白河小峰城(しらかわこみねじょう)

白河小峰城の基本情報

通称・別名

白河城、小峰城

所在地

福島県白河市追廻46

旧国名

磐城国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1632年築/焼失(落城)]、複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1991年再/木造復元)

築城主

結城親朝

築城年

興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)

主な改修者

丹羽長重

主な城主

結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

国史跡(小峰城跡)

再建造物

三重櫓、太鼓櫓、門、石碑、説明板

周辺の城

白川城(福島県白河市)[2.7km]
高助館(福島県西白河郡)[8.0km]
白河関(福島県白河市)[9.6km]
国神城(福島県西白河郡)[13.6km]
芦野城(栃木県那須郡)[16.7km]
長沼南古館(福島県須賀川市)[17.6km]
長沼城(福島県須賀川市)[18.0km]
棚倉城(福島県東白川郡)[19.1km]
伊王野城(栃木県那須郡)[19.6km]
三芦城(福島県石川郡)[21.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

13 白河小峰城

設置場所

三重櫓[地図
二ノ丸茶屋[地図
(公財)白河観光物産協会[地図
白河集古苑[地図
白河市役所内警備員室(観光物産協会の年末年始休業期間のみ)[地図

白河小峰城の解説文



白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(陸奥国白河郡白河)にあった日本の城。単に小峰城ともいう。同市内には白川城址も存在するが、地元周辺でも古くから白河城と呼称されるものはこの白河小峰城を指す。国の史跡に指定されている。ほか、日本100名城の1つに含まれる。

概要 

阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられている。本丸と二の丸の一部が残っており、周辺は城山公園として整備され、公園内には結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」がある。本丸帯廓の北側には白河バラ園があったが、東日本大震災による本丸石垣崩落の復旧工事に伴い廃止となった。

縄張りは梯郭式で、阿武隈川を背にした北端に本丸が位置し、本丸の南に二の丸、三の丸と広がっている。また本丸は周囲を帯廓および竹之丸で囲んでいる。二の丸までは総石垣で固められていたが、三の丸からは一部が土塁となっていた。

戊辰戦争でほとんどの建物が焼失し、城址には石垣が残るのみとなっていたが、1991年に本丸御三階櫓が木造により復元された。現在各地の城址で進められている、発掘調査や、図面、古写真等の資料に基づく木造による復元の嚆矢とされている。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、2015年(平成27年)4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった[1][2]

2020年、白河市は本丸正面にあった清水門の木造復元を目指し、「小峰城一石城主」プロジェクトを立ち上げた。当初2024年度の完成を目標としていたが、白河市によれば2023年10月20日付で国の復元許可が下りた事から、2024年1月着工2025年度末完成を目指すとしている。

歴史 

近代以前

白河小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。 この当時は、現在の本丸と三の丸北端の丘陵部が城域で、現在の二の丸付近を阿武隈川が流れており、川に挟まれた細長い丘の上の城だった。

天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配したが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。

この際に阿武隈川は城の北の流れを本流とし、南の河床は埋め立てて二の丸、三の丸が築かれた。また、竹之丸東側の堀切を拡大して本丸を丘陵から切り離し現在の縄張りとなっている。後には、城の西側で南に大きく蛇行していた阿武隈川の流れを北につけかえ、埋め立てた跡地には町屋が形成された。会津藩の出身者が多く住んだ事から、会津町の名が今に残っている。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

翌慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した(白河口の戦い)。

近現代

1873年(明治6年)1月14日の廃城令では存城処分とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみで、二の丸広場は白河町の公園広場として用いられた後1952年(昭和27年)には「白河市営城山球場」として野球場が整備され高さ10m・幅50mほどの石垣がバックスクリーンとして用いられた。1956年(昭和31年)にはセ・リーグ公式戦が1試合・その他2軍戦4試合が行われ野球のほか馬の競りや競輪も開催された[3]

その後史跡公園としての整備方針に伴い1987年(昭和62年)に球場施設を撤去し、1991年(平成3年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、1994年(平成6年)に前御門が当時の史料[4]に基づいて復元された。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(13番)に選定された。

東日本大震災での被害

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災により、三重櫓の崩壊には至らなかったものの数箇所の石垣・曲輪が崩壊、または積み重ねがゆるむ被害があった[5][6][7]。曲輪上にあった白河バラ園や公園・石碑等も崩壊し、震災以後は本丸への立ち入り禁止となった[8][9]。特に三重櫓下段の曲輪の崩壊被害は大きく、小峰城入口からも確認できた。このほか、公園内売店は一部損傷があったが、城壁前方の芝生や城内に植えられていた桜はおおむね被害は無かった。

2011年秋から修復工事が行われ、修復にあたっては崩れた石を一つづつ図面に起こし、形状を崩落前の石垣の写真と比較してどこの石かを特定し、元の通りに積み直すという作業が続けられた。こうした作業の結果、落とし積みと呼ばれる、特徴的な同心半円形状の石積みも旧状に復することとなった。小峰城石垣修復のノウハウは、熊本城石垣の修復にも活かされるという。

上記のように2015年4月から入城可能となり、2019年4月、鈴木和夫市長が城山公園で石垣修復の完了を宣言した。[10][11]。なお、白河バラ園は閉園となった。

御三階櫓 

御三階櫓は1632年(寛永9年)に建てられた複合式層塔型3重3階の櫓で、当時は「三重御櫓」と呼ばれた実質的な天守であった[12]。石垣上端に余裕を持たせ付櫓や2階に出窓を付けた姿は、若松城天守に共通する。黒漆塗りの下見板張りで、風雨にさらされることを考慮して窓を小さく開いている。この三重櫓は1868年(慶応4年)に起こった戊辰戦争によって焼失した。

現在の御三階櫓は1991年に復元された物である。復元天守は昭和期に多数造られたが、それらはみな鉄筋コンクリート造で、外観のみ元に復したもの(外観復元)であった。白河城の三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、現在でも数少ない木造復元天守の1つである。戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしており、中に入り柱をみると弾傷が確認できる。

屋根

雨漏り、腐朽を防ぐため、葺土を用いない引掛桟瓦葺工法を使用している。

瓦の文様は、松平定信の家紋である梅鉢である。

石垣

さまざまな大きさの石を積んだ乱積を用いている。石垣は地場産の白河石。火に弱く、火災による劣化が見られる。

大規模な木造建築は日本では建築基準法で原則禁止されているが、白河城では人の立ち入りを想定しない工作物として建築許可を得たのち、完成後に見学者を内部に入れるよう変更した。これは一種の「脱法行為」であるとの観点から問題となったが、後に問題なく立ち入れるようになった。

現存建造物 

多くの城内の建造物が焼失または破却により失われたが、二の丸入口付近の太鼓門西側に建てられていた太鼓櫓は1873年(明治6年)に民間に払い下げられ、三の丸の紅葉土手に移築された後、1930年(昭和5年)に福島地方裁判所 白河支部の近くに移築され、現在は茶室として利用されている。2度の移築により、建物そのものは改造され原型は大きく損なわれているが、当時の面影を今に伝える唯一の建物遺構である。

2010年(平成22年)8月5日、国の史跡に指定された。

伝説 

  • おとめ桜の伝説
寛永年間に城の大改修を行った際、本丸の石垣が何度も崩壊したため、人柱を立てることになり、人柱にするのはその日、最初に城に来た者ということに決まった。すると、最初に来たのは作事奉行和知半三郎の娘「おとめ」だった。父は必死に「来るな」と手で合図をしたが、逆に「来い」という合図と勘違いしたおとめは捕らえられ、人柱にされてしまった[13]。その後、石垣は無事完成し、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。現在三重櫓のすぐ横に植えられているおとめ桜は二代目で、初代は戊辰戦争の時に焼失している[14]

所在地・交通 

  • 所在地 : 福島県白河市郭内
  • 交通
    • JR東北本線 白河駅から徒歩約10分。
    • JR東北新幹線・東北本線 新白河駅から徒歩約40分。

主な登場作品 

  • 武士の一分 : 撮影が行われた。
  • タイムスクープハンター : 2010年5月17日放送(第7回)「われら時の番人」の撮影が行われた。

参考文献 

白河小峰城の口コミ情報

2024年03月05日 紅音勘解由次官
白河小峰城

平日のお昼すぎに攻城。 他にお客さんもチラホラといたが、ゆっくりと気の済むまで隅々と見れた。 戊辰戦争の影もおがむことが出来ました。

2023年12月24日 やしち三河守
白河小峰城



5年ぶりの攻城です。石垣の補修も完了しており、石垣の見応えが凄いです。搦手門から行くと、本丸北側の石垣が迫力ありますね。積み方も違うので、見入ってしまいました。

2023年11月26日 薩摩相模守義弘維新斎
白河小峰城



白河小峰城址は、JR白河駅を下車してホームから城がよく見えます。また、駅から城までは、徒歩約5分もかからない位置にあって、一気に本丸跡や平成3年に復元された三重櫓や平成6年に復元された前御門まで直ぐに行けます。
ここは、石垣が立派なので歩いて見て回ると楽しいと思います。石垣の造りがコンパクトなので、見て回っても時間はかかりません。
更に、時間があるならば城内にある小峰城歴史館を見学することをオススメします。歴代藩主や白河小峰城の歴史がよく理解できます。

2023年11月18日 みんはお
白河小峰城



石垣を一周して見ましたが、素晴らしかったです。震災で崩れた石垣も見事に修復されていました。色々な石垣があり、見ごたえがありました。

2023年06月24日 長森原
奥州街道・渡河点[白河小峰城  その他]



写真①②
白河の地は江戸と陸奥を結ぶ奥州街道が通過しており、江戸時代の白河小峰城は、将軍の住む江戸を北方から守り、東北の外様大名に睨みを利かせる役割を負っていました。
そのため、初代藩主・丹羽長重は幕命により白河小峰城の城郭の大改修を行い、阿武隈川の流れを変えて城郭の北の守りとし、北方からの攻撃を想定した城を作り上げています。

城下を通過する奥州街道は、白河小峰城の南面と東面の堀沿いを何度もクランクさせながら通しており、北へは鎮護神山石垣の脇から阿武隈川を渡らせ東北に向かわせていました(現在の田町大橋がある地点)。
おそらくこの渡河点が、白河小峰城下で最も重要な防衛ポイントであったと察せられます。

写真③④
実際に奥州街道の渡河点に行って、阿武隈川北岸から白河小峰城の防備がどのように見えるか確認してきました。
判ったのは本丸の三重櫓は、街道渡河点の位置も計算に入れて建てられている事です。予期していた以上に、三重櫓から「こちらを見られてる感」が強くて驚きました(写真③)。
実際、三重櫓の最上階に登った際には、東面の狭間から渡河点周辺がよく見渡せました(写真④)。

写真⑤
北から奥州街道を南下した場合、阿武隈川を渡ってすぐ目に飛び込んでくるのが白河小峰城の北の守りの鎮護神山石垣です。
丹羽長重が築いた長大な石垣で、前面の緑の野原になっている所が往時の水堀です。
複雑な折れ等の技巧は見られませんが、雄大で威容が感じられました。
参勤交代などでこの白河を通過した東北の大名達が、必ず目にした石垣です。

2023年06月12日 あさひなと流山守
白河小峰城



美しく、再現も石垣も最高でした。駅から近いし行きやすい。また訪れたい。

2023年05月06日 マグロ常陸介祐平
関川寺館[白河小峰城  周辺城郭]



鎌倉時代後期に白河結城氏の居館として築かれたと考えられており、関川寺の西側に高さのある土塁と空堀が見られます。土塁の高さから、戦国末期の特徴もみられるようです。2枚目の写真は虎口ではなく、土塁を削った通路ですが、高さを感じられます。

墓域には、結城宗廣の墓があります。

2023年05月06日 マグロ常陸介祐平
旧小峰城太鼓櫓[白河小峰城  遺構・復元物]



2022年に現在地に移築された小峰城で唯一現存する建造物です。

小峰城歴史館で、内部や改修・移築の変遷、江戸時代の部材の使用箇所などを記載したパンフレットを配布しています。

2023年05月06日 マグロ常陸介祐平
白河小峰城



石垣が大変美しいお城です。小峰城歴史館では、お城の歴史は勿論、石垣の修復なども学ぶことができます。

2023年04月18日 川越日向鉄
白河小峰城



小峰城さくら祭りでは毎年、川越藩火縄銃鉄砲隊の演武が行われます。

2023年03月26日 まりん兵部少輔
白河小峰城



白河小峰城に行くのは2回目ですが、前回は震災から数年しか経っていなかった為、修復中で一部分しか見学出来ませんでした。今回は石垣が、しっかりと見れて美しいと思いました。電車で行きましたが駅からのアクセスも良く、線路下の地下道もお城の歴史や観光の説明が良いです。見学が終わって最後にホームからもお城が見えます。

2022年12月11日 smz1028岩代守
白河小峰城



戊辰戦争の歴史も感じられて、とても良い城でした🏯

2022年08月12日 バード左近衛少将昌光
白河小峰城

広々として気持ちがいい城内でした!駅の目の前に名城があるなんて素晴らしいですね。

2022年07月04日 伊豆守十郎
白河小峰城



震災後、石垣の復旧が完了して、全面公開となったのは2022年5月とのこと。
震災前と復旧中にも訪問してましたが、復旧後に再度見学するのも感慨無量です。

2022年05月07日 みつるS#S
白河小峰城



あまり知らないお城でしたが、行ってみたら雄大で感激しました。

2022年05月05日 伊勢宮内大輔新九郎宗瑞
白河小峰城



天守は小ぶりですが、しっかり存在感があります。本丸の石垣は1周回ってじっくり見ることができます。本丸からの眺めもいいですし、園内の芝生で天守を見ながらお弁当を食べるのもありです。

2022年04月30日 直江山城守優介
白河小峰城



石垣が最大の魅力だと思いますが、一つの場所でも打ち込みハギ、切り込みハギが一緒に見れるのが楽しいです。じっくり見ると1時間以上は必要です。

2022年04月11日 副将軍こうちゃん播守
白河小峰城



国道4号線、福島市方面から🚗で訪問💨4号線から5分程で着きます💨現地、無料駐車場です🤗JR白河駅の真ん前です😁

2021年11月25日 こうたろう
戊辰の役薩摩藩戦死者墓[白河小峰城  碑・説明板]



白河小峰城本丸の東側にある鎮護神山と称する場所にある。戊辰戦争において、各地で戦死した薩摩藩士の墓を大正四年に合葬して建てたものです。台座の石には各藩士の氏名や戦死場所、所属隊名が刻まれている。

2021年10月31日 目白越前守鷹三
白河小峰城

三重櫓の入場時刻が本丸の開門時刻に連動しているので、朝早くに行くと本丸に入れません。8:45くらいには開けてもらえましたがご注意を。

2021年08月22日 うっちー外記幸村
白河小峰城

とにかく天守萌える。天守内はコロナウイルスの為、一階しか行けませんが、戊辰戦争の弾丸跡が見られます。また、鷹の目石垣と言われる、石垣の一部が鷹の目のようになってる所があります。落し積みも見られます。石垣がユニークですね。

2021年05月30日 陸奥守新九郎
白河小峰城



久しぶりの登城。震災等による石垣崩落のキズが無事に治っていて良かったです。が、現在は新型コロナの影響で2・3階には上がれないのが残念でした。。。

2021年05月05日 摂津守いくpika
戊辰の役古戦場[白河小峰城  碑・説明板]



戊辰戦争白河口の戦いの激戦地。

南側には「長州大垣藩戦死六人之墓」北側には「会津藩戦死墓」と松平容保公の題字による「銷魂碑」と相対した双方の陣営を弔う墓が向かいあって並んでおり、白河の方達の仁のこころを現している場所です。

碑の北側に駐車場もありました。

のぼりにデザインされている赤い陣羽織がめっちゃカッコいいですね〜

2021年05月05日 摂津守いくpika
JR白河駅観光案内所[白河小峰城  その他]



こちらで白河小峰城がデザインされたマンホールカードが貰えます。

2021年04月17日 わき☆左近衛少将れーじ
白河小峰城



白河駅のホームから三重櫓がすぐ見えます。コロナ禍の影響で、三重櫓は1階のみ公開されていて2階、3階には上がれず、天気もよくなかったこともあり、今度は晴れている時にまた来たいと思いました。

2021年01月20日 とっち胆振守シャクシャイン
白河小峰城



1月20日 コロナの影響で天守2階への登城が中止になっています。1階は入城可 無料

2020年12月01日 野舘宮内少輔サラマンダー
白河小峰城

2020年11月29日1600時(50分)

急遽訪城しましたが…冬季1600時閉城で城内にはまたも入れず…(T_T)過去に訪城した時は東日本大震災の後…石垣が崩れておりました…

城外をぐるりとめぐりましたが、石垣と堀がとても良かったです!!過去に訪城した時も満月でしたが、今回も満月でとても幻想的でした。約一年振りに城めぐりしましたが、やはりお城は良いですね!!

2020年10月13日 hiroki11宮内大輔
白河小峰城

スタンプは白河駅観光案内所18時までok! (10月11日時点情報)

2020年09月07日 武□下野守太郎N
白河小峰城



白河駅の前というか、駅が城の中なので、訪れやすい城です。震災の被害を大きく受けましたが、石垣の修復もかなり進んで見学に支障はありません。新しくガイダンス施設もできたのでオススメです。

2020年07月12日 真田上野介信吉
二ノ丸茶屋[白河小峰城  御城印]



御城印は昨年11月から販売されています(レジにて直接販売)。写真のような豪華さで200円はお得感ありますね。

2020年06月29日 源陸中守@ポンコ2…①
白河小峰城



東北本線白河駅ホームから三重櫓や石垣がよく見えますが、駅は南にしか改札がないので、三重櫓や本丸・竹ノ丸・二ノ丸・三ノ丸一部分へは線路下を通ることになります。
この線路下は、白河小峰城の被災した様子や街道に関する説明など、見応えある掲示になってました。
線路下から二ノ丸のあるところまで、線路下を素通りすれば6~7分です。

二ノ丸藤門跡、二ノ丸内の小峰城歴史館付近に大手門礎石や空堀なども見られ、歴史館含め、会津門跡や外堀など、じっくり見たい場合は、それ相応の時間を要すと思います。
本丸・竹ノ丸に続く内堀前の清水門跡からそびえ立つ石垣が見られ、清水門を通り過ぎた正面に、修復された珍しい半円の落とし積み石垣があります。
桜之門跡や前御門から三重櫓や本丸などへ行けますが、白河小峰城の石垣は、他にも布積や乱積などいろんな表情があって楽しめるので、竹ノ丸や帯曲輪、外周などの石垣を見てまわるのも楽しかったです。
竹ノ丸二重櫓台の石垣積み方、印象的でした。
築城の名手丹羽長重の集大成を感じさせる城でした。

被災した石垣補修は終わった報道ありましたが、北側の水懸口付近や帯曲輪一部の石垣補修が続いてるようです。
個人的に、補修が終わってからもう一度ゆっくりまわりたい城でした。
被災補修に携わった方々に敬意を表して。


2020年05月13日 野呂利左衛門督休三
常宣寺[白河小峰城  寺社・史跡]



白川城南南東6㎞の場所に和泉式部が建てた庵が始まりとされているとか。永禄二(1559)年に本町に、丹羽長重の時代(寛永四[1627]年-寛永十四年)に現在地に移っています。
第二十二代の逸誉白雲は画僧として知られ、松平定信の「集古十集」の編纂に参画したそうです。
そのためか寺には松平定信筆の扁額や、定信の側室で真田幸貫(松代城主)の母の貞順院の墓、定信の孫の定業の墓があります。

または戊辰戦争関連では、新政府軍に処刑された奥羽越列藩同盟兵の供養塔や、戦死した棚倉藩家老の阿部正煕の墓があります。
なお、棚倉藩主の阿部家は戊辰戦争の前年(慶応三[1867]年)まで白河藩主でした。兵庫開港問題を巡る幕府と朝廷の軋轢で当主の正外が老中解任の上、隠居させられ、さらに棚倉に転封させられました。慶応四年に阿部家を白河に復す決定が出されていましたが、実行されていませんでした。そのため戊辰戦争当時の白河は幕府領でした。

[参考]
白河市観光物産協会 行って!みっぺ!白河「特集 白河の寺院-常宣寺」
白河市「木造扁額 常宣寺」
Wikipedia「阿部正外」


2020年05月11日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



【松平直矩・基知墓】
丹羽長重墓廟よりも上がった場所にあり、墓地の最も奥まった場所にあります。直矩の方が一段高い奥まった方です。(右の写真が直矩。真ん中のが基知)

松平直矩は徳川家康の次男の結城秀康の孫に当たり、生涯に5度の転封をしており、2019年に映画化された小説「引っ越し大名三千里」で採り上げられています。その採り上げられた転封は秀康系松平家(越前松平家)の宗家の松平光長家中の御家騒動の高田騒動での仲裁不手際によるもので、七万石に減封の上で豊後日田に転封になっています。それから出羽山形を経て陸奥白河に転封になっていますが、その都度加増を重ねられて十五万石に復しています。
基知は直矩の子で、父の直矩が度重なる転封の負担に喘いでいたのに対し、幕府からの手伝い普請に喘いでいます。
2人とも江戸で亡くなりましたが、直矩は荼毘に付し、基知は大甕に納めてこの地に運ばれています。

墓は両者とも高さ3.6mの五輪塔です。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



【松平清照墓】
奥平松平忠弘は松平忠明(徳川家康の子の信康の孫)の子で、清照はその長男です。しかし病弱だったため廃嫡され、忠弘の娘婿の乗守(忠尚)が世子に迎えられます。しかし忠尚の子と正室が相次いで亡くなったところに清照に子が生まれ(忠雅)、跡目を巡る騒動(白河騒動)が置きます。
一時は奥平松平家の取り潰しも取り沙汰されますが、五万石を減封された上、山形へ転封となりました。忠弘は隠居し忠雅が跡を継ぎます。清照はこの顛末を見届けることなく亡くなっています。

墓は谷の入り口近くの斜面を削った場所にあります。高さ2.8mの五輪塔です。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



市史跡としての名称は「白河藩大名家墓所」です。
谷奥に丹羽長重墓廟がありますが、その手前で右に折れると松平直矩・基知(越前松平家)の、遥か手前、谷の入り口には松平清照(奥平松平家)の墓があります。
今はありませんが、谷の入り口には寺があり、小南湖公園の池は元々はその寺の池だったそうです。その寺は各大名家の菩提寺で転封になる度に寺が替わっていました。
例えば丹羽家時代は大隣寺でしたが、同家の二本松転封に伴い移動しています。越前松平家の時の孝顕寺は現在は前橋にあります。奥平松平家の天祥寺は行田市の埼玉古墳群内にあります。
白河城主は7家21人いたそうですが、越前松平家、久松松平家、阿部家以外は40年にも満たずに入れ替わっています。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
乙姫桜[白河小峰城  その他]



妙関寺の見事な赤塗りの山門入ってすぐのところにあるベニシダレザクラ。伊達政宗にゆかりの桜とか。
将軍に献上しようと桜を運んで江戸に赴く途中、立ち寄った白河の寺の住職の求めに応えて苗を一本譲ったそうです。
当時は妙関寺はここにはなく、100年ほど後に移ってきたそうです。

2020年02月08日 DATE刑部卿梵天丸政宗
関川寺館[白河小峰城  周辺城郭]

白河市指定史跡。平成27年3月30日指定。

関川寺館跡は、現在の関川寺から白河市役所にかけて存在した中世の館跡です。

関川寺の西側から北西部分には、土塁跡と空堀跡が現存しています。館跡の形態は、江戸時代後半に描かれた「奥州白河城下絵図」の記載から、谷津田川の河川段丘を利用した、方形居館であったと考えられます。館の規模は、東西約220m、南北約180mと推定されます。残存する空堀は、幅15〜20m、土塁との比高差は最大で約10mになります。

年代は、遺構の形態から、鎌倉時代後期に白河結城氏の居館として築かれたことが始まりと考えられていますが、残存する土塁が際立って高く、戦国時代の終わり頃の特徴も見ることができます。

白河結城氏の館の様相を明らかにし、白河の中世史を解き明かす上で重要な遺構です。
(説明板より転記)

2019年11月02日 大満足征夷大将軍クララ姫
白河小峰城

【犬連れ情報】本丸広場まで犬連れOKでした。地域の方々も夕方のお散歩に来られていました。

2019年08月25日 Ninja河内守青影
白河小峰城

白黒のコントラストが素晴らしく、復元状況からも白河市のやる気がビンビン伝わって来ます!何より入城無料・駐車場無料が男前過ぎです!
また、北側の堀も土塁石垣も良く残っており、さらに整備復元を進めたらメガクラスの城にも劣らない名所になるポテンシャルはあるかと。非常に詳細精緻な図面が残ってるから可能なはず!あとはクラウドファンディングで賄いましょう。
まずは震災による石垣修復が完了してからですが、白河市の取り組みには敬意を表します!

2019年08月25日 くーりん
白河小峰城

城山公園内にある小峰城歴史館のVRシアター、解説の声が春風亭昇太師匠でした。

2019年08月15日 外記ぴっかる
三重櫓[白河小峰城  遺構・復元物]

ここにもスタンプありました

2019年04月24日 【籠城中】下野守智ぞう
白河小峰城



白河口の戦いの激戦区稲荷山。戦没者の慰霊碑あり。稲荷山は公園になっており、曲輪等の遺構あり。西郷頼母の歌碑や、説明版などあります。車10台くらい止められる駐車場あり。

2019年04月23日 野呂利左衛門督休三
白河結城氏館[白河小峰城  周辺城郭]

関川寺は白河結城氏の南北朝時代の館でした。境内には南北朝時代に活躍した結城宗広の五輪塔もあります。

2018年11月24日 ねこいんこ侍従
白河小峰城

最寄りの白河駅はSuica等の交通ICカード使えません。精算も現金です。
他駅でICで入場していた場合、証明書をもらって白河駅以外の駅でICのリセットしなくてはならないので、電車で行かれる方は注意してください。
お城のガイダンス施設を建設中で平成31年完成予定です。


2018年10月11日 織田上総介晃司
白河小峰城

白河小峰城に隣接して駐車場があります(白河駅側)

東日本大震災で石垣が崩落。初めて訪れた2011/04/29には石垣から立入禁止でした。
あれから7年で修復が行われたと思えば感慨深いものがあります。

三重櫓は木造復元されて、内部も無料で公開されてますが、入城者があまりにも多いと安全性から入城制限があります。ご注意を

2018年10月04日 ぷー姫=黄色頭巾の局
白河小峰城

*小峰城石垣の「すだれ(細工)」*
桜門台石垣と、袖石垣の全面にすだれの化粧がされているそうです。
すだれの始まりは、1657年明暦3年、の江戸大火で焼失した江戸城天守台の改装時が初めてで、以降、全国的に流行り出したとのこと。季節と一日のある時間に、光との関係で美しく見えるそうです。鈴木 啓 著「図説 城と石垣の歴史」より引用しました。もっと前から知りたかった。何人かの方の投稿写真に、美しいすだれが確認出来るものがありました!再訪せねば!

2018年09月25日 ♨️左衛門佐紺絹地六連銭
白河小峰城

白川小峰城、二本松城、会津若松城で各々福島三城スタンプを台紙に押して所定場所に提出すると可愛いお土産が貰えますね(^o^)
品物が終わり次第終了~皆さん御急ぎ下さい(^-^)/

2018年09月16日 フックドグランデ下総守
白河小峰城

一番近い高速道路ICは白川スマートICです、白川ICと矢吹ICの間に位置し、城まではとても近いです。ETCなら、上り下りとも東京方面や仙台方面に出入り可能です。

2018年08月16日 五色八重散椿常陸介長親69
白河小峰城

白河ラーメン追加です
小峰城近くの芭蕉亭も絶品でした

2018年08月16日 五色八重散椿常陸介長親69
白河小峰城

白河ラーメンのオススメは、新白河駅から国道289号線を南湖方面に進み、左側にフラワーパーク跡地の先右側にある火風鼎が美味しいです。かなりの人数が並んでいるので、諦めて隣の店などに行く人がいますが、、、私の白河ラーメンランキング1位火風鼎 2位 白河関近くの やたべ 3位 南湖神社近くの湖畔亭 とら食堂など有名店は沢山ありますが、便乗営業してる店も沢山ありますので要注意です

2018年08月15日 くろねこ駿河守⛩️【祈り】
白河小峰城

基本情報です。白河集古園苑AM9:00(ス)三重櫓跡(ス)の見学開門(清水門)AM9:30二の丸茶屋(ス) AM10:00 です。

2018年08月15日 【籠城中】下野守智ぞう
白河小峰城

白河小峰城二ノ丸茶屋でしか食べられない、白河だるまバーガー、

パンズにカツにカレー味ついており、たっぷり野菜と挟んであります。オススメ最近まで改装中でした二ノ丸茶屋。白河小峰城限定お土産も売ってますので、是非よって行ってください。

2018年08月15日 【籠城中】下野守智ぞう
白河小峰城

白河小峰城から10キロくらいの所にある、革籠原防塁跡、堀と土塁がしっかり残っており、徳川家康上杉征伐の時に上杉方が、佐竹とここで挟み撃ちにするはずだった、幻の白河の合戦の地があります。

2017年12月08日 ああ福島県大膳大夫城弾正
白河小峰城

小峰城の石垣をよく観察すると所々に積み方が異なる箇所が多数存在する。帯曲輪南西部石垣には下段は横目地が通る布積であるが、中段辺りから乱積であり、崩れた石垣を修復した事が確認できる。そのような石垣は随所に見られ、清水門西側石垣・桜門西側石垣・藤門北方石垣・本丸西側石垣など。竹の丸、清水門東側などは落とし積であり明治以降の修復である(後者は震災で崩れ修復)。
また、三重櫓台北側石垣には下段に古式の石垣が一部残存し、石材の大きさが異なる事から、丹羽氏以前の石垣の可能性がある。

2017年12月08日 ああ福島県大膳大夫城弾正
白河小峰城

小峰城の石垣は、石垣のあらゆる築造技法を観察でき、また、城が災害に遭いながら修復を繰り返した歴史を石垣に見ることが出来る貴重な遺構である。
本丸や帯曲輪には出角、入角や、鎬角、逆鎬角の石垣、震災前には石垣天端が上に反る気負い、同じく天端を内側に反らせる輪取りが見られた。しかし、修復工事により輪取りや気負いが失われてしまったのは残念でならない。
また帯曲輪には様々な刻印が見られ、荒目櫓台石垣には十字架のような刻印があり、話題になった。現在は修復工事の為立ち入り禁止である。

2017年05月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
白河小峰城

電車でも行けるし、駐車場も目の前の城ですね。
朝、夜は門が閉まっていて時間外は入れないお城ですね。

2016年12月02日 もっちん上総介
白河小峰城

城内二ノ丸茶屋の、白河だるまバーガー中々いけました。登城の際には、どうぞ!運気もアップするそうな...

2016年10月28日 野呂利左衛門督休三
白河小峰城

道場門跡は白河駅ロータリーの西隣にあります。因みに門跡のすぐそばの建物は図書館です。
遺構はほぼ基部のみですが、駅ホーム上り側の新白河寄りからも見ることができます。
道場門の名前の由来は、かつて門の場所に時宗の道場の小峰寺(しょうほうじ)があったことから。現在小峰寺は道場町に移っています。白河結城氏の菩提寺で県指定有形文化財の永禄二年制作の厨子があります。

2016年09月25日 【隠者】史学会帰新参
白河小峰城

 白河城の戦いでは仙台藩はとても弱く敵味方から「ドン五里兵」と言われて馬鹿にされていました。
 大砲の音を一発聞いたら五里逃げる事から名付けられました。弱兵と化した仙台藩の中でも喜平太は勇戦しました。
 それ以外も細谷直英(通称十太夫)が衝撃隊(通称からす組)を指揮して夜襲中心のゲリラ戦で戦い新政府軍をおおいに苦しめます。
 星恂太郎は仙台藩の洋式装備の額兵隊を指揮していました。額兵隊は新型の元込め式ライフル銃を装備して赤と黒のリバーシバルの軍服を着用していました。行軍時は赤の軍服、戦闘時は裏返して黒の軍服にして戦ったと言われています。訓練が終わり装備も整い戦闘可能になったら仙台藩は降伏しました。それを可としない恂太郎は志を同じくする250名の額兵隊と共に北海道に渡りました。その後は榎本武揚と共に函館に転進して新政府軍に勇戦します。行軍時は赤の軍服であった仙台藩最強の額兵隊は幕末の赤備えでした。
 真田喜平太、細谷十太夫、星恂太郎と配下の将兵は幕末に仙台武士の心意気を示しました。

2016年09月24日 【隠者】史学会帰新参
白河小峰城

 東北戊辰戦争の白河城の戦いでは仙台藩も出兵して戦っています。
 仙台藩から白河口参謀として真田喜平太幸歓も出陣します。真田喜平太は真田幸村次男の守信を祖とした仙台真田家の当主です。幕末江戸で高島秋帆の弟子下曽根金三郎から西洋砲術を学び、仙台藩に帰国後に西洋砲術指南役となります。
 白河に出征したときは仙台真田家の旗ではなく先祖の真田六連銭の旗を隊旗に使います。白河の戦いでは先祖に恥じぬ戦いぶりを見せます。自ら銃を取って戦い、弾丸が切れてあわや討ち死にとなるも会津の援兵がきて辛くも脱出できました。この時の戦いで敵弾は喜平太の陣笠を貫通したり、腰の短銃や刀に当たるも奇跡的に負傷しませんでした。
 明治になって石巻に移住して、明治20年64歳で死去します。

2016年08月13日 大蔵大輔おかよの方@松戸城
白河小峰城

2011年から復興を見守ること4回目の登城。やっと三重櫓に入ること叶いました!戊辰戦争白河口の戦いで銃撃戦となった所にあった杉を復元で使っているので、弾痕が3ヶ所。威力を知ることができます。
かねてより不評のバラ園もなくなってました(笑)これをよい機会によりすばらしい城址となりますよう!

2016年03月30日 野呂利左衛門督休三
白河小峰城

現在遺構が良く残るのは本丸、そのすぐ側の芝生が二の丸ですが、本丸東の三の丸も北側の石垣が残っています。
本丸東隣のハローワーク裏の高みも三の丸の一角ですが戊辰戦争の薩摩藩戦死者の墓があります。

三層櫓は一層の見学はスリッパを履けますが、二層以上へは安全面からかスリッパ禁止です。寒い季節は冷えますので、その辺のご準備を。

城下町は駅を挟んだ反対側になります。駅の出口は城下町側になり、地下道で線路をくぐる必要があります。城下町側の入口はいまどきな感じですが、城側のは城門を意識したデザイン。その辺りが三の丸門跡に当たるからでしょうか。ちょっとしたタイムトリップ気分になりました。

16.01.08探訪

2015年07月20日 まー刑部卿
白河小峰城

3回目の登城だが2回は震災後の修復工事で入れず今回初めて三階櫓に入る。三階櫓入口で百名城スタンプ推せるが真ん中だけ写らないため二の丸茶屋で押すといいでしょう。

2015年06月27日 まさ宮内卿猛虎
白河小峰城

先日、訪問した際には白河小峰城の駐車場を使えず、付近の公的機関や銀行駐車場を代替え利用。
石垣完全復旧は、来年末との事。
穴太衆により復旧した石垣は、初めて見るランダム模様に見入ってしまった。《穴太衆実にお見事!》
城の盛土は水堀の土利用だが、何度か石垣が崩壊したとか?櫓の近くに人柱を持って、崩壊の対策をした。犠牲になった娘さんが、可哀相でした。《人柱桜有り》
国・市と県で揉めた本格木造三重三階櫓は、史実に基づき復旧された。完成当初は櫓内は、入場禁止処置だったが、国の力添えで内覧可能となった。惜しむらくは、小屋組みに金物補強をしてる事です。丹羽長重《棚倉城から、移封》が築城した時には、金物補強はなかったと思います。《残念!》隅梁の楔止め・床板の黒柿釘止めは立派な物でした。
使用木材は、梁以外は無節の檜材、梁材は松のちょうな削り、今も探せば、立派な木材は揃えられるのですね。

2015年05月09日 はやえもん壱岐守行動休息中
白河小峰城

本丸、三階櫓内部まで解放されており開場時間が平日が朝の10時から午後4時まで…休日は朝の10時から午後5時までで無料です



2015年05月02日 松平大膳大夫元康
白河小峰城

百名城スタンプは、櫓入り口と、集古苑、甘味処(?)にありました。

2015年05月02日 金沢流北条信濃守源二郎
白河小峰城

天守の櫓入口に真新しい100名城のスタンプが置いてありました‼


2015年04月26日 とも左衛門佐
白河小峰城

本丸、三階櫓内部まで解放されていました!
二階、三階へは五名までの制限です。
私も約10年ぶりに三階櫓内部へ。史実に忠実に再現されているかと思うと感慨ひとしお。
震災で崩落した石垣も着実に修復が進んでいるようです。
私が幼少期を過ごした場所なので非常に嬉しいです!
桜は葉桜でしたが、三階櫓復活に満足です(^^)

2015年04月12日 虞美人草中務卿
白河小峰城

追記;百名城スタンプは集古苑の他に売店にも置いてます。

2015年04月12日 虞美人草中務卿
白河小峰城

完全な修復は2年後の春前を目指しているらしいですが、4月19日からGW期間中、本丸の一部まで解放されるそうです。
桜、持つと良いですね!

来週来たかった…

2015年02月28日 無銘
白河小峰城

白河小峰城は4月に入城できます。

2014年08月31日 土御門民部卿美影
白河小峰城

城の売店の人に聞きましたが、数日前に三重櫓に修復の為の幕がかかり、外観が全く見れなくなりました。

2014年03月30日 こにみん
白河小峰城

久しぶりに訪門するも震災復旧中で登城できず。重機で石垣など修復中で痛々しく感じた。

2013年11月07日 磐城守 j
白河小峰城

2013年10月現在、修復工事中です。
市によると、
2015年度に三重櫓公開。
2016年度までに修復完了を目指しているそうです。

2013年04月07日 大田原釆女正資清
白河小峰城

完全復旧は5〜6年掛かるとの情報を、現地の方から頂きました。暫くは二ノ丸から遠望を楽しむ事になりそうです。

2013年03月15日 練心
白河小峰城

白河小峰城。H25.3.15現在、復興作業中にて残念ながら中へ入れませんでした。

2012年08月19日 傾奇揚げ仙兵衛
白河小峰城

三重櫓封鎖中で入れません。2012/8/19

2012年06月23日 関白独眼竜梵天丸
白河小峰城

震災後2度目の再訪問、修復工事が進んでおり、今回本丸東丘陵が 国史跡追加指定され、国の支援のもと復旧作業が進む事を期待したい

2012年05月22日 大膳大夫マイリバ
白河小峰城

2012年5月20日に再訪しました
三重櫓自体は損傷軽微なれど、石垣崩落箇所が多く、完成復旧には5~7年はかかるとのこと(T-T)
100名城スタンプは集古苑と白河駅観光案内所で押すことができます

2011年06月14日 野舘宮内少輔サラマンダー
白河小峰城

2011年6月13日19時頃
北側の外堀から月と共に撮影
近くに住む親戚の方が案内してくれました
肝心の城内は震災の傷跡が多く残っているため閉鎖されていました…


2011年04月18日 半日皇帝下野守
白河小峰城

石垣が崩れている写真は、2011年4月17日撮影です

2011年03月20日 tomm加賀守
白河小峰城

今回の地震で、石垣が数箇所に渡ってかなり崩落し立入禁止箇所が多数あるそうです。

NTT東日本のライブカメラにて現状が見てとれますし、個人の方のブログでも石垣崩落箇所の写真をアップされてて見る事ができます。

2010年12月27日 足軽越中守一歩
白河小峰城

個人的には、城より石垣の積み方に興味あり!私にはアーチ状に見えますが!?写真もアップされてますね。係の人の話では、「強度にはかんけいが無し」とのこと、ではファッションなのか?今のところ、他では見かけてないが、あったら教えて欲しいです。

2010年09月25日 徳川内大臣源朝臣康武
白河小峰城

白河駅出て南側に、発掘調査で出土して露出展示されてる、道場門桝形の石垣がある。将来的にはどのような公開されるのだろう
以前訪れた時、三階櫓の形した陶器に入った地酒がお土産用に販売されてたので、買い求めようとしたら、製造中止したと
欲しかった入れ物が(笑)

2010年07月19日 μ1030SW
白河小峰城

公園として整備されています。


白河小峰城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 会津門跡(遺構・復元物)

 前御門(遺構・復元物)

 三重櫓(遺構・復元物)

 尾廻門跡(遺構・復元物)

 清水門跡(遺構・復元物)

 内堀跡(遺構・復元物)

 大手門跡の礎石(遺構・復元物)

 会津門跡(遺構・復元物)

 竹ノ丸跡(遺構・復元物)

 本丸御殿跡(遺構・復元物)

 桜之門跡(遺構・復元物)

 富士見櫓跡(遺構・復元物)

 雪見櫓跡(遺構・復元物)

 藤門跡(遺構・復元物)

 太鼓門跡(遺構・復元物)

 水堀(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 門跡(遺構・復元物)

 旧小峰城太鼓櫓(遺構・復元物)

 鎮護神山石垣(遺構・復元物)

 多聞櫓跡(遺構・復元物)

 矢之門跡(遺構・復元物)

 帯曲輪門跡(遺構・復元物)

 水懸(排水口)(遺構・復元物)

 文庫櫓跡(遺構・復元物)

 帯曲輪跡(遺構・復元物)

 元太鼓櫓門跡(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 三の丸門跡(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 内堀跡(遺構・復元物)

 丹羽長重公築城趾(碑・説明板)

 小峰城趾の碑(碑・説明板)

 奥州街道と白河城下(碑・説明板)

 戊辰の役古戦場(碑・説明板)

 戊辰の役薩摩藩戦死者墓(碑・説明板)

 奥州街道と白河城下・説明板(碑・説明板)

 遊女志げ女の碑(碑・説明板)

 道標(碑・説明板)

 仙台藩士戊辰戦歿者慰霊碑(碑・説明板)

 白河結城氏館(周辺城郭)

 関川寺館(周辺城郭)

 皇徳寺(寺社・史跡)

 丹羽長重墓(寺社・史跡)

 常宣寺(寺社・史跡)

 龍興寺(寺社・史跡)

 作事稲荷(寺社・史跡)

 官軍墓地(寺社・史跡)

 奥州街道・女石の追分(寺社・史跡)

 二ノ丸茶屋(御城印)

 白河観光物産協会(スタンプ)

 白河集古苑(スタンプ)

 二ノ丸茶屋(スタンプ)

 三重櫓(スタンプ)

 多機能トイレ(トイレ)

 ポケットパークのトイレ(トイレ)

 友月山児童公園(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 旧脇本陣柳屋旅館(関連施設)

 中町小路楽蔵(その他)

 おとめ桜(その他)

 乙姫桜(その他)

 石切場?(その他)

 JR白河駅観光案内所(その他)

 白河小峰城最古のものと言われている石垣(その他)

 奥州街道・根田宿(その他)

 奥州街道・渡河点(その他)

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