赤館
赤館([棚倉城 周辺城郭])
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赤館の口コミ情報
2026年07月20日 ᴿᴱᴰ副将軍
白河結城氏と佐竹氏との激しい争奪戦の舞台⚔️
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。建武年間(1324年〜1336年)には赤館氏により築かれていたとされます。
鎌倉時代初期に遡れば、伊達氏の飛び地の領地であったため、既に何らかの施設が存在していた可能性もあります。
赤館氏は、伊賀隆定の次男である伊賀定澄が伊賀国より下向し赤館氏を称したのが始まりとされます。以後、赤館氏代々の居城となりました。
在地土豪の赤館氏は白河結城氏に属していたとされ、関東と東北の分水嶺である要衝であり、敵対する佐竹氏との前線でした。
1560年、佐竹氏の北侵に対抗するため白河結城氏は葦名氏に支援を求めます。赤館城は葦名氏により改修され、赤館氏は沢井へ領地替えとなり上遠野盛秀が城代として入城します。
しかし、東館・羽黒館・流館などの赤館以南の九南郷館を佐竹氏は支配していきます。
1571年、白河義親は佐竹氏に奪われた南郷の領土を奪回のため南郷一帯が激戦となります。その隙に北条氏が佐竹氏支配の下妻城を攻めたので、佐竹氏は赤館を放棄することで和睦し南転し退去しています。
しかし1575年に佐竹氏の大規模な侵攻により赤館は落城はし南郷を支配。赤館には佐竹氏家臣の東義久が城代として入り、最前線の拠点として北側に守りを堅めた城郭へと改修。さらに佐竹氏は南郷衆を組織しています。
蘆名氏は衰退していきましたが、勢力を拡大した伊達氏との前線となっていきます。
1590年、豊臣秀吉による奥州仕置において白川結城氏は消滅し、棚倉は佐竹氏の領地と公認。ようやく戦乱が続いた当地に平穏が訪れたとされます。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、佐竹義宣は政情不安の中、赤館に本陣を構えますが、東軍にも西軍にも付かずに中立の立場を取ります。しかし戦後に東軍に付かなかったとして秋田へ転封となり棚倉は天領となります。
1609年、立花宗茂が棚倉に入封し、赤館を居城とします。
1620年、立花宗茂は旧領の筑後国柳河へ転封となると、1622年に丹羽長重が常陸国古渡より入封。新たに棚倉城を築き始め、1624年に棚倉城が完成すると居城を移したため赤館は廃城となりました。
見所
標高345mの丘陵上に築かれています。
主郭部は赤館公園として公園整備により大きく改変を受けており、主郭から北側の山腹に横堀と土塁が残っていますが、ここも重機が入り改変を受けている様でした。
南東部に鋭い切岸や帯郭が残ります。
※令和9年3月まで公園整備のため立入禁止となっている様です。桜の名所でもあるので整備が終わった4月頃に訪れるのが良いかも
2026年07月19日 さよなら秋田城介急行津軽
棚倉町活性化・観光物産協会にて、赤館城の御城印を入手したので、棚倉城の前に訪問しました。
ただ、先人の情報を確認していなかったので、立入禁止に気が付きませんでした…令和9年2月8日まで工事のため立入禁止予定です。
城跡公園周りの車道は、時計周りに一方通行の規制がされています。
2026年06月30日 藤陸奥守重真
赤館城本丸跡はR8.7.1より観光拠点の建設工事のため立入禁止となります。現在の公衆トイレは撤去し2か所に増やすそうです。









