白川城(しらかわじょう)
白川城の基本情報
通称・別名
- 結城白川城、搦目城
所在地
- 福島県白河市藤沢山地内
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 結城祐広
築城年
- 建長2年(1250)
主な改修者
- -
主な城主
- 結城氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 国史跡(白川城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
白河小峰城(福島県白河市)[2.7km]
白河関(福島県白河市)[7.6km]
高助館(福島県西白河郡)[10.6km]
国神城(福島県西白河郡)[12.8km]
芦野城(栃木県那須郡)[15.5km]
棚倉城(福島県東白川郡)[16.5km]
伊王野城(栃木県那須郡)[18.3km]
三芦城(福島県石川郡)[19.5km]
長沼南古館(福島県須賀川市)[19.7km]
長沼城(福島県須賀川市)[20.0km]
白川城の解説文
[引用元:Wikipedia「白川城」の項目]
白川城(しらかわじょう)は、福島県白河市藤沢山にあった日本の城である。別名は、搦目城(からめじょう)、結城白川城(ゆうきしらかわじょう)。2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(指定名称は「白川城跡」)[1]。同市内には日本100名城の1つ白河小峰城が存在するため、弁別の必要から白河城とはあまり呼ばれない。
概要
白川城は、中世、白河荘を拠点として陸奥国南部を支配した白河結城氏歴代の居城跡であり、1189年(文治5年)、結城朝光は源頼朝より白川の地を与えられた。その孫、結城祐広は、1289年頃にこの地に移住して、白川城を居城とした。正確な築城年代はわかっていないが、『白河風土記』(1805年(文化2年))では「列封略伝等も祐広を白川城跡の始めと記しぬ」とし、白川城を本拠としていたと記している。室町時代には奥州南部から北関東まで勢力を拡大したが、1510年(永正7年)、惣領の結城政朝が一族の小峰氏によって追放され(永正の変)、小峰氏の血統による新たな白河結城氏が成立した。また、この時期に結城氏の本拠も白川城から小峰城に移ったとされる。1575年(天正3年)、小峰義親が宗家の義顕を追放した(天正の変)際に本拠が移されたともいわれる。1590年(天正18年)の奥羽仕置で白河結城氏は改易、約400年に及ぶ南奥支配は終焉を迎えた。白河結城氏の衰退と共に、白川城は廃城となった。正確な廃城年代もわかっていない。
調査
2010年(平成22年)から2015年(平成27年)にかけて、白河市教育委員会の発掘調査が実施され、14世紀から16世紀の遺構や、遺物が確認されている。
文化財
2016年(平成28年)10月3日付で、「白川城跡」の名称で、国の史跡に指定された。
参考文献
- 金子誠三・山田茂 2000『図説白河の歴史』、郷土出版社、「白河結城氏の本拠 複雑な縄張りの白川城(搦目城)」ISBN 4-87663-483-1
- 白河市 2001『白河市史 第4巻(資料編1)』、白河市、「白川城(搦目城)跡」
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白川城の口コミ情報
2022年10月02日 長けた 治部大輔 進言
白川城
ちょっとした山城です。駐車スペースは有りますが2台ほど。道中はすれ違い不可です。トイレはありません。 近くの白河小峰城とセットで巡られると良いと思います。
2022年07月01日 RED副将軍✳️
白川城
約400年に及び南奥を支配した結城氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1250年頃、鎌倉幕府の有力御家人である結城朝光の孫の結城祐広により築城。
結城氏は源頼朝の奥州征伐に参陣し、その功績から白川荘など三郡を拝領しました。
興国年間(1340年〜1345年)には、当主の結城親朝は小峰城を築いて小峰家を興します。嫡男の顕朝は白川結城家を、二男の朝常は小峰家を継ぐこととなります。
しかし、1510年には、本家の白川結城氏と小峰氏は対立。最終的には白川結城氏の勢力は衰え、新たに小峰氏の血統による白河結城氏が成立します。この時期に結城氏の本拠地も白川城から小峰城に移った様です。
1590年の豊臣秀吉による奥羽仕置で白河結城氏は改易。白河結城氏の衰退と共に白川城は廃城となりました。
見所
主郭を山頂に置き、土塁が明瞭に残ります。
特に主郭西側の虎口は、高い土塁で折れを形成した大規模なもので見応えがあります。
主郭下まで車で登ることができ、主郭周辺は整備されていますが、離れると激しいヤブでした。
2021年12月02日 疲れた人
新地山館[白川城 周辺城郭]
新地山館は、白川結城氏によって築かれた城で、天正年間に佐竹氏に攻められますが小峰城を守る防衛拠点として見事に役目を果たし撃退したようですが、結局、小峰城は別ルートからも攻めて来た佐竹氏により落城してしまいます。数にものを言わせて力技で押してくる感じ、佐竹だよなあと納得してしまいます。
お城は山全体を加工していて、佐竹にびびって作った、改修した城、必死さやピリピリ感が伝わります。写真にはならないから出してないんですが、北東側の虎口からの虎口と連続する辺りなど、技巧にもキュンなんですが、経年なのか後世の改変なのか、なんとなくえぐみが不明瞭なところも…
1番の見どころは、北東側の大規模な横堀です。そこにたどり着くまでの遺構の雰囲気からは想像できないサイズでした。郭上から見下ろしたときの衝撃がすごいです。どんだけ、佐竹が嫌だったのか、佐竹とぶつかるということはどういうことなのかが、よくわかりました🤣
口コミとは別に写真を出しています。参考にしていただければと思います。
新地山館の行き方です。
Googleマップには新地山館で登録がありますが、入口は麓にある羽黒神社になります。参道がついているのでサクサクと主郭まで行けます。駐車場がなくて、近くにあるセブンイレブン白河借宿店さんにおことわりして、駐めさせてもらいました。
①羽黒神社入口
②狛犬がすごい。こちらは小松寅吉さん作です。
③参道がしっかりついてるから遺構を楽しみながら迷わずに行けちゃいます。
④羽黒神社。郭の名残?段差がついてます。
小松寅吉さんの作品に需要があるみたいなので写真を追加しました。お城もぜひ見てくださいね🤣
⑤狛犬がウケたみたいなので追加。
⑥この城のある山は人忘れずの山として歌枕にもなっています、の看板。松平定信の歌「世々へても 心の奥に通ほらし 人忘れずの山の奥の嵐は」が有名です。
⑦その歌碑を囲う小松寅吉さんによる石扉。細工の繊細さを現地で近寄って見てください。めちゃくちゃ精緻な技術に感動しました。
2021年04月08日 藤陸奥守重真
白川城
遺構はよく残っていると思います。周囲に空堀があります。
2021年02月10日 桜井左近衛大将静龍
白川城
289号線から232号線の川(橋)の手前の右側側道に入りました。左側に入り口がみえやすいです。逆からだとカーブの先なので、そのルートにしました。冬にいったので、入り口の道は注意してたらわかりやすかったです。夜はわかりにくいかも。マップだと搦目城跡にしていれば車で行けました。朝7時だったので対向車もなく、細い登り坂ですが、側道入り口から近いので無理なく行けます。冬だったせいか、サクサク歩けます。小峰城がみえないかなあ?思いましたが見つけられず、みるところは沢山あるかと。雪積もりではない時にまた城郭全体像を散策に行きたいです。
2020年08月24日 宮内卿雲のジュウザ
白川城
入り口は少し見にくいかもしれませんが、小さな看板はあります。入り口からの通路は幅員が狭く対向車が来たらすれ違いは無理です。(まあ、頻繁には対向車は来ない場所ですが┈)もしリア攻めされるなら昼間のほうがベター。夜は灯りもなく暗くて危険かもしれません。
2018年05月23日 芦屋兵庫頭虎吉
白川城
主郭下まで車で行けますし、主郭そのものはキレイに整備されていますが、実際の縄張りはとても広大なので、せっかく行かれる方は主郭のみならず、ちゃんとした装備で全体を見られたら楽しいかと思います。
白川に京文化を花開かせた白川結城家の往時の隆盛を忍ばせる巨大城郭です。
2015年01月22日 みんてぃ
白川城
後村上天皇が訪れたという石碑があります。勿論当時のものではありませんけどね。
2012年08月19日 傾奇揚げ仙兵衛
白川城
本丸へ昇ると石碑や祠が震災で無残に崩れている