伊王野城(いおのじょう)
伊王野城の基本情報
通称・別名
- 伊王野山城、霞ヶ城
所在地
- 栃木県那須郡那須町伊王野
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 伊王野資清
築城年
- 長享元年(1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 伊王野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
芦野城(栃木県那須郡)[2.9km]
黒羽城(栃木県大田原市)[10.9km]
白河関(福島県白河市)[11.3km]
大田原城(栃木県大田原市)[15.3km]
白川城(福島県白河市)[18.3km]
白河小峰城(福島県白河市)[19.6km]
棚倉城(福島県東白川郡)[21.4km]
佐久山城(栃木県大田原市)[22.0km]
高助館(福島県西白河郡)[22.6km]
羽黒山城(福島県東白川郡)[23.0km]
伊王野城の解説文
伊王野城の口コミ情報
2023年05月05日 マグロ常陸介祐平
伊王野氏居館[伊王野城 周辺城郭]
伊王野小学校が居館跡で、鎌倉時代初期から室町時代に山城に移るまでと、江戸時代初期に使用されました。
北側に土塁が残り、その下を堀として活用された川が流れています。
近くの長源寺には、江戸時代初期の伊王野氏の墓があります。
2023年05月05日 マグロ常陸介祐平
備中郭館[伊王野城 周辺城郭]
那須町の史跡指定されている城で、伊王野氏館や伊王野城に対応するためにかなり古い時期から存在したようです。
戦国末期の城主は、伊王野氏の重臣として活躍した薄葉備中で、関山合戦で大勝をもたらし、「伊王野に過ぎたるもの三つ、鳥居・道場・薄葉備中」と唄われた人物です。島左近みたいですね。
伊王野氏館を見下ろせる高台に位置し、館の南側には高い土塁、西側には深い堀が遺構として残っています。
Googleマップでは、郭内を道が通っていますが、北側は材木置場、南側は民家の入り口のようで、郭内には入りずらい感じです。
那須町の城(館)跡はほとんどが、町の史跡に指定されていて消滅のリスクも少なく、文化協会のサイトも大変見やすく作られていてありがたいです。
2023年05月05日 マグロ常陸介祐平
稲沢館[伊王野城 周辺城郭]
国道294号線を黒羽から伊王野に向かって走っていると、道路沿いに土塁と「那須町史跡稲沢氏居館跡」の石碑が目に入ってきます。
那須一族の稲沢氏の居館で、鎌倉時代から江戸時代まで軍事拠点として使用されたそうです。
2021年05月24日 【籠城中】下野守智ぞう
伊王野城
那須氏最強の城じゃないか?って栃木オフ会メンバーと入って思いました~🎵これは落とせない‼️
伊王野小学校側の市営駐車場に車を止めて、寺の横の登城口から登ります。
仏像が道沿いにあるからわかりやすいですが、あえて外して右のほうに行ったら、巧妙な郭が!ヤベーわ!イキナリかよ!
竪堀を登ったりしながら何とか三の丸へ。東やがありちょっと休憩がてら雑談タイム
三の丸からも籔ってますが、写真映えはしませんがなかなかの遺構が残ってます。
二の丸にちょっとした社がありますが、やっぱり籔。二の丸から回り込む形で本丸いけます本丸虎口見事ですが、本丸から切り岸をみると籔ですが、堀があります!整備してあったら感動もんかと
堀をつたい歩き北郭を目指しますが、マジいけんのか?って籔(笑)そこは百戦錬磨のメグラーさんですから(笑)
北郭付近に出るといきなり開けてます(笑)
さらに北限の堀を目指し進むと感動の堀群が!奥が深い❗伊王野城
2021年05月18日 蒼龍坊中務大輔龗月昌遠
伊王野城
藪の中で北の曲輪に向かうのは大変。
でもいい城。初心者には、とても難しい城かもしれない。
2021年05月11日 【籠城中】下野守智ぞう
伊王野城
2021/05/11 再び!!霞ヶ城駐車場に車止めて丘をあがりますが、どうやら遺構はないみたいなんで、
道路が三の丸付近まで伸びてるので、車でそこら辺まで行って入ったほうが時間短縮体力温存になるかと。
籔ってますが、縄張りはスゴイ!
芦野城の麓の那須歴史探訪館の人にお声かけすれば、伊王野城の縄張り図も貰う事が出来ますので!
2021年01月10日 篠沼大膳大夫義久
伊王野城
遺構としてはかなりらしいのですが、あくまで公園としての整備みたいで、、やはり、江戸初期に無嗣断絶してしまったから?鎌倉から300年は麓の小学校まるまるが館。戦国前夜唐150年は背後の山、江戸時代に無嗣断絶するまではまた麓で陣屋…
2020年11月23日 奥州探題秋田城介因幡守鶴松
伊王野城
現在小学校のあるあたりの居館から山城域へ移転との事。城の移転と同じく現在地へ移った正福寺脇の小道から登城。
2~3分で案内板と源義経が奉納したと伝わる馬頭観音堂に至る。更にくねくねした山道を登ると三の丸跡に到着。
三の丸跡は開けていて広大な印象を受けた。周囲は土塁で囲まれており、よく保存されていた。
2020年07月16日 昌幸近江守晩秋リア旅
伊王野城
伊王野小学校(現在廃校)正門前の駐車場に止め、小学校裏にある正福寺の脇から登城。看板があるので分かると思います。
道中72体の羅漢が点在し、道を惑わされそうになりますが、10分位で三ノ丸に着きます。
三ノ丸からは愛知常滑産の陶磁器が見つかっており、乱時の城主の生活空間であったと思います。
土塁を登って行くと、数段に分かれた二ノ丸があり、最上部には神社、櫓台には祠があります。左側には横堀があるようです。
堀切を越え、横矢を浴びやられそうになる虎口を入ると本丸です。よじ登れない位の高さに圧倒されます。高さが足りない所は横堀で防御力を補ってますが、この時季の山城あるあるで全く見えません(笑)
本丸の更に奥に北の郭があるんですが、登城路不明で今回は未探索です。(おそらく横堀を歩いて行くんでしょう)本丸までも辛うじての道ですので、山城に慣れている方との登城をおススメします。
三ノ丸にもう一つの虎口があり、こちらから降りてみました。谷に向かって郭がいくつも造られ、虎口も立派だったので、おそらくこの降りてきた道が大手道かなと思います。
北の郭の他、坊の郭、遠見の郭と呼ばれる所もあるようなので、次回はそちらも訪問したいです。
2020年07月09日 【籠城中】下野守智ぞう
伊王野城
2020/07/09下の霞が城公園に車を止め登城。三の丸より下の丘にも土塁や掘などの遺構あり。
藪がひどいですが。丘を登りきると道路あり。下の公園から車で三の丸付近まで登ってこれます。行き止まりに車が3,4台くらい止められるスペースあり
二の丸付近まで行くと巨大堀切あり。
昨日の雨のせいで滑るのでこの辺で断念
藪ってますが多数遺構がある感じです。
また再チャレンジしたいです
伊王野城の周辺スポット情報
櫓台?(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
伊王野氏居館跡説明板(碑・説明板)
伊王野城山公園(碑・説明板)
稲沢館(周辺城郭)
備中郭館(周辺城郭)
伊王野氏居館(周辺城郭)
田中要害(周辺城郭)
長源寺(伊王野氏新墳墓)(寺社・史跡)
那須町駐車場(トイレあり)(駐車場)
伊王野城山公園駐車場(駐車場)
立地
伊王野小学校や伊王野町並の北の背後に位置している。この城域は、全体で約20haにも及んで三蔵川・奈良川・根岸川の合流点内側に、北から南に続く丘陵を利用して造られている。地元では「城山」とも呼んでいる。歴史
伊王野氏は、鎌倉時代の初期に初代資長が現在の伊王野小学校の地に居館を構えて以来、12代資保がここを拠点としていた。室町時代後期に世の中が乱れてきた長享元年(1487)13代資清のころに、前の居館からこの山城に移ったといわれる。資清の代より寛永4年(1627)の22代資友まで、およそ150年間にわたって伊王野氏歴代の居館であった。構造
この城は、幾重にも空堀を設けたり、土手を削って平場にして自然と人工を上手に組み合わせている。「遠見の郭」(通称トビノクラ)は標高370mで最も高く、軍事・交通等の要所に位置している。特に近隣の大関・大田原氏の台頭以前は芦野氏とともに北那須地方の中心的な城であった。遺構
現在に残る絵図等が無く、廃城以来長い年月経過で城の各部名所はほとんど忘れつつあるが、本丸・二の丸・三の丸などの地名が残り、僅かに住年を偲ぶことができる。城の構えは、伊王野小学校裏手が大手門あたり山道を登ると郭が段々につながり、尾根伝いに遠見の郭に至っている。参考文献
・『那須町の文化遺産』ウェブサイト。