会津若松城

(あいづわかまつじょう)

通称・別名

若松城、鶴ヶ城、黒川城

所在地

福島県会津若松市追手町

城郭構造
梯郭式平山城
天守構造
望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
築城主
蘆名直盛
築城年
至徳元年(1384)
主な改修者
蒲生氏郷、加藤明成
主な城主
蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
廃城年
明治7年(1874)
遺構
石垣、土塁、堀
指定文化財
国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
再建物
天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
周辺の城
神指城(会津若松市) 4.3km
向羽黒山城(大沼郡) 5.6km
北田城(河沼郡) 11.5km
陣が峯城(河沼郡) 15.9km
朝日城(郡山市) 16.2km

会津若松城口コミ情報

☺︎様[2017年05月11日]
会津若松城から車で少しいくと天寧寺というところに、近藤勇のお墓があります。もちろん飯盛山も素晴らしいですが、お寺よりも少し登ったところにお墓があります。戒名を見て泣いてしまいそうになるほど、素晴らしいお墓でした。古い日本を守り抜こうとした方のお墓、感慨深いものがあります。また、会津若松城にて、戊辰戦争の責任者となり、切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もあります。こちらもぜひ、一緒にお墓参りなさってください。御朱印を集められている方はこちらでいただくことができます。また、こちらではお線香も購入できますので、局長のお墓に手向けることができます

和泉守常陸入道ねんさい様[2016年10月07日]
 幕末の会津籠城戦では会津方は小田山からの大砲の砲撃を一方的に受けるだけの戦いの印象がありますが、実際には佐川官兵衛率いる会津兵千名が城から討って出て、攻め手と長明寺で戦います。結果は数と火力で勝る新政府側が勝ちました。
 この時に指揮官佐川官兵衛は会津の物頭の出身で、京都守護職として松平容保と一緒に京都に行き活躍します。鳥羽伏見の戦いでは勇猛な戦いぶりを見せて鬼官兵衛といわれます。幕末の京都江戸で弟二人を斬り死で失います。会津戦争では当初は新潟で河井継之助と共に戦い、帰城後は家老に昇進して長明寺に戦いの指揮をとります。この戦いでは隠居した父直道も出撃して戦死します。
 戦後は川路利良警視総監に請われて、会津藩士300名と共に警視庁に入り、大警部となります。西南戦争には官軍として警察隊を指揮して出征します。阿蘇で薩摩と戦い敵将と一騎打ちして追い詰めるも横から狙撃させて壮絶な戦死を遂げます。戦死直前に生まれた子の直諒は陸軍軍人となり、日露戦争に大尉で出征して遼陽の戦いで戦死します。
 戊申、西南、日露の三戦役で三代5名を失った佐川家は会津を代表する武門の家です。

五瓜に唐花紋中納言や〜きみ様[2016年08月24日]
駐車場はあります。
バスでも行けます。

昔は石垣しかなかったと親がもうしておりました。そこてまよく遊んだようです。

幼少の頃親の里帰り同行した際は天守閣ありましたが、他は砂利で茶室も緑も今のようにありませんでした。
本丸内も暗くたいした展示なく階段上りにくかったかと。

しかし、今は全然違いますね。
瓦も青から茶色へ。
展示もよく本丸内綺麗で、緑が多く茶室もある。
行く時期のお奨めは積雪時か桜満開の時期ですね。

昔は夏休でもそんなに沢山の観光客いなかった気がしますが今は違いますね。
お土産屋さんは昔から充実してますから縄張りの外のお土産屋さん迄行くといいです。

会津若松のお奨めは、こづゆ、馬刺、ぼうたら、田楽ですかね。

お城と浄土平、サザエ堂が行くべき場所です。
大内宿、猪苗代湖、磐梯山、飯森山諸々ありますが。

金沢流北条相模守しんのすけ様[2016年01月01日]
会津若松城を語るのにやはり白虎隊は欠かせないと思うので飯森山の情報を‼

飯森山入り口に「会津幸泉小法師」と言うお土産屋さんと食事処をやってるお店があります。
ここの駐車場に車を止めた時に
ここの方に飯森山の回りやすい地図を貰いました‼
その後はここで食事を…
自分が食べたのは喜多方ラーメンとミニソースカツ丼の小法師セットを食べました‼
とにかく下手なラーメン屋よりマジでここの喜多方ラーメンはまいう~でした\(^^)/
ちなみに自分が食べたのは1000円でした。
喜多方ラーメンはホントに美味しいのでオススメします❗

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年08月01日]
口コミを見て、投じたくなりました。
入口に武将衣装で仁王立ちしてる木戸番を、移動させる方法です。
『この面の写真を撮影したいので、入口から離れて貰えませんか?』と、依頼したら、即Ok快諾で写真撮れましたよ。記念に木戸番が入口に立つ写真も撮ったよ。ものは試し《話してみるべき》ですね。 桜の季節で、わんさかの混みようでした。

【鮎】山城守クララ姫様[2015年07月30日]
昼間帯に城郭を正面入口方向から、人物を入れ込まずに写真撮影するのは至難の技。なぜなら入口に入場券をもぎる職員さんが仁王立ち(T_T)。移動されるまでカメラを構えた腕がプルプル震えます。

【哀戦士】越後守智ぞう様[2015年06月29日]
鶴ヶ城会館の観光案内に置いてあったパンフレットの案内図を見ながら、

城の回りを見て回るも面白いと思いました

特に本丸の茶店後ろあたりにある階段より石垣の上を登ると

、月見櫓や茶壺櫓があり今まで気づかなかった物もありました

他にも二の丸の奥に石碑などもあったり土塁なども見つけたりと楽しいです!

本丸にあった上杉謙信の厠跡も(笑)

そーいう場所は人はあまり居ないしじっくり見学可能

今までは天守しか見てなかったような気がします。意外と天守以外も面白いよ鶴ヶ城

まー左京大夫様[2015年06月13日]
天守閣内リニューアルされていますがほぼ撮影禁止で職員が目を光らせています。兜など模造品やパネルの展示があるものの撮影禁止とのこと。今月いっぱいまで市内七日町にある阿弥陀寺境内にある旧三階櫓は内部公開されていてそこで発見された晩年の松平容保公の肖像画が展示されています。また現地にいるボランティアガイドの説明は受けても知っていることだらけのことを熱弁ふるって語り出します。また新撰組、斎藤一の墓もありそれを目当てで来られる方が多いと伺っております。

【鮎】山城守クララ姫様[2015年05月07日]
お城の庭園に女優『綾瀬はるか』さんお手植えの桜の木がありました。

上杉鷹山公様[2014年05月01日]
近くに蒲生氏郷公のお墓があります。

鹿沼雷撃隊!中務少輔城弾正様[2014年02月17日]
因みに、天守初層妻側(南北面)切妻出張は、層塔型天守に改築された際、大入母屋の名残として残ったものと思われる。
ところで天守の窓が一部不規則(左右非対称)に配置されるのは何か内部構造に左右されているのだろうか??

鹿沼雷撃隊!中務少輔城弾正様[2014年02月16日]
現地の案内や説明などでも、蒲生時代の天守が七層天守で、天守台いっぱいに建っていたと、まことしやかにいわれているが、実際は五層七重で平面規模はほぼ現状通りと見るべきである。何故なら天守台に余白があり、平均十一間四方の平面は織豊期天守に準じ(豊臣大坂城は十一間×十二間)る点、主君である大坂城より規模が大きくなってしまう点など、恐らく天守初層腰屋根と望楼型だった天守の大入母屋を含め七層と誤伝された、また、五層七重を七重天守と呼んでいたのを七層と取り違えたと思われる(安土日記には『御殿守は七重』と記し、北ノ庄城は九重、いずれも内部階数)。また、現存する蒲生時代の天守台石垣の入口が右寄りにあるのも天守平面規模が現状とほぼ変化がない事を示唆している(見る限り改変の痕跡は見られない)。

那賀大蔵丞景業様[2013年11月07日]
最近訪れた際、黒鉄門西側に上杉氏時代の霊廟跡が見つかったそうで発掘調査してました。謙信公の亡骸を葬ったと考えられるそうです。まだまだ歴史が眠っていると気付かされました☆

león伊豆守大途様[2012年10月09日]
今残る鶴ヶ城は何度もの改修を経ていますが、近代城郭としての縄張りは蒲生氏郷が会津に転封となった際、元武田家臣・曽根内匠が奉行となり、甲州流築城術によって造られたと伝わります。

登城したところ、本丸にて御三階櫓復元の為の調査と工事が進められていました。
現在、御三階はJR七日町駅からすぐ近くの阿弥陀寺に移設されています。
ちなみに鶴ヶ城の名称は蒲生氏郷の幼名“鶴千代”から、会津若松という地名は、氏郷の故郷・江州日野の馬見岡綿向神社にあった“若松の森”から名付けられています。

まるさん武蔵守雲隠れモード様[2012年07月14日]
公共交通機関を利用して会津若松まで来て周辺回るのにレンタサイクル使いたい方へ…


会津若松のレンタサイクルを検索すると会津若松市観光公社のモノばかりヒットしますが…


駅から最寄りの貸出場所である会津町方伝承館までは少々歩かないとなりません。


もし、それほど長く利用しないのであればJRの駅レンタカー(駅の東口を出て左側50mくらい)で
レンタル電動自転車を利用するのがオススメです。


利用料金は…

2時間…500円、4時間…800円(ここは記憶あやふや)、1日…1500円

となっていました!


しかも、荷物を預ける事ができますからコインロッカーを利用するつもりならばロッカーの料金分浮きます!(^o^)v


観光公社のは普通の自転車で1日500円のようですから、
目的と利用時間に応じて使い分けたら便利だと感じました!\(^o^)/

てっちゃん掃部頭50様[2012年04月28日]
JR七日町駅そばの「阿弥陀寺」内に 鶴ヶ城 唯一の遺構『御三階』が移築現存しています。

さくら主膳佑にゃ〜様[2011年10月29日]
2011年10月30日(日)10:00〜発掘調査現地説明会が実施されます。北側隣接地の旧会津学鳳高校(旧若松女子高)跡で、若松城の修繕や建築作業の割り振りをしていた会津藩の「割場」の遺構が確認された様です。直接お城とは関係ないですが、出勤前に行ってみようっと。

さくら主膳佑にゃ〜様[2011年10月08日]
今更城主就任記念書き込み…解説詳しいから書いてなかった。
若松城訪問の際、鶴ヶ城公園と合わせてご覧頂きたいのが甲賀町口郭門跡(栄町)と天寧寺町土塁(花春町)です。前者は16あった中で唯一現存する郭門で石垣が残り、後者は蒲生時代に構築された外郭土塁でL字型の見事な土塁が見られます。他に関連史跡だと藩校日新館南門跡礎石(若松商業高校敷地内)とか天文台跡かなー。

さくら主膳佑にゃ〜様[2011年03月26日]
リニューアル後初めて訪問、肉眼でははっきり判る赤瓦も、写真だと光線の具合(雪混じりの曇天だったので…)もあってなかなか判り難いです

因みに、サイトの趣旨とは異なるでしょうが気にされている方も多いかと思い、本丸石垣の崩落箇所も画像上げました。天守の外壁にも亀裂が入り残念

tomm加賀守様[2011年03月20日]
今回の地震で、天守閣の壁や塩蔵などにひび割れができたそうです。
夜間ライトアップも中止中とか。

傾奇揚げ仙兵衛様[2011年03月19日]
せっかくリニューアルしたばかりのこの城に東北関東大震災があって被災者と共に心配です

さくら主膳佑にゃ〜様[2011年03月10日]
天守の改修作業は終了した様で、足場も解体され、今は赤瓦の天守がご覧頂けるみたいです(終了後未訪問)。
なお天守リニューアルのセレモニー?が3月27日(日)8:30〜に行われる様です(うろ覚え)。しかしまぁエラい人が何か挨拶して先着で何か貰えて登閣料が安くなる程度のイベントだと思いますけどね…。

まるみか!様[2010年09月20日]
2011年3月まで足場組まれてるようです

古楽侍従広家様[2010年09月13日]
天守地下の石垣が妙に怖かったです。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年09月02日]
49号沿いの河京って喜多方ラーメンが旨い

会津武士白虎隊様[2010年08月13日]
毎年、会津若松城に行ってます。私は、大好きな お城です。今年は工事中でしたか、来年も行きます。

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