猪苗代城(いなわしろじょう)

猪苗代城の基本情報

通称・別名

亀ヶ城、(鶴峰城、鶴峯城)

所在地

福島県耶麻郡猪苗代町古城町

旧国名

岩代国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

佐原経連

築城年

不明

主な改修者

主な城主

佐原氏(猪苗代氏)

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(猪苗代城跡附鶴峰城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

母成峠防塁(福島県郡山市)[12.9km]
柏木城(福島県耶麻郡)[16.0km]
高玉城(福島県郡山市)[16.9km]
会津若松城(福島県会津若松市)[17.5km]
桧原城(福島県耶麻郡)[19.4km]
神指城(福島県会津若松市)[19.5km]
安子島城(福島県郡山市)[20.4km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[22.2km]
新宮城(福島県喜多方市)[24.6km]
青山城(福島県喜多方市)[25.7km]

猪苗代城の解説文



猪苗代城(いなわしろじょう)は、福島県耶麻郡猪苗代町にあった日本の城。別名亀ヶ城。福島県指定史跡[1]

歴史・沿革 

中世

文治5年(1189年)の奥州合戦での戦功により、佐原義連は会津4郡を与えられた。その子・盛連の長男・大炊助経連は耶麻郡猪苗代を領して、猪苗代氏を称したと伝えられる。一方、旧仙台藩藩主・伊達家の『伊達世臣家譜』によれば、経連は、宝治2年(1248年)3月、将軍・藤原頼嗣に仕え、会津猪苗代麻谷庄5000余町を与えられ、猪苗代氏を称したという。

『会津温故拾要抄』、『耶麻郡誌』では、建久2年(1191年)、佐原経連が猪苗代八手山城を築き、亀ヶ城と称したとしている。しかし、『新編会津風土記』では、八手山館は白津の東北東の根岸山というところにあったとしており、『猪苗代町史』では、猪苗代城(亀ヶ城)と八手山館は別個のものとしている。築城時期も、宝治元年(1247年)の宝治合戦以降とみるべきと指摘している。

会津盆地を治めていた蘆名氏も佐原義連の血統で、猪苗代氏とは同族である。猪苗代氏は本家・蘆名氏に対しては、反逆と従属を何度も繰り返し、最終的には、天正17年(1589年)の摺上原の戦いの直前に、当時の当主・猪苗代盛国が伊達政宗に内応し、蘆名氏を滅亡に追い込むこととなった。豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達氏が会津を離れると、盛国も猪苗代を離れ、約400年に及ぶ猪苗代氏の支配が終焉した。

近世

その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、蒲生忠郷、加藤嘉明、加藤明成と続く。猪苗代城は会津領の重要拠点として、江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、それぞれの家中の有力家臣が城代として差し置かれていた。

蒲生氏郷のとき、同城には蒲生郷安が入った。九戸の乱の平定後、同城には、玉井貞右が入った。

慶長3年(1598年)1月、上杉景勝が会津に移封されると、同5年(1600年)春、今井源右衛門国広(または国清)が同城に入るが死去。後任として水原親憲が福島城から移った。

関ヶ原の戦後、蒲生秀行が再入部すると、猪苗代城には関一利が7500石で入った。一利は、秀行が取り立てた岡重政と対立して、慶長14年(1609年)3月、蒲生家を去った。 関一利の後は、この岡重政が同城に入ったが、慶長18年(1613年)12月、駿府で死罪となった。

蒲生秀行時代の城代・岡左内は熱心なキリシタンとして知られ、猪苗代でもキリスト教を奨励していたが、彼の死後、江戸幕府のキリシタン弾圧政策によって猪苗代でも弾圧が行われた。

寛永20年(1643年)に保科正之が会津藩主となると、猪苗代城には城代が置かれ、また、正之の死後はその墓所(正之は城の北、土津神社に葬られた)の守護という重要な役目も担った。

幕末

慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際、母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が東軍(会津藩・新撰組など)を破って、会津領へ侵入すると、当時の城代・高橋権大夫は城を焼き払って若松へ撤退し、建物は全て失われ、ここに猪苗代城の城としての役割は終わった。

近現代

戊辰戦争後、猪苗代城跡地は荒廃したままの状態だったが、明治38年(1905年)に小林助治ら町内の有志が日露戦争の戦勝記念として桜やツツジを植樹し、東屋や観月橋を公園として整備した[2]。現在も春になると、花見でおおいに賑わっている。また、野口英世は幼少時代に城跡でたびたび友人と遊んでいたという。

平成13年(2001年)、城跡は「猪苗代城跡 附鶴峰城跡」として福島県指定史跡に指定された[3]

構造 

猪苗代城は、街の中心部の小高い丘に築かれた平山城で南北250メートル、東西200メートル、比高差30メートルの規模をもつ。現在は、本丸・二の郭・帯郭・石垣・土塁・空堀が残り、保存状態が比較的良好である。構造は、丘の最上部の平坦地が本丸で周囲は土塁で囲まれており、その南側の一段下がったところが二の郭、さらに南に下ったところに南帯郭、本丸北と西の一段下った箇所に北帯郭と西帯郭がある。大手口は城の東麓部分で、ここには石垣を利用した巨大な枡形虎口が造られている。なお、この大手口の石垣は穴太積(あのうづみ)という技法が用いられていることから、蒲生氏によって造営されたと思われる。

城周辺 

鶴峰城

猪苗代城の北西の丘陵は鶴峰城と呼ばれる城跡である。土塁や空堀、石塁等の遺構が残されている。史料から推察すると、猪苗代氏の隠居城として用いられたと思われる。猪苗代城が近世以降も城として使用されたために、近世城郭へ改変されているのに比べ、鶴峰城は猪苗代氏が去った後は廃城となったため、戦国時代の城郭の構造をそのまま現在に伝えている。

参考文献 

  • 【書籍】「猪苗代町史」
  • 会津事典編纂会『会津大事典』(国書刊行会、1985年)
  • 小島一男『歴春ブックレット20 会津の城』(歴史春秋社、1998年)
  • 猪苗代湖の自然と歴史・文化を考える会編『湖育む―語り継ぐ猪苗代―』(猪苗代の自然と歴史・文化を考える会、2003年)

猪苗代城の口コミ情報

2023年04月01日 源越中守@ポンコ2…
駐車場[猪苗代城  駐車場]



ナビに「亀ヶ城城公園」とセットしたら、ニノ丸石垣虎口冠木門前の東側の駐車場へ行けました。ここの駐車場は6〜7台停めれそうです。縄張図など忘れたら、ここにある案内板撮っておくと登城に役立ちます。

駐車場から比高30㍍あるかないかといった感じで三段の連郭になってるのがわかりました。登城したのが3月24日だったからか所々に残雪もあるものの、春の訪れ前で草もなく遺構がよくわかりました。落石注意の案内見ながら石段を上がっていくとニノ郭や本丸へ5分ほどで辿り着けました。

本丸や二ノ郭は近世城郭とされ各虎口などに石垣が残り、周囲の土塁がよく残ってました。二ノ郭から西側へ下ると南郭に。南郭も周囲に土塁が残り、その土塁から見下すと切岸や空堀がわかりました。帯郭の西郭と本丸の間には空堀が北郭へと続いてます。北郭にはトイレが設置されてましたが、季節柄かシャッターで閉鎖されてました。北郭も周囲に土塁が残っており、改めて西郭の方を見ると複数の土塁の連なりのようなものが印象的でした。北郭より東側を進み南郭へ戻ったとこで夕暮を迎えたので、当日はここまでで駐車場へ。
だいたい所要時間30分ほどでした。

桜の名所とのことでしたが、恐らく4月8日前後に開花かなとブダ勘で思いました。

2022年07月22日 長けた 大宰大弐 進言
猪苗代城



整備され城址公園化しています。
写真の看板の場所に駐車場があり、見たところ8台くらいは停められそうです。
苔むした石垣を眺めながら、同じく苔むした階段を登っていけば本郭までは割と楽に行けます。

2022年05月27日 樋ノ口映劇
猪苗代城



お城の駐車場が本丸入口に整備され、鐘撞堂からの広い階段を登ると本丸への階段と南に位置する野口英世胸像が立つ公園への階段に分かれます。右手の本丸への階段を登ると直ぐに本丸跡に到着します。ここからは目の前に秀峰磐梯山を見ることができますし、南に猪苗代湖を眼下に眺めることができます。城郭をゆっくり散策できますし、隣接する小学校は、湖畔に立つ天鏡閣を真似て造られた素晴らしい建物ですし、西には広い公園が整備され、多くの方の憩いの場になっています。

2021年08月22日 うっちー外記幸村
猪苗代城

石垣、石積みの崩落が進んでいます。最近の地震や雨天の為でしょうか。土塁も残っているので当時の姿を想像できます。

2020年11月01日 kurobuta
猪苗代城



猪苗代町の中心部に近くアクセスは良好です。町立図書館の駐車場に停めそこから歩きます🚶‍♂️
土塁が多く残っており、半周回り込む感じで登って行きます。
本丸に登る道は人が1人通れる程の道幅で、当時の登城が大変であったことが想像できます。
本丸は広場になっており、今の時期であれば紅葉🍁が楽しめます。
帰りは旧山内邸の裏側に降りる道を使うと近道です。こちらはさらに急で滑りやすいので足元に注意して下さい。
だいたい40分位で見て回れると思います。
石垣も残っており非常に満足できる🏯でした。

2020年09月27日 摂政やつた
猪苗代城

土砂崩れしてるところがありますので、ご注意!

2019年08月27日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
猪苗代城

【道の駅 猪苗代】
猪苗代町の道の駅"猪苗代"が、おすすめです。ちょうど、磐越道の猪苗代磐梯高原ICのすぐそばにあって、R49からも堅田中丸の交差点を曲がってすぐのところあって、交通の便が良いです。レストランで会津ソースかつ丼とかけ蕎麦のセットを食べました。両方とも並盛で2000円でしたが、実物を見ると大盛りに近く食べごたえは充分あります。売店では、野菜から工芸品まで売っていたので、家族や職場へのお土産を確保するには困らないと思いますよ。猪苗代城や土津神社からもそんなに離れていないので、リア攻め&参拝の後の休憩にも使えます。

2019年05月09日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
猪苗代城



西帯郭土塁とニノ郭。帯郭とニノ郭を隔てる空堀の遺構は明確に残っている。

2019年05月08日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
猪苗代城



鶴峰城南郭からの堀切と猪苗代城土塁。この大堀切が2つの城を隔てている。

2019年05月07日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
猪苗代城



北帯曲輪堀切から鶴峰城南郭を望む。近世城郭と中世城郭が連結している。鶴峰城は当初は隠居城として使用された模様。

2016年04月19日 征夷大将軍ひとりもん
猪苗代城

亀ヶ城公園北側の県道7号沿いに駐車場(3台分)があり、公園案内図も出ています。

2015年12月28日 ぷー姫=黄色頭巾の局
猪苗代城

猪苗代城に行かれるのであれば、同町内の保科正之公墓所 土津神社へのお詣りも良いのではと思います。

2015年12月27日 西沢岩代守修一
猪苗代城

猪苗代駅からは遠いですから、車で来ることをオススメします。本丸に行くのに石段を昇りますが、非常に不安定なんで気をつけて下さい。駐車場は、広いので大丈夫ですが、トイレは中になる公園の中にあります。後、4月中旬から末は桜が満開になるので、混雑します。

2015年02月27日 安田宮内卿秀俊
猪苗代城

亀姫という妖怪の言い伝えがある城です。

猪苗代城の周辺観光情報

摺上原古戦場

葦名方総勢1万6000騎は、摺上原の西、布藤・源橋・一ノ沢に陣取り、葦名義広は、布藤の南高森山に本陣を置き、一方伊達方2万3000騎は摺上原の東に陣取り本陣を八ケ森に置いた。

情報提供:猪苗代町教育委員会

猪苗代城の周辺スポット情報

 大手口(遺構・復元物)

 帯郭法面石垣(遺構・復元物)

 二ノ郭櫓門跡(遺構・復元物)

 黒門跡(遺構・復元物)

 四脚門跡(遺構・復元物)

 案内看板(碑・説明板)

 鶴峰城(周辺城郭)

 猪苗代城本丸(寺社・史跡)

 保科正之の墓(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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