会津若松城(あいづわかまつじょう)

会津若松城の基本情報

通称・別名

若松城、鶴ヶ城、黒川城

所在地

福島県会津若松市追手町

旧国名

岩代国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]

築城主

蘆名直盛

築城年

至徳元年(1384)

主な改修者

蒲生氏郷、加藤明成

主な城主

蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))

再建造物

天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板

周辺の城

神指城(福島県会津若松市)[4.3km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[5.6km]
北田城(福島県河沼郡)[11.5km]
陣が峯城(福島県河沼郡)[15.9km]
新宮城(福島県喜多方市)[17.2km]
猪苗代城(福島県耶麻郡)[17.5km]
青山城(福島県喜多方市)[23.1km]
桧原城(福島県耶麻郡)[29.4km]
母成峠防塁(福島県郡山市)[30.2km]
高玉城(福島県郡山市)[30.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

12 会津若松城

設置場所

天守閣内売店カウンター[地図

会津若松城の解説文



若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれるが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では黒川城、または会津城とされることもある。城は復元された建造物であるため、国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。

概要 

若松城は梯郭式の平山城で、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていた。城下町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心であった。藩主の会津松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり幕末には戊辰戦争の激戦地となった。現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている[1]。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。

歴史・沿革 

中世から近世

中世の館、城郭

1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。諸説あるが、おそくとも15世紀半ばまでには黒川城(くろかわじょう)、(または小高木城)とその城下が成立していた。以後、代々蘆名氏の城であった。戦国時代中後期には、蘆名氏中興の祖・盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築いた。

1589年(天正17年)、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。

近世の城郭

代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年(文禄元年)より大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。

1593年(文禄2年)、望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している[2]

1598年(慶長3年)、氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。1600年(慶長5年)、徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。

翌1601年(慶長6年)には蒲生秀行が再び入城したが、1627年(寛永4年)、嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。代わって伊予松山より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。

1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。

1868年(慶応4年)、戊辰戦争の戦闘の一つである会津戦争(会津城籠城戦)にて、会津勢の立て篭もる鶴ヶ城は新政府軍に包囲され砲撃を受けた。1か月間籠城の後、板垣退助による降伏勧告を受諾して9月22日(太陽暦11月6日)開城した。

戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しかったが修復は行われず、しばらく放置された後、解体された(下記参照)。

近現代

開城と建物の処遇

1868年11月6日(明治元年9月22日)に開城すると新政府軍に引き渡され、兵部省の所管となり、仙台鎮台が管理した。翌年には会津藩に代わって若松県が発足し県庁を城内の建物に置いたため、若松県が城の管理を委任された。

1872年(明治5年)5月に、パリ外国宣教会のマロン神父(Jean-Marie Marin)とスイス人で横浜居留地で生糸輸出商を営み、デンマーク領事も兼ねていたエドゥアール・ド・バヴィエ(Eduard de Bavier)らが、養蚕視察のため函館から横浜まで旅行をし、若松城に立ち寄った。その時、バヴィエらに雇われ、旅行に同行した日本人写真師の小山弥三郎が撮影したのが、今に残る取り壊し前の若松城の古写真とされてきた。その後の会津若松市の調査でイタリアにより鮮明な写真があり、その画像から城の東面を写したことがわかり、小山の写真とは向きが異なると判明した。さらに3点目の南東面をとった写真を国内で発見、撮影の向きは小山と共通するものの、3点目は天守の傷みが少なく撮影時期が小山より古いと推定され、2018年時点で撮影者などの詳細は不明である[3]。この旅行記はフランス語で『函館から横浜までの旅』という題名で1874年(明治7年)にリヨンで教会の雑誌に掲載され、H・チースリク(、1914年-1998年)による日本語の部分訳は1968年(昭和43年)に『宣教師の見た明治の頃(函館より江戸へ)』として上梓されている[4]

1873年(明治6年)1月、明治政府による全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)により存城処分と決定(すなわち陸軍省の財産に決定)された。同年12月には若松県権令沢簡徳から『旧若松城廃毀之儀ニ付建言』。}}により、政府に城郭建造物の取壊しが建言された。1874年(明治7年)1月には陸軍省から仙台鎮台へ「旧若松城は営所建築の場所であるので、石垣や立樹等を除き旧来の建物で必要無いものは取壊し払下げすべく取り計らう事」旨の通達[5]がされ、同年末までに天守をはじめとする建造物はすべて解体された。

本丸にあった櫓の一つである「御三階」は上記建言以前の1870年(明治3年)、阿弥陀寺(会津若松市七日町)に移築され、現存する。また本丸大書院から御三階と共に同寺に移された唐破風の表玄関は、御三階の玄関に転用されている。

城郭地の払下と史跡指定

1890年(明治23年)明治政府による藩主または官庁が払い下げを申請した散在地は、公売にしないという方針により、城地約29haの払い下げが決定。旧会津藩士遠藤敬止は、城跡を一括して保存するため私財2,500円で譲り受け、旧藩主松平家に寄付した。

1908年(明治41年)に三ノ丸の東側と城外にわたり陸軍の連隊練兵場が設置され、三ノ丸の一部とその濠や土塁約6haが撤去されたが、本丸、二ノ丸、三ノ丸の一部、北出丸、西出丸及び付属する濠は残され、現在の史跡指定部分約23haは保存された。

1917年(大正6年)に若松市は会津藩士(白虎隊士)であった東京帝国大学の山川健次郎総長に仲介を頼み、同学農科大学教授の本多静六から「若松公園設計方針」が示される[6]と、城跡の近代公園化計画に着手した。地権については、城跡の所有者であった旧藩主の松平家と交わした土地譲渡契約を10年賦により、1927年(昭和2年)までに償還、若松市の所有となった。公園近代化の方針に基づき二ノ丸や西出丸の一部の石垣等が撤去されたことを受け、福島県は旧史蹟名勝天然紀念物保存法の規定にしたがい城跡の緊急保存を国に申請する。1930年(昭和5年)の仮指定を経て1934年(昭和9年)12月28日、文部省告示第312号によって国の史跡に本指定された[7]

この「若松公園設計方針」では、後に史跡区域内に組み込まれた旧追手前から北出丸までの追手前西濠上への架橋や、水位の異なる南町通濠と旧五軒丁濠との間の土橋を撤去し、ボートレース場とする計画も示されたが実行されなかった。

天守再建と保存整備計画

第二次世界大戦後、戦後の財政非常事態解決策の一環として、本丸内で競輪場が設置されていたこともあるが1957年(昭和32年)には城外に移転された。本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧された。現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」[8]として公開されている。

1990年(平成2年)に茶室「麟閣」(福島県指定重要文化財)が本丸の元の場所に移築復元され[9]、1993年(平成5年)に外濠跡等の外郭遺構の一部が国の史跡に追加指定された。1997年(平成9年)に史跡内の駐車場や運動施設等を史跡外へ移転する内容等を含む長期的、総合的な「史跡若松城跡総合整備計画」[10]が策定された。2001年(平成13年)に本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋が木造で復元された[11]

2010年(平成22年)から、黒瓦だった天守の屋根瓦を明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元する工事が行われ2011年(平成23年)3月に竣工した(3月の初めには覆いが外され、11日の東日本大震災後の27日にリニューアルオープン)。また、本丸の御三階櫓も併せて復元される予定である。

天守閣と鯱 

現在の復元天守棟上には鯱があげられているが、明治初年の古写真には鯱が確認できていない。これを理由に、2010年(平成22年)からの改修工事にあわせて、取り外すべきだという意見があった。一方、江戸時代の絵図には鯱が描かれているものもあり、正確なところはわからないというのが実情である。

この鯱は、復元工事を担当したハザマの当時の会長より寄贈されたもので、全身の鱗は銀箔、牙は金製、瞳の中心に2カラットのダイヤモンドが埋め込まれている。同社は名古屋城天守の復元工事も受け持っており、名古屋城の金鯱と対になるように、銀鯱とした。金閣寺、銀閣寺に倣ったものである。

また、名古屋城復元では、金鯱の瞳にもダイヤモンドを埋め込もうとしたが、市民の猛反発を受けて断念した。会津若松城のものは完全に寄贈品であるので、反対は起きなかった。

縄張 

image:Aizu Wakamatsu Castle air.jpg|250px|thumb|1976年(昭和51年)度国土航空写真より 城域が位置する台地の西端に主郭。内濠を隔てて東側に二ノ丸、三ノ丸と続き、台地下の北側に北出丸、西側に西出丸がある。三ノ丸以外の各門は枡形石垣門になっていた。主郭は、天守とそこから南と東に伸びる走長屋(多聞櫓)により区分けされており、南東側の御殿等を配置した区域が本丸、その北から西側をL字に取り囲む区域が帯郭となっている。主郭の虎口は全て帯郭に接続しており、天守の下にある鉄門を経て本丸に至る。現在の縄張は、主郭の東、北、西の三方の虎口(桝形)の外側を馬出で防御し、その馬出の虎口も桝形とする防御プランであり、郭の構成はシンプルだが相当に厳重な縄張りとなっている。

元々は東西に伸びる舌状台地を堀切で区切った連郭式の縄張であり、三の丸側が大手であった。後に城下の街道の整備により大手を北側に変更し、防御のために北と西にあった馬出を出丸として拡張し現在の縄張となった。現在残る城下町も、主として城の北側に広がっている。

北、西の出丸は、主郭が位置する台地の下にあり、出丸を突破しようとする敵を高低差を利用して攻撃可能となっている。主郭の櫓は出丸の虎口を制圧可能な位置に配置されているなど、重層火力が発揮できるように考慮されており、特に大手である北出丸虎口は、出丸、主郭帯郭、櫓、隣接する出丸からの射撃が集中し、その防御の堅さから「鏖丸(みなごろしまる)」と称されたと伝わっている。東側の二ノ丸も馬出状の郭であるが、高低差を利用できないため堀切を水濠まで掘下げて約20mの高石垣とし、橋は城内唯一の木橋(廊下橋)とすることで防御している。出丸を持たない本丸南側は、濠と湯川により三重に防御されていた。

  • 本丸 天守、櫓(干飯櫓、月見櫓、茶壷櫓)、門(鉄門、裏門)
  • 帯郭 櫓(東櫓、北櫓、弓櫓、西櫓)、門(太鼓門、廊下橋門、西中門)、橋(東の二ノ丸側に廊下橋、北の北出丸と西の西出丸の間に土橋)
  • 二ノ丸 門(東門、南門)
  • 三ノ丸 門(埋門、南門、無常口)
  • 北出丸 櫓(西北櫓、東北櫓)、門(追手門、棟門)
  • 西出丸 櫓(西北櫓、西南櫓)、門(西追手門、内讃岐門)
  • 内濠 追手前西濠、元鐘撞堂下三角濠、南町通濠、旧五軒丁濠、瓢箪濠、三岐濠

現地情報 

交通アクセス

  • JR会津若松駅より路線バス市内4コース、芦の牧、年貢町経由高田・永井野行きなどに乗車し「鶴ヶ城西口」下車。
またはまちなか周遊バス「ハイカラさん」または「あかべぇ」に乗車し「鶴ヶ城入口」または「鶴ヶ城三の丸口」下車。徒歩5分。
  • 高速バス(仙台・福島・郡山・いわき・新潟・野沢の各線)の起終点「鶴ヶ城・合同庁舎前」で下車。徒歩約10分。
  • 団体で観光バスでの観光の場合、鶴ヶ城会館にバスを駐車する。

その他

  • 会津若松市観光公社(http://www.tsurugajo.com/index.html) - 個人でも団体でもボランティアガイド(無料)の申込ができる。鶴ヶ城の外周の説明が受けられる。
  • 1990年(平成2年)、「鶴ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定された。
  • 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(12番)に選定された。

会津若松城の口コミ情報

2022年04月14日 RED副将軍
会津若松城



茶色と緑色の写真が多めなので、偶には100名城天守を投稿。会津のシンボル。蘆名氏から戊辰戦争まで会津統治の中心地でした。

1384年に7代蘆名直盛によって築城。ちなみに大河ドラマ好きならご存知かと思いますが、蘆名氏は源頼朝の家臣である三浦義明、三浦義澄の一族が発祥です。1189年に藤原泰衡の討伐に対する恩賞として会津を所領としたのが始まり。代々蘆名氏の居城でしたが、1589年に長年争っていた伊達政宗は20代蘆名義広を滅ぼし所領としました。

しかし、1590年に伊達政宗は豊臣秀吉に従い、秀吉により会津は蒲生氏郷の所領となり入城します。この時に大改修が為されて鶴ヶ城に改められました。1598年に蒲生氏郷が没すると、代わって上杉景勝が入封。

しかし、1600年の関ヶ原の戦いにおいて西軍に付いたため米沢に転封となり、代わりに氏郷の子である蒲生秀行が入封。1627年、蒲生秀行の嫡男が嗣子が無く没したため、加藤嘉明が入封。その後、徳川家光の庶弟である保科正之が入封し、明治維新まで会津松平氏の居城となりました。

1868年、戊辰戦争の一つである会津戦争において、激しい籠城戦の舞台となります。1ヵ月におよぶ籠城戦は、新政府軍に包囲され砲撃を受けて大きく破損。最終的に開城し、敗れた会津藩松平氏は所領を没収、藩主松平容保は謹慎処分となりました。破損した城郭は長らく放置され、最終的に取り壊しとなり、現在の天守は1965年に建てられた復興天守です。

見所
直近5年間で6回の訪城と意外に何度も来ている鶴ヶ城。
望楼型七重天守は国内唯一の赤瓦。夜間もカクテル光線による四季折々のライトアップが楽しめます。
個人的には会津地震を耐えた石垣群と、壮大な水濠が一番の見所です。

2022年04月14日 【城郭道】尾張守たっきー
甲賀町口門[会津若松城  遺構・復元物]

戊辰戦争の際、板垣退助率いる新政府軍が一番最初に総構を突破した場所。

2022年03月22日 源五郎
会津若松城



祝日でしたが、お昼時間に訪問したためか、人の混み具合はまずまずでした。狭い空間が多いですので、密状態を避けるために施設に確認してから行ってみると良いかもしれません。

2021年11月08日 松山幸兵衛
会津若松城



紅葉もライトアップもとても綺麗でした♪銀杏はベストタイミング、紅葉は真っ赤まではもう少し、というところでした。

2021年10月20日 国府左京亮城介
会津町方伝承館[会津若松城  関連施設]

会津若松城周辺のレンタサイクル情報

【場所】
会津町方伝承館(大町ステーション)
(会津若松駅から徒歩8分)

【貸出時間】
9:00~16:00
冬季(12月~3月)は休止

【時間及び料金】
500円/1日

【種類】
シティサイクル(電動付き)

【Web情報】
会津若松観光ナビ
会津若松観光ビュロー

【利用日】
令和2年9月18日、19日

【アクセスできた城】
・アプリ登録
 会津若松城、向羽黒山城、神指城
・口コミ登録
 小田山城

【参考事項】
・Web予約可能
・市内4ヶ所のステーションに乗り捨て可能(鶴ヶ城、飯盛山、御薬園、大町)
・会津若松駅構内にもレンタサイクルあり

2021年08月22日 うっちー西市正幸村
会津若松城

この城は合坂(石垣の上に登るための階段の種類。)が見られます。そこにはハート型の石があります。しかしこれは桃を表したもので、❤ではないです。古くから霊果とされてきたからですね。

2021年08月22日 うっちー西市正幸村
会津若松城



戊辰戦争の時の天守の古写真を持参し現在の天守と比べると萌える。写真は母撮影
天守台裏面石垣には矢穴が見られ、打込接と野面積のコントラストが良かった。天守を見るなら裏面石垣!
みなごろし丸と呼ばれた北出丸は角馬出状になっていて、石垣が良好に残っているので最高!

2021年05月03日 拓之助右馬頭【若者組】
会津若松城

会津若松城名物武者走りの場所に❤の石があります!
左側の階段にあり、カメラを斜めにすると❤の形になります!
カップルだと恋愛運がたかまるとか?!


2021年03月28日 伊勢常陸介新九郎宗瑞
会津若松城



天守閣は博物館になっており、戦国時代から戊辰戦争(会津戦争)に関連する資料が展示されています。どちらかというと戊辰戦争の展示が多く詳しくあります。また、茶室「麟閣」はそこだけ時間がゆっくりと感じられます。
個人的に写真スポットとしては廊下橋越しに見た天守がおすすめです。高い石垣や横矢も見ごたえがあります。

2021年03月21日 まーし
会津若松城

曲輪や石垣を見るだけで凄い防御力を感じる。
丁度昨日から御城印の台紙が春仕様のピンクになったそうです(^_^)

2020年11月23日 天河水宮内卿
会津若松城

向羽黒山城から時間短縮のためタクシーで移動。会津若松より会津鶴ヶ城のほうが通りが良いようです。茶室麟閣でお茶をいただく予定であれば天守閣入城セット券の購入が100円お得です。

2020年10月18日 ほよよ常陸介
会津若松城

百名城スタンプは御城印が買えるカウンターでも押せました。御城印を買った時に、その受付の人に、「百名城スタンプはどこで押せますか?」と聞いたら、百名城スタンプを出して貰って押せました。

2020年09月13日 真田岩代守ゆあ
会津若松城



伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝など名だたる武将が治めた鶴ヶ城。
御城印も素敵ですよ。
駐車場は 何ヶ所かありますが
西出丸の駐車場は24時間解放されてますのでオススメです。


2020年09月06日 阿炎錦左近衛少将
会津若松城



会津若松駅から歩き、途中偶然蒲生氏郷のお墓を見つけて立ち寄りました。駅から城までは50分ほど。時間が8時だったためまだ天守には入れませんでした。
城郭は整備され、郷土にとても愛されている城だと感じます。
帰路は西若松駅から戻りましたが、こちらは徒歩20分程です。

2020年03月02日 ひよこ内蔵頭ちゃん
会津若松城



2020/03/02
今日もお城へやって参りました。

鶴ヶ城周辺は梅の花が今にも咲きそうになっています。いつもの年じゃ考えられないと地元の人が言っていました。

桜も3月終わり頃咲いてしまうかも…と。

風は冷たいけど、雪も凍結箇所もなく、
お城散策はし易いお天気ですが
今シーズンは雪の中の鶴ヶ城が見られなかったのが個人的には残念でした。

コロナウイルス対策で城内のボランティアガイドさんは活動停止とのこと。
地元の人の訛りを聞きながらのお城散策が魅力の一つだったので残念でした。
コロナパニック。早く治って欲しいものです。

2020年02月28日 ひよこ内蔵頭ちゃん
会津若松城



2020/02/28 午前中に登城。

雪がチラチラしていましたが、城址公園内は路面はドライ。

石垣の上は一部ぬかるんでいる場所もありましたが、凍結とかもなく例年よりもずーっと見学しやすいです。

地元の人の話では、4月に入ったら桜が咲いちゃうんじゃないかなぁ…とのことでした。

4日後また来るので、次は桜の様子も見てみます。

2020年02月24日 ひよこ内蔵頭ちゃん
会津若松城



今年の会津は雪がとても少ないです。
例年よりも見学はしやすいけど「鶴ヶ城」というビジュアルを感じることができないのがちょっとだけ残念です。

天守上の銀のシャチホコ。
下から見ても金歯がキラッと輝いていました。

2020年02月22日 独眼竜弾正少弼
会津若松城



以前訪れたときとは様変わりしていて、展示物も自分の記憶にないものが観れて満足です。
城とは関係ないけど、今回は御薬園にも立ち寄りましたが、良い感じの庭園でした。

2020年02月12日 樋ノ口映劇
会津若松城

城内に咲き誇る桜はすばらしい☺️

2019年08月27日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
会津若松城

【土津(はにつ)神社】
土津(はにつ)神社は、会津松平家初代当主の保科正之公(徳川家光公の異母弟)が、「磐梯神社の摂社の一つとして祀って欲しい。」と遺言を残したのが、始まりだそうです。保科正之公の御廟所に行くには拝殿東側に御廟所に行く参道があるので、参道を登って行くと御廟所に着きますが、参道脇に"熊出没注意!!"の看板が何ヶ所か設置してありました。ちょうど、おばちゃん軍団が熊除けの鈴代わりをしてくれてましたけどね。(^_^;)

2019年08月26日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
天寧寺町土塁[会津若松城  遺構・復元物]



蒲生氏郷さんが鶴ヶ城を改築した際に城の防御力を上げる為に造られたそうです。場所は、県道63号線沿いでシューズプラザと中華料理屋さんの間にあり、向かいにコジマがあります。

2019年08月25日 下沼下総守雄信
八重の像(新島八重)[会津若松城  碑・説明板]

ご存知平成25年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本(新島)八重の像。実際の八重さんはもっとずんぐり体型?

2019年08月25日 下沼下総守雄信
佐川官兵衛顕彰碑[会津若松城  碑・説明板]

戊辰戦争では西軍を恐れさせ、西南戦争では警視隊副指揮長として活躍し、熊本阿蘇で散った佐川官兵衛を顕彰する碑。彼の墓所は喜多方市街郊外の長福寺にある。大河ドラマ「八重の桜」では中村獅童が演じていました。

2019年08月24日 下沼下総守雄信
二の丸跡[会津若松城  遺構・復元物]

二の丸跡はこの写真の通りテニスコートになっているが、金網向こうの三の丸とを分かつ土塁が見事!

2019年08月24日 下沼下総守雄信
茶壺櫓跡[会津若松城  遺構・復元物]

すぐ隣にある茶室での茶会で使う茶器を保管していたことがこの名の由来

2019年08月13日 りょう権中納言
御城印販売所[会津若松城  御城印]

スタンプは、城見学🏯を終え、土産物売り場の先にある出口にありました。
並ぶと一気に渋滞するので、間合いを見計らってください。土産物物色の合間に押印がいあと思います。

2019年06月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
会津若松城



城内の観光客の多さにはびっくりしますが、あまり陽の目を見ることのない本丸南側石垣には誰も来ません。縄張図を見ると直線で描かれることが多いこの石垣ですが、しっかりいくつも横矢が掛けられていて流石の出来栄え。西の彦根、東は会津若松、ともに幕府の重要性が伺えますね。

2019年06月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
会津若松城



今日行ったお城、会津若松城なり。無理矢理寄り道して八重ちゃんゲットしました。そういえば1年ぶりでしょか、天守閣は下から見上げると綺麗な三角の集合体。つまんでみるとちくちくして痛そうな感じですね。

2019年06月14日 あおっちS左馬助
会津若松城



今年も来ました鶴ヶ城!
今年は、昨年夏暑すぎて回れなかった、高石垣や堀をグルッと回ってみました。堀、石垣、見事です。武者走りは上がれなくなっています。いつ見ても優美なお姿の鶴ヶ城でした(^^)

2019年05月17日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
会津若松城

【バイク用駐輪場】
鶴ヶ城会館1日100円時間制限無し
駐車場入口手前のフェンスの間から入って係員のおじさんに100円払って、黒い看板の前に駐めさせてくれます。
出る時は、精算機の所にバイク1台分の隙間があるので、そこから出れます。
西出丸駐車場にもバイクは駐めれますが、鶴ヶ城会館、大きいお土産屋さんなので、家族や職場へのお土産を買うのに便利ですよ。ラーメン屋さんも入っていますが、スープが無くなり次第閉まってしまうので、注意して下さい。


2019年05月14日 でんど備中守あたる♪
会津若松城



武者走り★大手門の渡り櫓へ簡単に昇り降りが出来るようにV字型に造られている★刀や槍がぶつからないように、左から登り右から降りるという決まりごとがあったらしい♪

2019年05月07日 會津式部大輔
石塚館[会津若松城  周辺城郭]



石塚氏の居城。
遺構は消滅。

2019年05月07日 會津式部大輔
対馬館[会津若松城  周辺城郭]



松本対馬の居城。
遺構は消滅。

2019年05月07日 會津式部大輔
允殿館[会津若松城  周辺城郭]



松本右馬允の居城。
堀跡と土塁跡。


2019年05月02日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
戦国武将の墓所[会津若松城  寺社・史跡]



蒲生氏郷さんが眠る興徳寺の本堂と参道入口にある石碑
皇后雅子陛下のご先祖様のお墓もあるそうです。

2019年05月02日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
甲賀町口門[会津若松城  遺構・復元物]



鶴ヶ城の城郭に入る城門の一つ。
周りは、呑み屋街です。夜の"探索"は、他のめぐら〜さんに任せます。(笑)

2019年05月02日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
会津藩重臣屋敷跡[会津若松城  碑・説明板]



会津藩大老(筆頭家老?)田中玄宰(はるなか)さんの屋敷跡
藩校日新館の創設者なのか跡地は中学校になってます。

2019年04月30日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
注意事項[会津若松城  碑・説明板]

津川喜代美くんの生誕地の石碑と解説板は若松商業高校の敷地内にあります。フェンス越しに見えるので、くれぐれも学校の許可なく入らないように注意して下さい。

2019年04月29日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
御城印販売所[会津若松城  御城印]

観光案内所で御城印1枚300円で販売しています。
しかも、中の休憩施設があり、会津の地酒3銘柄呑み比べセットが注文できるみたいです。


2019年04月29日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
白虎隊隊士の屋敷跡[会津若松城  碑・説明板]



白虎隊二番隊篠田儀三郎くんが生まれ育った屋敷跡の石碑と解説板

2019年04月29日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
白虎隊隊士の屋敷跡[会津若松城  碑・説明板]



白虎隊二番隊津川喜代美くんが生まれ育った屋敷跡の解説板

2019年04月29日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
山本覚馬・新島八重兄妹の生誕地[会津若松城  碑・説明板]



山本覚馬・新島八重兄妹が生まれ育った屋敷跡の解説板
近くのアパートの駐車場になってます。

2018年11月24日 藤右京大夫重真
会津若松城

現在、鶴ケ城では戊辰戦争ゆかりの地スタンプラリーを開催中です。新元号元年8月31日まで。

2018年10月17日 シン・白河駅大膳大夫城弾正
会津若松城

会津若松城天守台石垣の南側、走長屋と接して石垣の小区画があり、打込みハギの布積みで天守台より新しい。武者溜ともいわれるこの区画に降りる階段などは無く、本丸の帯曲輪に面した石段と共に以前から謎とされてきた。
これと似た石垣が姫路城にもあり、いの門を潜った右手、備前丸西面に小さな石垣区画がある。これは補強石垣で、老朽化した石垣を孕みから守る為に積まれた。同様の石垣が盛岡城二の丸東面石垣に二箇所存在する。変わった例では鳥取城の巻石垣として有名である。
私見ではあるが、会津若松城のこの石垣区画もこれらと同様の補強石垣と推察できるが検討も必要。

2018年10月11日 織田上総介晃司
会津若松城

城内に西出丸駐車場があります。

赤瓦に変わってすぐに東日本大震災が発生。
会津若松城も被害は受けましたが、復興に向けて進んでます。

会津若松市七日町の阿弥陀寺に移築された御三階があります。
会津若松城の唯一の遺構です。

北隣の喜多方市に足をのばして喜多方ラーメンを食べに行ってみてください。
美味しいです。

2018年05月04日 勘解由長官ちぃスケ
会津若松城

会津のご当地グルメではずせないのがソースカツ丼です。自分の食べたところは「なかじま」さんです。自信を持ってオススメします。会津若松市上町2-38 0242-24-5151です。

2017年08月23日 りょうた
会津若松城

駅近くに宿をとって、お城迄約3k歩いて行きました。時間は夕暮れ時で雨も降りました。 途中城下町らしい複雑な街路も見処です。所々にうっかり見落としそうな石碑や説明看板があり、当時を想像してました。興味のあった北の馬出しは思ったより本丸から離れてました。幕末の武器なら皆殺しでしょうが戦国の武器ならどうかな?

天守閣南西に後付けされたような石垣がありました。崩落予防の押さえ盛土?何のためでしょう

2017年05月11日 家督譲りました
会津若松城

会津若松城から車で少しいくと天寧寺というところに、近藤勇のお墓があります。もちろん飯盛山も素晴らしいですが、お寺よりも少し登ったところにお墓があります。戒名を見て泣いてしまいそうになるほど、素晴らしいお墓でした。古い日本を守り抜こうとした方のお墓、感慨深いものがあります。また、会津若松城にて、戊辰戦争の責任者となり、切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もあります。こちらもぜひ、一緒にお墓参りなさってください。御朱印を集められている方はこちらでいただくことができます。また、こちらではお線香も購入できますので、局長のお墓に手向けることができます

2016年10月07日 【隠者】史学会帰新参
会津若松城

 幕末の会津籠城戦では会津方は小田山からの大砲の砲撃を一方的に受けるだけの戦いの印象がありますが、実際には佐川官兵衛率いる会津兵千名が城から討って出て、攻め手と長明寺で戦います。結果は数と火力で勝る新政府側が勝ちました。
 この時に指揮官佐川官兵衛は会津の物頭の出身で、京都守護職として松平容保と一緒に京都に行き活躍します。鳥羽伏見の戦いでは勇猛な戦いぶりを見せて鬼官兵衛といわれます。幕末の京都江戸で弟二人を斬り死で失います。会津戦争では当初は新潟で河井継之助と共に戦い、帰城後は家老に昇進して長明寺に戦いの指揮をとります。この戦いでは隠居した父直道も出撃して戦死します。
 戦後は川路利良警視総監に請われて、会津藩士300名と共に警視庁に入り、大警部となります。西南戦争には官軍として警察隊を指揮して出征します。阿蘇で薩摩と戦い敵将と一騎打ちして追い詰めるも横から狙撃させて壮絶な戦死を遂げます。戦死直前に生まれた子の直諒は陸軍軍人となり、日露戦争に大尉で出征して遼陽の戦いで戦死します。
 戊申、西南、日露の三戦役で三代5名を失った佐川家は会津を代表する武門の家です。

2016年08月24日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
会津若松城

駐車場はあります。
バスでも行けます。

昔は石垣しかなかったと親がもうしておりました。そこてまよく遊んだようです。

幼少の頃親の里帰り同行した際は天守閣ありましたが、他は砂利で茶室も緑も今のようにありませんでした。
本丸内も暗くたいした展示なく階段上りにくかったかと。

しかし、今は全然違いますね。
瓦も青から茶色へ。
展示もよく本丸内綺麗で、緑が多く茶室もある。
行く時期のお奨めは積雪時か桜満開の時期ですね。

昔は夏休でもそんなに沢山の観光客いなかった気がしますが今は違いますね。
お土産屋さんは昔から充実してますから縄張りの外のお土産屋さん迄行くといいです。

会津若松のお奨めは、こづゆ、馬刺、ぼうたら、田楽ですかね。

お城と浄土平、サザエ堂が行くべき場所です。
大内宿、猪苗代湖、磐梯山、飯森山諸々ありますが。

2016年01月01日 金沢流北条掃部助しんのすけ
会津若松城

会津若松城を語るのにやはり白虎隊は欠かせないと思うので飯森山の情報を‼

飯森山入り口に「会津幸泉小法師」と言うお土産屋さんと食事処をやってるお店があります。
ここの駐車場に車を止めた時に
ここの方に飯森山の回りやすい地図を貰いました‼
その後はここで食事を…
自分が食べたのは喜多方ラーメンとミニソースカツ丼の小法師セットを食べました‼
とにかく下手なラーメン屋よりマジでここの喜多方ラーメンはまいう~でした\(^^)/
ちなみに自分が食べたのは1000円でした。
喜多方ラーメンはホントに美味しいのでオススメします❗


2015年08月01日 まさ宮内卿猛虎
会津若松城

口コミを見て、投じたくなりました。
入口に武将衣装で仁王立ちしてる木戸番を、移動させる方法です。
『この面の写真を撮影したいので、入口から離れて貰えませんか?』と、依頼したら、即Ok快諾で写真撮れましたよ。記念に木戸番が入口に立つ写真も撮ったよ。ものは試し《話してみるべき》ですね。 桜の季節で、わんさかの混みようでした。

2015年07月30日 【鮎】征夷大将軍クララ姫
会津若松城

昼間帯に城郭を正面入口方向から、人物を入れ込まずに写真撮影するのは至難の技。なぜなら入口に入場券をもぎる職員さんが仁王立ち(T_T)。移動されるまでカメラを構えた腕がプルプル震えます。

2015年06月13日 まー刑部卿
会津若松城

天守閣内リニューアルされていますがほぼ撮影禁止で職員が目を光らせています。兜など模造品やパネルの展示があるものの撮影禁止とのこと。今月いっぱいまで市内七日町にある阿弥陀寺境内にある旧三階櫓は内部公開されていてそこで発見された晩年の松平容保公の肖像画が展示されています。また現地にいるボランティアガイドの説明は受けても知っていることだらけのことを熱弁ふるって語り出します。また新撰組、斎藤一の墓もありそれを目当てで来られる方が多いと伺っております。

2015年05月07日 【鮎】征夷大将軍クララ姫
会津若松城

お城の庭園に女優『綾瀬はるか』さんお手植えの桜の木がありました。

2014年05月01日 上杉鷹山公
会津若松城

近くに蒲生氏郷公のお墓があります。


2014年02月17日 シン・白河駅大膳大夫城弾正
会津若松城

因みに、天守初層妻側(南北面)切妻出張は、層塔型天守に改築された際、大入母屋の名残として残ったものと思われる。
ところで天守の窓が一部不規則(左右非対称)に配置されるのは何か内部構造に左右されているのだろうか??

2014年02月16日 シン・白河駅大膳大夫城弾正
会津若松城

現地の案内や説明などでも、蒲生時代の天守が七層天守で、天守台いっぱいに建っていたと、まことしやかにいわれているが、実際は五層七重で平面規模はほぼ現状通りと見るべきである。何故なら天守台に余白があり、平均十一間四方の平面は織豊期天守に準じ(豊臣大坂城は十一間×十二間)る点、主君である大坂城より規模が大きくなってしまう点など、恐らく天守初層腰屋根と望楼型だった天守の大入母屋を含め七層と誤伝された、また、五層七重を七重天守と呼んでいたのを七層と取り違えたと思われる(安土日記には『御殿守は七重』と記し、北ノ庄城は九重、いずれも内部階数)。また、現存する蒲生時代の天守台石垣の入口が右寄りにあるのも天守平面規模が現状とほぼ変化がない事を示唆している(見る限り改変の痕跡は見られない)。

2013年11月07日 那賀大蔵丞景業
会津若松城

最近訪れた際、黒鉄門西側に上杉氏時代の霊廟跡が見つかったそうで発掘調査してました。謙信公の亡骸を葬ったと考えられるそうです。まだまだ歴史が眠っていると気付かされました☆

2012年10月09日 
会津若松城

今残る鶴ヶ城は何度もの改修を経ていますが、近代城郭としての縄張りは蒲生氏郷が会津に転封となった際、元武田家臣・曽根内匠が奉行となり、甲州流築城術によって造られたと伝わります。

登城したところ、本丸にて御三階櫓復元の為の調査と工事が進められていました。
現在、御三階はJR七日町駅からすぐ近くの阿弥陀寺に移設されています。
ちなみに鶴ヶ城の名称は蒲生氏郷の幼名“鶴千代”から、会津若松という地名は、氏郷の故郷・江州日野の馬見岡綿向神社にあった“若松の森”から名付けられています。


2012年07月14日 まるさん上総介小町時間割
会津若松城

公共交通機関を利用して会津若松まで来て周辺回るのにレンタサイクル使いたい方へ…


会津若松のレンタサイクルを検索すると会津若松市観光公社のモノばかりヒットしますが…


駅から最寄りの貸出場所である会津町方伝承館までは少々歩かないとなりません。


もし、それほど長く利用しないのであればJRの駅レンタカー(駅の東口を出て左側50mくらい)で
レンタル電動自転車を利用するのがオススメです。


利用料金は…

2時間…500円、4時間…800円(ここは記憶あやふや)、1日…1500円

となっていました!


しかも、荷物を預ける事ができますからコインロッカーを利用するつもりならばロッカーの料金分浮きます!(^o^)v


観光公社のは普通の自転車で1日500円のようですから、
目的と利用時間に応じて使い分けたら便利だと感じました!\(^o^)/


2012年04月28日 てっちゃん掃部頭50
会津若松城

JR七日町駅そばの「阿弥陀寺」内に 鶴ヶ城 唯一の遺構『御三階』が移築現存しています。

2011年10月29日 さくら主膳佑にゃ〜
会津若松城

2011年10月30日(日)10:00〜発掘調査現地説明会が実施されます。北側隣接地の旧会津学鳳高校(旧若松女子高)跡で、若松城の修繕や建築作業の割り振りをしていた会津藩の「割場」の遺構が確認された様です。直接お城とは関係ないですが、出勤前に行ってみようっと。

2011年10月08日 さくら主膳佑にゃ〜
会津若松城

若松城訪問の際、鶴ヶ城公園と合わせてご覧頂きたいのが甲賀町口郭門跡(栄町)と天寧寺町土塁(花春町)です。前者は16あった中で唯一現存する郭門で石垣が残り、後者は蒲生時代に構築された外郭土塁でL字型の見事な土塁が見られます。他に関連史跡だと藩校日新館南門跡礎石(若松商業高校敷地内)とか天文台跡かなー。

2011年03月26日 さくら主膳佑にゃ〜
会津若松城

リニューアル後初めて訪問、肉眼でははっきり判る赤瓦も、写真だと光線の具合(雪混じりの曇天だったので…)もあってなかなか判り難いです

因みに、サイトの趣旨とは異なるでしょうが気にされている方も多いかと思い、本丸石垣の崩落箇所も画像上げました。天守の外壁にも亀裂が入り残念

2011年03月20日 tomm加賀守
会津若松城

今回の地震で、天守閣の壁や塩蔵などにひび割れができたそうです。
夜間ライトアップも中止中とか。

2011年03月19日 傾奇揚げ仙兵衛
会津若松城

せっかくリニューアルしたばかりのこの城に東北関東大震災があって被災者と共に心配です

2011年03月10日 さくら主膳佑にゃ〜
会津若松城

天守の改修作業は終了した様で、足場も解体され、今は赤瓦の天守がご覧頂けるみたいです(終了後未訪問)。
なお天守リニューアルのセレモニー?が3月27日(日)8:30〜に行われる様です(うろ覚え)。しかしまぁエラい人が何か挨拶して先着で何か貰えて登閣料が安くなる程度のイベントだと思いますけどね…。

2010年09月13日 古楽侍従広家
会津若松城

天守地下の石垣が妙に怖かったです。

2010年09月02日 傾奇揚げ仙兵衛
会津若松城

49号沿いの河京って喜多方ラーメンが旨い

会津若松城の周辺スポット情報

 ひよっこの石(遺構・復元物)

 戸ノ口堰・洞穴(遺構・復元物)

 鐘撞堂(遺構・復元物)

 武者走り(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 鉄門(正門)(遺構・復元物)

 馬洗石(遺構・復元物)

 御三階跡(遺構・復元物)

 藩主御居間の庭跡(遺構・復元物)

 茶室麟閣(遺構・復元物)

 三の丸跡(遺構・復元物)

 伏兵郭跡(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 太鼓門(遺構・復元物)

 北出丸大手門(遺構・復元物)

 西大手門(遺構・復元物)

 御三階(遺構・復元物)

 麟閣(遺構・復元物)

 天守閣(遺構・復元物)

 復元・干飯櫓(遺構・復元物)

 藩校日新館(遺構・復元物)

 戊辰戦争の傷跡?(遺構・復元物)

 西中門(遺構・復元物)

 本丸埋門(うずみもん)(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 月見櫓跡(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 茶壺櫓跡(遺構・復元物)

 廊下橋門(遺構・復元物)

 天寧寺町土塁(遺構・復元物)

 甲賀町口門(遺構・復元物)

 藩校日新館跡の石碑&解説板(碑・説明板)

 日新館の解説板(碑・説明板)

 注意事項(碑・説明板)

 上杉氏統治時代の屋敷跡(碑・説明板)

 荒城の月碑(碑・説明板)

 萱野国老殉節碑(碑・説明板)

 西郷頼母邸跡の石碑(碑・説明板)

 家老、内藤介右衛門邸跡の石碑(碑・説明板)

 南口町門堀(碑・説明板)

 山本覚馬・新島八重兄妹の生誕地(碑・説明板)

 白虎隊隊士の屋敷跡(碑・説明板)

 白虎隊隊士の屋敷跡(碑・説明板)

 会津藩重臣屋敷跡(碑・説明板)

 八重の像(新島八重)(碑・説明板)

 佐川官兵衛顕彰碑(碑・説明板)

 「王城の護衛者」司馬遼太郎文学碑(碑・説明板)

 飯盛山城(周辺城郭)

 飯寺館(周辺城郭)

 幕内館(周辺城郭)

 允殿館(周辺城郭)

 対馬館(周辺城郭)

 石塚館(周辺城郭)

 小館(周辺城郭)

 小田山城(周辺城郭)

 会津城主 蒲生氏郷の墓所(寺社・史跡)

 会津城主 蒲生秀行廟(寺社・史跡)

 会津城主 蒲生忠郷の墓(寺社・史跡)

 会津白虎隊士の墓(寺社・史跡)

 さざえ堂(寺社・史跡)

 鶴ヶ城稲荷神社(寺社・史跡)

 旧滝沢本陣(寺社・史跡)

 新政府軍砲陣跡(寺社・史跡)

 会津白虎隊士自刃の地碑(寺社・史跡)

 戦国武将の墓所(寺社・史跡)

 御城印販売所・チケット売り場(御城印)

 御城印販売所(御城印)

 天守閣内売店カウンター(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ・自販機(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 南口駐車場(駐車場)

 東口駐車場(駐車場)

 西出丸駐車場(駐車場)

 白虎隊隊記念館(関連施設)

 武徳殿(関連施設)

 会津町方伝承館(関連施設)

 喫煙所(その他)

 ハートの石(その他)

 土井晩翠銅像(その他)

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