシャという状態でした。道路は高低差もなく、歩道も広いので快適ですが、風を遮るのでものがないので、風がとにかく凄い。傘を支える腕が筋肉痛になりそうです。

陣ヶ峯城は、堀がよかったです。2重の堀が圧巻でした。トータルで5時間半かかりました。雨風が無ければもっと早かったかも知れません。

こんだけ歩いて、新宮熊野神社以外で歩いている人は一人も見かけませんでした・・・歩き計画されてる方の時間目安になれば幸いです。

2011年04月02日 さくら主膳佑にゃ〜
陣が峯城

会津進出を図る越後平氏城重則によって築かれた会津八館の一で、永延二年(988)頃に構築されたといいます。家臣沖野太郎が居住したされますが、正暦二年(991)重則が当時会津盆地に勢力を振るった慧日寺(磐梯町)の寺代官斎藤宗顕と争い敗北、自刃し、八館の家臣はことごとく殉死したといいます。

現在川西公民館敷地となり、二重の空堀が明瞭に残っています。特に北側のスケールの大きさは必見。発掘調査の成果により、現在は上記の伝承よりかなり力のある豪族の居館であった推定されてます。

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