高玉城(たかたまじょう)

高玉城の基本情報

通称・別名

高玉館

所在地

福島県郡山市熱海町高玉字沢田

旧国名

岩代国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

高玉常頼

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

高玉氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

安子島城(福島県郡山市)[3.7km]
瀬戸川館(福島県本宮市)[10.6km]
母成峠防塁(福島県郡山市)[11.3km]
猪苗代城(福島県耶麻郡)[16.9km]
二本松城(福島県二本松市)[17.5km]

高玉城の解説文

高玉城(たかたまじょう)は、福島県郡山市熱海町高玉にあった日本の城(山城)。現在は建物はなく城跡のみ残る。

概説
高玉館と呼ばれることも多い。築城年は不明だが、戦国時代から安土桃山時代頃にかけて二本松氏の庶流、高玉氏の居城として使用されていた。

1589年(天正17年)、伊達政宗の蘆名氏攻めの際、政宗の家臣片倉景綱に攻められて落城、城主の高玉常頼は討死した。落城後には政宗が撫で斬りを命じたため、その4年前の小手森城と同様、城内の兵など全員が殺害された。

現在は福島県道24号中の沢熱海線沿いの高司神社付近、磐梯熱海IC寄りに城跡の碑が建てられており、その背後にある山に堀や土塁の跡とみられる地形が残っている。

参考文献
垣内和孝『郡山の城館』(歴史春秋社、2015年) 24頁参照。

高玉城の口コミ情報

常陸入道ねんさい岩代守様[2017年05月26日]
 1589年天正17年の落城時の高玉城主である高玉太郎左衛門は元は二本松畠山家臣でした。畠山氏滅亡後は母を人質に伊達家に臣従します。太郎左衛門は政宗に挨拶するために米沢に行くも、政宗は腹痛を理由に太郎左衛門に会いませんでした。この事で太郎左衛門は名誉を傷つけられ、自分は伊達家にいても将来はないと判断して、伊達政宗への臣従を止めます。

 高玉城を攻める政宗も負い目を感じていたので攻城時に山につながる城の西側をガラ空きにして西から逃げれるようにしてから攻めました。太郎左衛門は武士の意地を見せて戦い、最後は妻子を刺し、自分は壮絶な討ち死にします。高玉城に籠もる者も西側から脱出しないで城と運命を共にしたといわれています。
 高玉城攻略後、政宗は人質としていた母を帰して太郎左衛門の武士の意地に報います。太郎左衛門の三歳の子だけは乳母の機転で助かり、後に仙台藩の医師高玉氏の祖となったといわれます。

参考、貞山公治家記録、

ひとりもんの副将軍様[2016年04月19日]
県道24号磐越熱海ICの信号から北へ100mに城跡入口←標柱が、350mに石碑があります。
標柱あるあたりに車を停められるスペースありました。
標柱から西へ100mほど集落へ入ると路が左へ折れる箇所の右手に水路があり、その脇を5mほど入ると本丸へ続く愛宕神社の鳥居が待っています。

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