棚倉城(たなくらじょう)
棚倉城の基本情報
通称・別名
- 亀ヶ城
所在地
- 福島県東白川郡棚倉町棚倉城跡26
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 梯郭式+輪郭式平城
天守構造
- なし
築城主
- 丹羽長重
築城年
- 寛永2年(1625)
主な改修者
- -
主な城主
- 丹羽氏、内藤氏、阿部氏
廃城年
- 慶応4年(1868)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀、移築門
指定文化財
- 国史跡(棚倉城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
羽黒山城(福島県東白川郡)[8.5km]
白河関(福島県白河市)[14.1km]
三芦城(福島県石川郡)[14.1km]
国神城(福島県西白河郡)[15.8km]
白川城(福島県白河市)[16.5km]
白河小峰城(福島県白河市)[19.1km]
芦野城(栃木県那須郡)[20.2km]
伊王野城(栃木県那須郡)[21.4km]
高助館(福島県西白河郡)[26.9km]
須賀川城(福島県須賀川市)[28.9km]
棚倉城の解説文
[引用元:Wikipedia「棚倉城」の項目]
棚倉城(たなぐらじょう)は、福島県東白川郡棚倉町にあった日本の城。別名亀ケ城。寛永2年(1625年)に丹羽長重によって築城された。棚倉藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている[1][2]。
歴史
立花宗茂の後を受けて元和8年(1622年)に棚倉藩に5万石で入封した丹羽長重は、それまでの赤館を避け棚倉盆地の中央にあった都都古別神社を遷宮し、その跡地に江戸幕府の許可を得て棚倉城を寛永2年に築城した。長重は寛永4年(1627年)に白河藩に移封され、諸大名の転封を繰り返した後、最終的には慶応2年(1866年)に阿部正静が6万石で入封した。棚倉藩は奥羽越列藩同盟に加盟したため、慶応4年(1868年)に勃発した戊辰戦争で板垣退助の率いる新政府軍800名の攻撃を受けた。当時、藩主阿部正静が白河に出兵しており、棚倉城は正静の父正外と僅かな城兵が守るのみであったため、6月24日にわずか1日で落城。正外は城を自焼して分領である保原に撤退した。
異名の亀ヶ城は、濠に大亀が棲んでおり、浮かび上がって姿を見せると決まって殿様が転封になるという言い伝えによるという[3]。
構造
城は本丸を中心に二の丸が周りを取り囲み、さらに二の丸の北部から西部にカギ型の三の丸が配置される、輪郭・梯郭式の平城だった。二の丸の一部以外に石垣はほとんどなく、土塁と二重の堀で構成されている。
本丸は南北に長い長方形をしており、御殿が建てられ城の中心となる。本丸の南北二つの虎口は土塁ながらも二門を完備した枡形で構成されており、南虎口が大手となる。山形城本丸とよく似た構成である。天守や三重櫓(天守代用)は無いが、土塁や水掘はかなり規模が大きく、二重の隅櫓4基が上げられていた。櫓の間は多聞櫓で結ばれており、本丸を多聞櫓で囲むのは東北地方では珍しい縄張りである。
厳重な縄張りの本丸に対して二の丸から外は櫓もなく、虎口はいずれも二の門を持たない簡易な構造となっていた。三の丸は防御施設もほとんど無いことから、捨郭とみられている。二の丸から外郭は屋敷地となっており、北を除く三方は河岸段丘の崖を外郭線としていた。面積は約73,000平方メートル。
遺構等
本丸および水掘が亀ヶ城公園として整備されており、本丸の堀、土塁がきれいに残存する。二の丸の堀は埋め立てられ完全に消失しているが、二の丸西側の濠沿いの石垣が棚倉中学校グラウンド脇に現存している。
この他、移築建造物として、町内長久寺山門として用いられている南門がある。敷地内には「畑俊六終焉の地」の碑が立っている。
観光
アクセス
- JR水郡線磐城棚倉駅下車、徒歩10分
参考文献
- 福島市の中世城館III(福島市教育委員会)
- 『日本の名城・古城』井上宗和、角川文庫 1985年
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棚倉城の口コミ情報
2024年11月10日 MAHARAJA志摩守77
棚倉城
とても整備されていてよかったです。駐車場が広い上に二つあり便利です。
2024年10月29日 高眞左近衛中将
棚倉城
現在は亀ヶ城公園。水堀の周辺を散歩する人が多数。あまり大きくない平城だが、土塁などもあり、十分に歴史を感じられる。秋の紅葉が美しかった。
2024年05月10日 だって右衛門督まさむね
棚倉城
亀ヶ城公園として整備された城跡は、少し盛りを過ぎたツツジ?サツキ?が綺麗でした。奥州列藩同盟の城の1つとして戦い、落城してしまった戊辰戦争の無念が偲ばれました。
2023年10月10日 あきくん
棚倉城
ぐるっと一周、本丸はお堀と高い土塁に囲まれており、非常に大きな木🌲があります。規模は大きくありませんが、本丸の中まで車で入ることが出来る珍しい城跡です。
2023年07月18日 _ClaD雅楽頭リアの季節
三森館[棚倉城 周辺城郭]
登城口からはほぼ1本道を登り、しばらく普通の山道を行くと、やがて段郭を縫うような登城道に出ますから、まず迷うことはないでしょう。シンプルな単郭にわかりやすい馬出がついています。背後の尾根筋には小ぶりだけれどしっかりした堀切があります。
2023年07月16日 ジョージ左兵衛督
棚倉城
平城でかんたんに攻略できます。土塁と堀で石垣はなし。
2023年05月21日 紅葉に行こう下野守智ぞう
寺山館[棚倉城 周辺城郭]
調子に乗って城跡入り口近辺まで車でいきましたが、広くなってて車止める場所はありましたが、ぬかるみ酷くて帰りに車脱出に手こずりました~😁
付近の下流公民館の駐車場に止めて歩くのがベストです。
城内には案内板が沢山あり、主郭までは縄張り図なくともいけます
2022年12月30日 気分爽快豊後守
寺山館[棚倉城 周辺城郭]
夏に東側から登城を試みるも、どこが登り口かわからず断念したが、口コミ情報から北西から登れることがわかり再チャレンジし、無事登城。
広大な城域と、聞きしに勝る二重堀切には驚くばかり。時間をかけてゆっくり探索したい城です。
①北西登り口からの枡形
②鋭い切岸
③主郭から南につながる尾根道
④土塁で囲われた主郭
⑤主郭北東の深く長い堀切
⑥主郭寄りの二重堀切
⑦二重堀切を東から
⑧堀切越しの主郭
2022年08月18日 国府左京大夫城介
中丸館[棚倉城 周辺城郭]
棚倉に残る見事な空堀がある方形居館
【歴史】
築城年代は不明だが、文亀年間(1501~1504)に田村氏の一族である仲丸左京太夫が居城としていた。
その後、白河結城氏家臣である上遠野美濃守盛秀の居城となる。永禄3年(1560)に、佐竹氏の侵攻に対するため、白河結城氏が赤館の普請が行われると、上遠野盛秀が赤館の城主となったため、廃城となった。
【遺構】
棚倉城の北3.1kmに位置する方形居館。
館内は、北側の「一番平」、南側の「二番平」と呼ばれる二つの曲輪があり、曲輪間には土橋のかかる空堀がある。また、曲輪を囲むように長大な土塁と空堀があり、南西には櫓台が残っている。
【感想】
赤館に拠点機能が移るまで、この地の拠点はここ中丸館であり、それに相応しい長大な空堀と土塁が見所になります。
入口には説明版もあるのですが、肝心の城内への入口が藪に覆われており、分かりません。どこか藪が薄そうな場所を適当に突撃するしかありません。夏場にしては、それほど激しい藪ではないので、藪城に慣れている人なら問題なく行けると思います。
曲輪内はあまり遺構はなく、曲輪を隔てる空堀と、その中央と東端に土橋がかかっています。また、空堀の二番平側には土塁があることから、こちらが主郭の可能性があります。
縄張り図を見ると、本来は曲輪を囲むように土塁と空堀があったようですが、西側の土塁は壊されており確認できません。しかし、東側は一部土塁がなくなっていますが、それ以外はよく形が残っています。また、比較的藪も少ないので形状も分かります。
南西端にある櫓台に関しては、電車の時間の都合もあり、未確認です。
個人的には、藪まみれの赤館に寄らず、中丸館をじっくりと見た方がよいと思います。
【アクセス】
①磐城棚倉駅から徒歩で、35~45分。
②磐城棚倉駅からバスで、「白河駅」行きに乗り、「磐城逆川」で下車し、徒歩15分。
【写真】
①遠景
②説明版
③西側の空堀跡
④北側の空堀
⑤東側の空堀
⑥曲輪間の空堀
⑦二番平の土塁
2022年07月31日 織田上総介晃司
棚倉城
亀ヶ城公園として整備され、駐車場も城の北東・南東・公園内(本丸)にあります。
今回北東の駐車場を利用。
二の丸石垣が棚倉中学校グラウンド横の斜面にあります。見学する場合は中学校の敷地内に入るので学校関係者に許可を得てからにしましょう。
江戸時代に棚倉の地は僻地とみられていたようで、「落ち行く先は奥州棚倉…」と揶揄され、大名の左遷地であったという。
素敵な町なのに失礼な話である。
2022年05月29日 ruiw0302
棚倉城
写真は本丸内部と本丸を囲む内堀と噴水。羽柴姓由来の丹羽家のお城、丹羽家は言うまでもなく丹羽長秀公の末裔。この後丹羽家は、白河城主を経て二本松城主へ、そして戊辰戦争を迎えて二本松少年隊の悲劇へと繋がっていく。本丸は方形をしていて、さらに土手で囲まれてる形状で、ちょっと珍しい縄張りでした。
棚倉町へ北の方角から入った時には気づかなかったけど、南下して大子方面へ向かっていた時に棚倉城全体が大きな大地の上に築城されているのに気づき驚いた。
初め「天守はどこぞ」と土手に登ってみたけど見当たらず「ん?この四方を土手で囲まれてる中に屋敷があった?」と気づいて苦笑い。築城当時は五万石とのこと、総構えまで考慮してみると、それなりの大きさだったんだろうなと容易に想像ができた。
2022年05月04日 武蔵守マクシミリアン
棚倉城
水堀に囲まれたほぼ長方形の本丸?が町の中心部に残っています。土塁に囲まれた広めの曲輪です。藩の政庁があったようです。今は半分ほどが駐車場になっています。
2022年04月18日 みなとん左京大夫
棚倉城
僕は外の駐車場に止めましたが、本丸まで車が入れる不思議な城郭です。
2022年02月27日 【】修理大夫こーへー
寺山館[棚倉城 周辺城郭]
【歴史】
★主郭の現地歴史看板には白河結城氏による築城、佐竹氏による改修とされ、天正十八年に廃城とされる。日本城郭大系には蛇頭館と記載されているも詳細不明。
★佐竹氏の南郷進出支配四城のひとつ。
【遺構】
★多重堀切、竪堀、虎口、土塁、曲輪等
【写真】
①北側山麓の登城口、矢印に従って行けば主郭へ。
②折れ虎口、土塁
③連続竪堀?、切岸
④折れ虎口、切岸上は曲輪群
⑤主郭、内枡形虎口、天正年間後に改修?
⑥〜⑧桁違いの多重堀切、二重堀切
【感想】
★歴史群像や廃城をゆく5(一部紹介)で記載されている佐竹氏改修による山城。近年の整備で北側尾根、主郭はある程度整備されていますが城郭の規模(範囲)が広い為、南側、西側尾根、出城に関しては冬でも完全にヤブと倒木、崖の連続なので訪城の際はご注意を!福島県屈指の見所満載の山城です。
2022年02月24日 マグロ常陸介祐平
棚倉城
公園として整備され、土塁と水堀がよく残っていますが、説明的なものは少なくどこか殺風景です。近くの蓮家寺には内藤家と阿部家の墓があります。
2022年02月24日 マグロ常陸介祐平
寺山館[棚倉城 周辺城郭]
寺山館の名称ですが完全な山城です。つづら折りの山道を登り、細い尾根を進み突き当たりの切岸?を回り込むと主郭に出ます。虎口、土塁、堀切が確認できます。ふもとには元日向延岡藩主の高橋元種の墓があります。
2021年10月28日 備中守ダンゾウ
棚倉城
駐車場が周りにいくつかありますが、近くにこども園があり、平日は園児さんが園外保育で歩いていることもあるので、気をつけて走行しましょう。水堀も整備されており、土塁のモミジかカエデも少しづつ色づいていました。紅葉の最盛期には素晴らしい景色が見られそうです。
2021年07月25日 うっちー外記幸村
棚倉城
比較的見やすく、公園のように整備され、駐車場もあり、行きやすいです。
2021年04月17日 わき☆弾正少弼れーじ
棚倉城
亀ヶ城公園として整備されています。堀と土塁が残っていて、当時の雰囲気が味わえる城跡です。
2021年04月12日 龍馬備中守【】
寺山館[棚倉城 周辺城郭]
福島県の棚倉町にある寺山館♪山麓に館跡を持つ城郭は佐竹氏城郭の最終形態だと思う位にその土木量は凄まじいです♪多く城郭を見てきましたがこれ程までに気迫溢れる力強い二重堀切は見た事ありません☆歴代TOP5には間違い無く入ってきます☆
寺山館は別名蛇頭館とも呼ばれている中世の山城です♪戦国時代は白川結城氏が築城しました♪往時は深谷伊豆守が城代でした☆
常陸国側から北進する佐竹氏が落城させていく訳ですが街道の真逆で北側に構える赤館を落とす為の白河結城氏と何よりも仙台の大大名・伊達政宗に対する前線基地として使用され続けました☆結果的に佐竹氏は赤館を攻略し南郷も制圧☆赤館・寺山館・羽黒館・東館をもって南郷衆を組織していきました☆
最後は豊臣秀吉の命令により廃城となりました☆
現在城郭は郭や虎口、土塁に堀切、土橋等、遺構が明確に残ります☆特に本丸北東の尾根にある二重の堀切は他の城郭遺跡に類を見ない大規模なモノを持ちます☆
コレは南郷、更には北進をしたかった佐竹氏の会心の改修が入っているとしか思えないエグい防御施設を備えています☆伊達政宗を何とかして追い返したかった気持ちが強く出ている☆そんな城郭です☆主郭より北側に遠く仙台へ向けた巨大な二重堀切がそれを物語ります☆
2021年04月06日 藤陸奥守重真
棚倉城
駐車場は完備です。桜の花は散り始めています。本丸の土塁は良く残っています。
2020年11月03日 常陸國守兵部丞
棚倉城
水堀が綺麗で、また、なかなか堅固な城だなと思いました。地域の方から愛されている城なんだなとも思いました。
2020年06月26日 源山城守@ポンコ2…
棚倉城
白河小峰城見学後、棚倉城へ行くのに白河駅前の観光案内所にあるワンコインレンタカーを使い、登城しました。
ワンコインレンタカーは1時間500円と走行距離に応じた従量課金になっており、白河から現地まで片道3~40分、登城時間含め2時間で50㌔弱、1700円ほどでした。ナビなし軽自動車となっております。
現在は、本丸の水堀と土塁、棚倉中学グランドに二ノ丸の石垣を見ることができます。
また、駐車場となってる部分に追手門跡と案内板、本丸南虎口の土橋前に樹齢600年の大けやきなどもあります。
本丸は横矢掛をいれながら高さ3~4㍍の土塁が残っており、隅櫓が多聞櫓でつながってたため土塁上の幅も広くなってます。
江戸初期の丹羽長重・光重親子が、築城↔️転封を繰り返す事実上のスタート地点となった棚倉城。
丹羽長重は築城中に白河小峰へ転封となったため次の城主内藤氏により完成しましたが、丹羽長重が完成まで持ち込んだらどうなってたかと白河小峰と比較しつつ、土塁や水堀に触れながら妄想で個人的に楽しみました。
2019年04月13日 【籠城中】下野守智ぞう
棚倉城
棚倉城からちょっと北にいった中島村の
童里夢公園に
小室哲哉さんプロデュースのからくり時計があります。だいたい二時間おきくらいに稼働してます。
TKブーム喰らった世代には是非オススメしたいです。
2018年08月26日 キラキラ光る山城守きなこ姫
棚倉城
【地域限定スポット制覇情報】直近の駐車場(棚倉町城跡北駐車場)にて制覇です。
2017年05月08日 稲葉宮内卿元康
棚倉城
GW最後に立ち寄ったお城です。公園として整備されていて市民の憩いの場となっていました。建築物などは特に残っておらず、説明板のみです。
2015年10月12日 土塁ルイ
棚倉城
南側の駐車場が9時開場でしたが、車1台分開いている所があり、7時前でも入れました。
棚倉城は1625年築城の近世城郭であり、それ以前、立花宗茂が大名復帰時の居城はここではなく、棚倉城の北1.5kmの中世山城「赤館」になります。
赤館城址は、赤館公園として整備されており、県道25号線の入口から車で山頂の主郭部まで登れます。主郭からは棚倉の町が一望でき、中世城郭が実感できました。
棚倉城をリア訪城するのなら一緒に回ってみるといいと思います。
棚倉城の周辺スポット情報
城郭内(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
水堀(遺構・復元物)
追手門跡(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
阿部正備茶室(遺構・復元物)
内濠(遺構・復元物)
追手桝形門跡(遺構・復元物)
本丸東隅櫓跡(遺構・復元物)
北東隅櫓跡(遺構・復元物)
北西隅櫓跡(遺構・復元物)
犬走り跡(遺構・復元物)
北ニ門(遺構・復元物)
棚倉町城下絵図(碑・説明板)
城趾碑(碑・説明板)
忠霊碑(碑・説明板)
赤館(周辺城郭)
寺山館(周辺城郭)
中丸館(周辺城郭)
三森館(周辺城郭)
棚倉町観光協会(御城印)
ルネサンス棚倉(御城印)
トイレ(和式)(トイレ)
北駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
寺山館駐車可能スペース(駐車場)
棚倉町合併記念碑(関連施設)
大けやき(その他)
時の鐘(その他)
花園しだれ桜(その他)