三芦城(みよしじょう)

三芦城の基本情報

通称・別名

石川城

所在地

福島県石川郡石川町下泉

旧国名

磐城国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

石川有光

築城年

康平6年(1063)

主な改修者

主な城主

石川氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

国神城(福島県西白河郡)[8.5km]
棚倉城(福島県東白川郡)[14.1km]
宇津峰城(福島県須賀川市)[16.9km]
須賀川城(福島県須賀川市)[17.4km]
白川城(福島県白河市)[19.5km]
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羽黒山城(福島県東白川郡)[21.0km]
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小野城(福島県田村郡)[22.1km]
白河関(福島県白河市)[22.6km]

三芦城の解説文



三芦城(みよしじょう)は、陸奥国石川郡泉郷(福島県石川郡石川町下泉泉郷川流域)にあった城館(日本の城)。平安時代後期から戦国時代にかけて石川郡を支配していた陸奥石川氏の居城である。別名石川城。

歴史・沿革 

平安時代後期に石川有光がこの地に館を築いたのが城の始まりであるといわれる。有光は清和源氏の出で、源頼光の弟頼親の孫にあたり、はじめ摂津国に居住していたが、後に陸奥国石川庄に移り、三芦城を築いたという。三芦城はその後石川氏代々の居城となり、天正18年(1590年)の奥州仕置で小田原征伐への不参を理由に石川氏が豊臣秀吉の命で改易処分となった際に廃城になった。当時の石川氏当主の昭光は伊達政宗の叔父にあたるため、その後に石川氏は伊達氏家臣となり、伊具郡角田城主(2万1千石)及び伊達一門筆頭としての地位を全うした。

三芦城の口コミ情報

2024年11月10日 MAHARAJA志摩守77
三芦城

神社の裏手です。一緒に回るといいと思います。

2024年03月29日 救援不要♪ちょび相模守
三芦城



人生八方塞がりな私リア攻めの他神頼みとか仏にすがるとか大好きなんです〜その神頼みの副産物で訪れたのが当城石都々古和気神社の社殿があるとこが本丸です

天気悪かったので車で上まで上がってしまいましたがオー城じゃん!と独り言を複数回期待してなかった分つぶやいてました足元宜しければ下から徒歩でをオススメしまーすまちなか駐車場というのが社務所近くに有り

御朱印頂ける社務所は麓にあるのですが愛想良く対応して頂けたので御城印買いました400円のと800円のありました

2022年07月11日 ふくろう
三芦城



ミヨシ城と思わず、神社に参拝しました。アジサイ満開の素敵な神社でした!

2022年02月26日 岩代守 世之介
三芦城

御城印は神社の社務所でもらえます 三百円なります

2021年05月16日 真田磐城守ゆあ
三芦城



車で行く場合は 細い砂利道を登ります。
徒歩でも行けますので そちらをお勧めします。 その場合入り口が違うので注意です。
こちらは神社になっていて 狼煙台などのあともありますが とくに城としての跡は見受けられないです。

2020年02月17日 恭任非参議侍従
三芦城



この地は石都々古和気(いわつつこわけ)神社の神域であり、神社本殿の建つ場所こそ、本丸であると思われる。
延喜式内社陸奥一ノ宮、の一社と考えられているので、摂津源氏石川氏の来訪より、神社の方が歴史が古い。
石川有光がこの地を治めたとき、京都岩清水八幡宮より大国主命、誉田別命を合祀した。
周囲が湿地帯で、芦が生い茂っていたので、三芦城、と呼ばれる。
御朱印、城朱印は、城下にある社務所(宮司宅)にて。
現在では、あじさいの名所、石工小林和平の狛犬等、有名ですが、参道(=登城口)の奇岩の大手門など、城としての見所もあります。


三芦城の周辺スポット情報

 石碑(碑・説明板)

 浅川城(周辺城郭)

 藤田城(周辺城郭)

 白石城(周辺城郭)

 神社(寺社・史跡)

 社務所(御城印)

 トイレ(トイレ)

 まちなかトイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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