北田城(きただじょう)
北田城の基本情報
通称・別名
- 北田館
所在地
- 福島県河沼郡湯川村大字三川字大舘
旧国名
- 岩代国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 佐原広盛
築城年
- 建久4年(1193)
主な改修者
- -
主な城主
- 佐原氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 村史跡(北田城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
新宮城(福島県喜多方市)[5.7km]
陣が峯城(福島県河沼郡)[5.8km]
神指城(福島県会津若松市)[7.9km]
会津若松城(福島県会津若松市)[11.5km]
青山城(福島県喜多方市)[11.9km]
向羽黒山城(福島県大沼郡)[15.6km]
猪苗代城(福島県耶麻郡)[20.4km]
桧原城(福島県耶麻郡)[23.2km]
母成峠防塁(福島県郡山市)[32.7km]
高玉城(福島県郡山市)[36.8km]
北田城の解説文
[引用元:Wikipedia「北田城」の項目]
北田城(きただじょう)は福島県河沼郡湯川村にあった日本の城。
歴史・沿革
- 鎌倉時代初期に佐原盛連の次男・広盛が北田氏を名乗り、城を築いたのが始まりと言われている。なお、広盛の兄・経連は猪苗代氏の祖、弟・光盛は蘆名氏の祖である。
- 応永9年(1402年)、北田氏は同じ蘆名氏一族で、新宮庄(現在の喜多方市一帯)地頭の新宮城主・新宮盛俊と結んで黒川城の蘆名氏に反旗を翻し、そのため応永16年(1409年)6月、北田城は蘆名氏によって攻め落とされ、城主・大庭政泰(北田上総介)父子らは討死し、北田氏は滅亡した。
構造
城は東に湯川、西に阿賀川、北に日橋川と三方を川で囲まれている段丘上にある平城で、主郭が東西110m南北120m、外郭が東西220m南北210mと広大な広さを持っている。
[続きを見る]
北田城の口コミ情報
2021年05月16日 樋ノ口映劇
北田城
蘆名家の居城にしてみれば、少し寂しい気もするが…
2013年06月23日 ばしこん
北田城
地図アプリで表示される場所だと道路の真ん中で周りは田んぼだらけです。その場所から南東に約500メートル程に小高い城跡が在りますよ。
2012年10月28日 関白独眼竜梵天丸
北田城
湯川村役場から西へ勝常寺へむかい県道331を北北東へしばらくすると入り口の案内表示あり、城跡は田んぼの中に土塁の一部、駐車スペースは軽自動車1台がやっと
2011年05月11日 さくら主膳佑にゃ〜
北田城
湯川村の城館と言えばやはり北田城なんですが、遺構を楽しむなら121号国道(旧道)に中央を分断されてますが浜崎城がお薦めですかね?近世近くまで使用された城館で、堀跡、土塁が確認出来ます
また笈川館も小学校西側から望むと非常に良い雰囲気を残しています。北田城と併せてご訪問下さいませ