守山城(もりやまじょう)

守山城の基本情報

通称・別名

所在地

福島県郡山市田村町守山三の丸

旧国名

磐城国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

田村庄司氏

築城年

平安時代

主な改修者

主な城主

田村庄司氏、三春田村氏、蒲生氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

土塁、石垣

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

須賀川城(福島県須賀川市)[5.8km]
宇津峰城(福島県須賀川市)[6.2km]
三春城(福島県田村郡)[14.3km]
長沼城(福島県須賀川市)[18.3km]
国神城(福島県西白河郡)[18.5km]

守山城の解説文

守山城(もりやまじょう)は、福島県郡山市田村町守山にあった平山城

概要
坂上田村麻呂が蝦夷追討の際にこの地に城を築いたと伝えられる。その後、坂上田村麻呂の子孫である田村庄司氏が本拠地として南北朝時代までこの地方を支配した。

関東公方の攻撃による没落後は、三春田村氏が三春城に居城を移すまで本城となった。その後、三春田村氏は、伊達氏の傘下に入る。

天正16年(1588年)伊達政宗は、白石宗実、片倉景綱らを守山城へ配して、蘆名氏を摺上原の戦いで破り、南奥羽をほぼ制圧した。

豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達氏がこの地を去ると、代わって蒲生氏郷の支配下に入る。守山城へは田丸直昌が配され改修が行われたが、後に三春城へ移る。

慶長3年(1598年)に蒲生氏が宇都宮城へ移った後は、上杉景勝の支配下に入り、慶長6年に再び蒲生氏の支配下に入るが、元和元年(1615年)一国一城令により廃城となった。

現在
2000年7月、蒲生氏時代の野面積みの石垣などが発見された。

現在、城山八幡神社のある場所が本丸跡。近くにある郡山市立守山小学校グラウンド脇には、蒲生氏時代の野面積みの石垣が残る。
また、付近では礎石や、石組溝、カマド、井戸等の遺構が発見されている。

守山城の口コミ情報

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年09月25日]
大雨の中、攻略に向かったら、本丸に鎮座する八幡社周りが巨大な池と化していた

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