母成峠防塁(ぼなりとうげぼうるい)
母成峠防塁の基本情報
通称・別名
- 母成峠陣
所在地
- 福島県郡山市熱海町石筵
旧国名
- 岩代国
分類・構造
- 防塁
天守構造
- なし
築城主
- 上杉景勝
築城年
- 慶長5年(1600)
主な改修者
- 会津藩
主な城主
- 上杉氏、会津藩
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)、砲台跡
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(母成峠古戦場)、説明板(会津藩母成峠陣跡)
周辺の城
-
高玉城(福島県郡山市)[11.3km]
猪苗代城(福島県耶麻郡)[12.9km]
安子島城(福島県郡山市)[14.6km]
田地ケ岡館(福島県二本松市)[16.2km]
二本松城(福島県二本松市)[16.3km]
瀬戸川館(福島県本宮市)[17.1km]
八丁目城(福島県福島市)[20.1km]
大森城(福島県福島市)[22.1km]
名倉城(福島県福島市)[22.1km]
桧原城(福島県耶麻郡)[22.6km]
母成峠防塁の解説文
母成峠防塁の口コミ情報
2024年10月28日 阿炎錦左近衛少将
母成峠防塁
あまり整備されていない古戦場です。雨、または雨の後はアスファルトも滑りやすいので注意が必要です。はっきりと土塁と分かる遺構が残っており、感激しました。
2024年04月08日 装鉄城大膳大夫乱怒
母成峠防塁
会津から福島方面へスカイラインで車を走らせ、左手に駐車場あり。そこから車止めの林道を旋回すると塹壕などがあります。
2022年04月30日 樋ノ口映劇
母成峠防塁
足場はちょっと悪いですので注意して歩いてください。
2022年04月29日 樋ノ口映劇
砲台跡[母成峠防塁 遺構・復元物]
城跡は砲台跡です。その場所に立つと備えつけた砲台が想像できます。
2020年08月14日 kurobuta
母成峠防塁
県道24号をR115の猪苗代側から郡山方面に。墓碑を通り越して郡山側の通行止めのガードレール前のスペースに車を停めて徒歩で進みますが、一面雑木林で夏はまったくお勧め出来ません・・・。近くに牧場があることもあり、蚊、アブの大群に悩まされて早々に退散するハメに。冬は雪が多い地域のため、春か秋が良いかと思います。
2019年05月01日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
母成峠防塁
他のめぐら〜さんの情報を得てグリーンライン中丿沢温泉料金所跡で攻略しました。
中丿沢温泉の旅館街を抜けて放牧地らしき広い空き地を過ぎると料金所跡があります。ワイディングロードでツーリングを楽しめますが、路面が荒れているので、フルカウル&ネイキッドよりオフ車系向きかもしれないですね。
2018年10月08日 源山城守@ポンコ2…
母成峠防塁
以下河北新報より抜粋です。
二本松城を落とした新政府軍が次に標的としたのは仙台や米沢ではなく「本丸」の会津だった。新政府の諸藩は南国が多く、冬の到来前に決着を急いだと言われる。会津藩は主要な街道の守備を固めていたが、難路の母成峠は手薄で虚を突かれた。
新政府軍は板垣退助(土佐藩)、伊地知正治(薩摩藩)率いる兵3000。会津藩側は旧幕臣大鳥圭介の伝習隊を主力に仙台、二本松両藩の援軍や山口次郎(旧名斎藤一)、土方歳三ら新選組の計800だった。
戦いは午前9時ごろ、濃霧の中、砲撃戦で始まった。当初は高所に陣取った会津藩側が有利だった。しかし地元の猟師を道案内にした新政府軍に背後を突かれると混乱に陥り、猪苗代方面に敗走した。
新政府軍のルートは、かつて伊達政宗が会津の葦名氏を破った際に通った「伊達路」と呼ばれる道だった。
2018年08月15日 彩の國大宰大弐美樹の守
母成峠防塁
ドコモの方注意してください。他の方々の書き込みの通り石碑のある駐車場または遺構、東軍墓碑では取得出来ません。
母成峠の猪苗代町側旧料金所跡地(中ノ沢温泉側)で取得出来ます。郡山市側旧料金所跡地(石莚牧場側)ではイベントのデータが取得出来ません。
車幅が無いのとカーブが多いので、路肩駐車せず道路幅が広い料金所跡地をお薦めします。
2018年08月11日 太閤平岩真成
母成峠防塁
現地、半端なく電波弱く焦ります
2018年08月08日 あぶり餅征夷大将軍
母成峠防塁
【地域限定スポット】かなりピンポイントで電波が悪いので苦労しました。磐梯熱海ICから母成峠まで約15分。郡山市側では電波がキャッチできず、猪苗代町側の畜産研究所に向かう南北のストレートの南の辺りで電波をキャッチして落としました。
(キャリアはドコモAndroid)
2018年08月08日 【籠城中】下野守智ぞう
母成峠防塁
車なら磐越道磐梯熱海インター下車して、母成グリーンライン方面に10キロちょい走りますかね。
電車バスなら、JR磐梯西線磐梯熱海駅から、牧場行きで終点まで乗り歩いて峠昇るルートですかね。バスの本数も1日5本程です。
タクシー利用が妥当かと思われますがいかんせん、距離が遠いので数人乗り合わせで割り勘とかが良いかも
2018年08月05日 愛甲太閤【相模の狂人】
母成峠防塁
母成グリーンラインの駐車場から歩いてすぐのところにあります。この道は快適なワインディングが続く道幅十分の山岳道路で、単車や四輪での攻略はアプローチから楽しめます。また、少し郡山側に降りたところから徒歩1時間のところには銚子大滝(日本の滝百選)もあります。ただし、携帯電話の電波はほとんど入りません。
遺構に入るには、グリーンラインの旧道と思しき廃道を歩くか、駐車場横の木段を登って林の中を歩きます。この廃道もなかなかの雰囲気です。
遺構は土塁と空堀からなりますが、林の下草に覆われて、夏草や…の雰囲気です。
狭い範囲に戊辰戦争遺構と土木遺構がかたまっていて、両方に興味のある方には思わぬ掘り出し物エリアと言えるでしょう。
その後、幕末に至り、戊辰戦争の戦線が東上するにあたり、新政府軍を迎え撃つため、会津藩が同じ場所に陣を築いた。この幕末期の防塁は土塁と塹壕、砲台などで構成されており、特に塹壕は全長384メートルに及ぶものであった。
戊辰戦争においては大鳥圭介が率いる伝習隊、土方歳三が率いる新選組など800人の旧幕府軍と、板垣退助・伊地知正治が率いる新政府軍との戦い(母成峠の戦い)の舞台となった。