白河関(しらかわのせき)
白河関の基本情報
通称・別名
- 白河の関、(関ノ森城)
所在地
- 福島県白河市旗宿
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 関所
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(白河関跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
白川城(福島県白河市)[7.6km]
芦野城(栃木県那須郡)[8.7km]
白河小峰城(福島県白河市)[9.6km]
伊王野城(栃木県那須郡)[11.3km]
棚倉城(福島県東白川郡)[14.1km]
高助館(福島県西白河郡)[15.5km]
国神城(福島県西白河郡)[18.0km]
羽黒山城(福島県東白川郡)[19.6km]
黒羽城(栃木県大田原市)[22.0km]
三芦城(福島県石川郡)[22.6km]
白河関の解説文
[引用元:Wikipedia「白河関」の項目]白河の関(しらかわのせき)は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。
福島県白河市旗宿がその遺構として認定されている。国の史跡に指定されている。
【概要】
その設置の年代は不明である。六国史における白河の初出は718年(養老2年)5月2日 (旧暦)に陸奥国から「白河」など5郡を分割して石背国を設置するという記事で、その後728年(神亀5年)4月11日 (旧暦)には白河軍団の新設を許可、そして769年(神護景雲3年)3月13日 (旧暦)には陸奥国大国造道嶋宿祢嶋足の申請によって何らかの功績を果たしたらしい者への賜姓付与が行われ、白河郡では丈部某と大伴部某がそれぞれ阿部陸奥臣および阿部会津臣を授かっている。また780年(宝亀11年)12月22日 (旧暦)には陸奥鎮守府副将軍の百済王俊哲が賊に囲まれ危機に瀕したが「白河」の神など11神に祈ったところこれを突破できたとして弊社に加えることを許可している。こうしたことから、ヤマトの軍事的要衝としての白河関の機能は平安中期には解消したものと考えられている。関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていた。1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた。
1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された。
なお、白河関にちなみ東北地方および北海道をまとめて「白河以北」と称する場合がある。宮城県の地方紙「河北新報」の名は、これに由来する。[続きを見る]
白河関の口コミ情報
2021年02月08日 桜井静龍
白河関
16時44分に到着したら社務所は閉まったorz残念。17時迄でみたんだけどなあ。従二位の杉から上に上がると土塁や空堀がありました♪関ノ森城跡て書いてありました。登りやすいです。土塁跡はわりかし深いです。
2020年10月04日 すなちゃん武蔵守
白河関
入り口は、砂利で敷き詰められ白河神社⛩えの入り口の右側に説明板と案内図が設置されて、左側にはどの様な調査が行われたか写真付きの板が据え付けられているので、それらを見れば分かりやすいと思います。
2020年09月28日 蘭丸クン
白河神社社務所[白河関 寺社・史跡]
白河の関入口横の社務所にて御朱印頂けます。
白河神社・白河の関共に朱印のみは300円、文字入りは500円です。
2019年11月29日 恭任非参議侍従
白河神社社務所[白河関 寺社・史跡]
白河神社にも御朱印がありますが、ここでは「白河之関」の城朱印?も頂くことができます。ゲーム上で白河関が城跡としているので、城朱印(御城印)と言い張れば、そうかも知れない。とすると、少なくとも10年程前には、この城朱印は存在していたので、松本城に次いでの、城朱印開始、ということになるでしょう。
ちなみに、ここにしか無いと思われる「白河関史記」という小冊子が販売されていますが、近年は平日には社務所は不在の場合が多い様子です。ので、御朱印は書き置きの物が不在でも頂けますが、小冊子は不在だと購入できないと思われます。
2019年04月23日 栃木応援団下野守智ぞう
白河関
白河関となりにある白河関の森の売店に売ってるバームクーヘンがスゴいぶ厚くて350円って激安!!工場から直送してるからだそう!!あったら買い!
2016年04月10日 永眠武蔵守釋 葱進
白河関
関跡なのに結構な規模の土塁や空堀が遺されている(というよりも土塁や空堀があった)ことが意外に思えました。
敷地内には現在白河神社が鎮座しており、その社殿は伊達政宗が寄進したものと云われているます。
境内には発掘調査に関する解説板(図入り)があり、見学するのに役立ちます。
社務所にパンフレットあり。不在時でも頂けます。
駐車場は社務所向かいにありトイレもそこにありますが、ごく近くにある白河関の森公園を利用するのもよいと思います。
2012年08月24日 傾奇揚げ仙兵衛
白河関
空堀や土塁が残っている。1800年に松平定信がここに関があったと断定したと言う石碑(古関蹟の碑)がある。