白河小峰城(しらかわこみねじょう)

白河小峰城の基本情報

通称・別名

白河城、小峰城

所在地

福島県白河市追廻46

旧国名

磐城国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1632年築/焼失(落城)]、複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1991年再/木造復元)

築城主

結城親朝

築城年

興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)

主な改修者

丹羽長重

主な城主

結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀

指定文化財

国史跡(小峰城跡)

再建造物

三重櫓、太鼓櫓、門、石碑、説明板

周辺の城

白川城(福島県白河市)[2.7km]
高助館(福島県西白河郡)[8.1km]
白河関(福島県白河市)[9.6km]
国神城(福島県西白河郡)[13.6km]
芦野城(栃木県那須郡)[16.7km]

白河小峰城の解説文

白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(陸奥国白河郡白河)にあった日本の城。単に白河城または小峰城ともいう。国の史跡に指定されているほか、日本100名城のひとつに数えられる。

概要
阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城若松城とともに「東北三名城」のひとつにも数えられている。周辺は城山公園として整備され、公園内には、結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」や「白河バラ園」(6月のみ営業)がある。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、2015年4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった。

歴史・沿革
近代以前
白河小峰城は、南北朝時代の1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。

1590年(天正18年) 城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏が支配した。

1627年(寛永4年) 丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成した。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

1868年(慶応4年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した。

近現代
1873年(明治6年)1月14日の廃城令では存城とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみだったが、1991年(平成3年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、1994年(平成6年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。...

白河小峰城の口コミ情報

01-07ブラ弾正少弼白河!様[2017年12月08日]
小峰城の石垣をよく観察すると所々に積み方が異なる箇所が多数存在する。帯曲輪南西部石垣には下段は横目地が通る布積であるが、中段辺りから乱積であり、崩れた石垣を修復した事が確認できる。そのような石垣は随所に見られ、清水門西側石垣・桜門西側石垣・藤門北方石垣・本丸西側石垣など。竹の丸、清水門東側などは落とし積であり明治以降の修復である(後者は震災で崩れ修復)。
また、三重櫓台北側石垣には下段に古式の石垣が一部残存し、石材の大きさが異なる事から、丹羽氏以前の石垣の可能性がある。

01-07ブラ弾正少弼白河!様[2017年12月08日]
小峰城の石垣は、石垣のあらゆる築造技法を観察でき、また、城が災害に遭いながら修復を繰り返した歴史を石垣に見ることが出来る貴重な遺構である。
本丸や帯曲輪には出角、入角や、鎬角、逆鎬角の石垣、震災前には石垣天端が上に反る気負い、同じく天端を内側に反らせる輪取りが見られた。しかし、修復工事により輪取りや気負いが失われてしまったのは残念でならない。
また帯曲輪には様々な刻印が見られ、荒目櫓台石垣には十字架のような刻印があり、話題になった。現在は修復工事の為立ち入り禁止である。

もっちん上総介様[2017年10月01日]
数日前、白川ラーメンの旨い所教えて、とか記事を目にしたので…
福島県文化財センター白河館・まほろん近くの麺しょうが、醤油ベースのあっさり系で旨かった。他は食べて無いのでわからないですが、とら食堂が名店だとか…
福島県文化財センター白河館・まほろんですが、考古学中心の展示になっています。もちろん、お城も考古学は大事。興味深い展示や講演会が行われる事も、車で白河に来られる方は、チェックしてみて下さい。

ピアロッテ@防寒者様[2017年09月10日]
売店が来年の3月の改修までありません。自販機も園内にはないので飲み物などは他で買っていった方がいいと思います。なお一番近くの自販機にはゴミ箱がないのでゴミは持ち帰りましょう。

五瓜ニ唐花紋右大臣や〜きみ様[2017年05月09日]
電車でも行けるし、駐車場も目の前の城ですね。
朝、夜は門が閉まっていて時間外は入れないお城ですね。

もっちん上総介様[2016年12月02日]
城内二ノ丸茶屋の、白河だるまバーガー中々いけました。登城の際には、どうぞ!運気もアップするそうな...

野呂利駿河守休三23夜のみ様[2016年10月28日]
道場門跡は白河駅ロータリーの西隣にあります。因みに門跡のすぐそばの建物は図書館です。
遺構はほぼ基部のみですが、駅ホーム上り側の新白河寄りからも見ることができます。
道場門の名前の由来は、かつて門の場所に時宗の道場の小峰寺(しょうほうじ)があったことから。現在小峰寺は道場町に移っています。白河結城氏の菩提寺で県指定有形文化財の永禄二年制作の厨子があります。

常陸入道ねんさい美作守様[2016年09月25日]
真田喜平太は1824年生まれ1888年明治20年に64歳で死去しました。前のクチコミの没年は誤りです。
白河城の戦いでは仙台藩はとても弱く敵味方から「ドン五里兵」と言われて馬鹿にされていました。
大砲の音を聞いたら五里逃げる事から名付けられました。弱兵と化した仙台藩の中でも喜平太は勇戦しました。

それ以外も細谷直英(通称十太夫)が衝撃隊(通称からす組)を指揮して夜襲中心のゲリラ戦で戦い新政府軍をおおいに苦しめます。

星恂太郎は仙台藩の洋式装備の額兵隊を指揮していました。額兵隊は新型の元込め式ライフル銃を装備して赤と黒のリバーシバルの軍服を着用していました。行軍時は赤の軍服、戦闘時は裏返して黒の軍服にして戦ったと言われています。訓練が終わり装備も整い戦闘可能になったら仙台藩は降伏しました。それを可としない恂太郎は志を同じくする250名の額兵隊と共に北海道に渡りました。その後は榎本武揚と共に函館に転進して新政府軍に勇戦します。行軍時は赤の軍服であった仙台藩最強の額兵隊は幕末の赤備えでした。真田喜平太、細谷十太夫、星恂太郎と配下の将兵は幕末に仙台武士の心意気を示しました。

常陸入道ねんさい美作守様[2016年09月24日]
 東北戊辰戦争の白河城の戦いでは仙台藩も出兵して戦っています。
 仙台藩から白河口参謀として真田喜平太幸歓も出陣します。真田喜平太は真田幸村次男の守信を祖とした仙台真田家の当主です。幕末江戸で高島秋帆の弟子下曽根金三郎から西洋砲術を学び、仙台藩に帰国後に西洋砲術指南役となります。
 白河に出征したときは仙台真田家の旗ではなく先祖の真田六連銭の旗を隊旗に使います。白河の戦いでは先祖に恥じぬ戦いぶりを見せます。自ら銃を取って戦い、弾丸が切れてあわや討ち死にとなるも会津の援兵がきて辛くも脱出できました。この時の戦いで敵弾は喜平太の陣笠を貫通したり、腰の短銃や刀に当たるも奇跡的に負傷しませんでした。
 明治になって石巻に移住して、明治40年64歳で死去します。

中務少輔おかよの方@松戸城様[2016年08月13日]
2011年から復興を見守ること4回目の登城。やっと三重櫓に入ること叶いました!戊辰戦争白河口の戦いで銃撃戦となった所にあった杉を復元で使っているので、弾痕が3ヶ所。威力を知ることができます。
かねてより不評のバラ園もなくなってました(笑)これをよい機会によりすばらしい城址となりますよう!

野呂利駿河守休三23夜のみ様[2016年03月30日]
現在遺構が良く残るのは本丸、そのすぐ側の芝生が二の丸ですが、本丸東の三の丸も北側の石垣が残っています。
本丸東隣のハローワーク裏の高みも三の丸の一角ですが戊辰戦争の薩摩藩戦死者の墓があります。

三層櫓は一層の見学はスリッパを履けますが、二層以上へは安全面からかスリッパ禁止です。寒い季節は冷えますので、その辺のご準備を。

城下町は駅を挟んだ反対側になります。駅の出口は城下町側になり、地下道で線路をくぐる必要があります。城下町側の入口はいまどきな感じですが、城側のは城門を意識したデザイン。その辺りが三の丸門跡に当たるからでしょうか。ちょっとしたタイムトリップ気分になりました。

16.01.08探訪

まー宮内卿様[2015年07月20日]
3回目の登城だが2回は震災後の修復工事で入れず今回初めて三階櫓に入る。三階櫓入口で百名城スタンプ推せるが真ん中だけ写らないため二の丸茶屋で押すといいでしょう。

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年06月27日]
先日、訪問した際には白河小峰城の駐車場を使えず、付近の公的機関や銀行駐車場を代替え利用。
石垣完全復旧は、来年末との事。
穴太衆により復旧した石垣は、初めて見るランダム模様に見入ってしまった。《穴太衆実にお見事!》
城の盛土は水堀の土利用だが、何度か石垣が崩壊したとか?櫓の近くに人柱を持って、崩壊の対策をした。犠牲になった娘さんが、可哀相でした。《人柱桜有り》
国・市と県で揉めた本格木造三重三階櫓は、史実に基づき復旧された。完成当初は櫓内は、入場禁止処置だったが、国の力添えで内覧可能となった。惜しむらくは、小屋組みに金物補強をしてる事です。丹羽長重《棚倉城から、移封》が築城した時には、金物補強はなかったと思います。《残念!》隅梁の楔止め・床板の黒柿釘止めは立派な物でした。
使用木材は、梁以外は無節の檜材、梁材は松のちょうな削り、今も探せば、立派な木材は揃えられるのですね。

はやえもん壱岐守行動休息中様[2015年05月09日]
本丸、三階櫓内部まで解放されており開場時間が平日が朝の10時から午後4時まで…休日は朝の10時から午後5時までで無料です

水野隊弾正少弼元康様[2015年05月02日]
百名城スタンプは、櫓入り口と、集古苑、甘味処(?)にありました。

金沢流北条掃部頭しんのすけ様[2015年05月02日]
天守の櫓入口に真新しい100名城のスタンプが置いてありました‼

とも左衛門佐様[2015年04月26日]
本丸、三階櫓内部まで解放されていました!
二階、三階へは五名までの制限です。
私も約10年ぶりに三階櫓内部へ。史実に忠実に再現されているかと思うと感慨ひとしお。
震災で崩落した石垣も着実に修復が進んでいるようです。
私が幼少期を過ごした場所なので非常に嬉しいです!
桜は葉桜でしたが、三階櫓復活に満足です(^^)

虞美人草中務卿様[2015年04月12日]
追記;百名城スタンプは集古苑の他に売店にも置いてます。

虞美人草中務卿様[2015年04月12日]
完全な修復は2年後の春前を目指しているらしいですが、4月19日からGW期間中、本丸の一部まで解放されるそうです。
桜、持つと良いですね!

来週来たかった…

無銘様[2015年02月28日]
白河小峰城は4月に入城できます。

土御門宮内卿美影様[2014年08月31日]
城の売店の人に聞きましたが、数日前に三重櫓に修復の為の幕がかかり、外観が全く見れなくなりました。

こにみん様[2014年03月30日]
久しぶりに訪門するも震災復旧中で登城できず。重機で石垣など修復中で痛々しく感じた。

磐城守 j 様[2013年11月07日]
2013年10月現在、修復工事中です。
市によると、
2015年度に三重櫓公開。
2016年度までに修復完了を目指しているそうです。

大田原釆女正資清様[2013年04月07日]
完全復旧は5〜6年掛かるとの情報を、現地の方から頂きました。暫くは二ノ丸から遠望を楽しむ事になりそうです。

荒 心様[2013年03月15日]
白河小峰城。H25.3.15現在、復興作業中にて残念ながら中へ入れませんでした。

傾奇揚げ仙兵衛様[2012年08月19日]
三重櫓封鎖中で入れません。2012/8/19

ガラ隠居中納言独眼竜梵天丸様[2012年06月23日]
震災後2度目の再訪問、修復工事が進んでおり、今回本丸東丘陵が 国史跡追加指定され、国の支援のもと復旧作業が進む事を期待したい

軍師J万次郎マイリバ様[2012年05月22日]
2012年5月20日に再訪しました
三重櫓自体は損傷軽微なれど、石垣崩落箇所が多く、完成復旧には5~7年はかかるとのこと(T-T)
100名城スタンプは集古苑と白河駅観光案内所で押すことができます

野舘宮内少輔サラマンダー様[2011年06月14日]
2011年6月13日19時頃
北側の外堀から月と共に撮影
近くに住む親戚の方が案内してくれました
肝心の城内は震災の傷跡が多く残っているため閉鎖されていました…

半日皇帝下野守様[2011年04月18日]
石垣が崩れている写真は、2011年4月17日撮影です

tomm加賀守様[2011年03月20日]
今回の地震で、石垣が数箇所に渡ってかなり崩落し立入禁止箇所が多数あるそうです。
NTT東日本のライブカメラにて現状が見てとれますし、個人の方のブログでも石垣崩落箇所の写真をアップされてて見る事ができます。

足軽越中守一歩様[2010年12月27日]
個人的には、城より石垣の積み方に興味あり!私にはアーチ状に見えますが!?写真もアップされてますね。係の人の話では、「強度にはかんけいが無し」とのこと、ではファッションなのか?今のところ、他では見かけてないが、あったら教えて欲しいです。

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年09月25日]
白河駅出て南側に、発掘調査で出土して露出展示されてる、道場門桝形の石垣がある。将来的にはどのような公開されるのだろう
以前訪れた時、三階櫓の形した陶器に入った地酒がお土産用に販売されてたので、買い求めようとしたら、製造中止したと
欲しかった入れ物が(笑)

μ1030SW様[2010年07月19日]
公園として整備されています。

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