白河小峰城(しらかわこみねじょう)

白河小峰城の基本情報

通称・別名

白河城、小峰城

所在地

福島県白河市追廻46

旧国名

磐城国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1632年築/焼失(落城)]、複合式望楼型御三階櫓[3重3階/1991年再/木造復元)

築城主

結城親朝

築城年

興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)

主な改修者

丹羽長重

主な城主

結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

国史跡(小峰城跡)

再建造物

三重櫓、太鼓櫓、門、石碑、説明板

周辺の城

白川城(福島県白河市)[2.7km]
高助館(福島県西白河郡)[8.1km]
白河関(福島県白河市)[9.6km]
国神城(福島県西白河郡)[13.6km]
芦野城(栃木県那須郡)[16.7km]
長沼南古館(福島県須賀川市)[17.6km]
長沼城(福島県須賀川市)[18.0km]
棚倉城(福島県東白川郡)[19.1km]
伊王野城(栃木県那須郡)[19.6km]
三芦城(福島県石川郡)[21.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

13 白河小峰城

設置場所

三重櫓[地図
二ノ丸茶屋[地図
(公財)白河観光物産協会[地図
白河集古苑[地図
白河市役所内警備員室(観光物産協会の休業期間のみ)[地図

白河小峰城の解説文

白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、福島県白河市(陸奥国白河郡白河)にあった日本の城。単に小峰城ともいう。同市内にある白川城址と区別するため、白河城とはあまり呼ばれない。国の史跡に指定されている。ほか、日本100名城の1つに含まれる。

概要
阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられている。周辺は城山公園として整備され、公園内には結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」や「白河バラ園」(6月のみ営業)がある。

平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、平成27年(2015年)4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった。

歴史
近代以前
白河小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。

天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配したが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

翌慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した(白河口の戦い)。

近現代
明治6年(1873年)1月14日の廃城令では存城とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみだったが、平成3年(1991年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、平成6年(1994年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(13番)に選定された。...

白河小峰城の口コミ情報

2020年09月07日 武□下野守太郎N
白河小峰城



白河駅の前というか、駅が城の中なので、訪れやすい城です。震災の被害を大きく受けましたが、石垣の修復もかなり進んで見学に支障はありません。新しくガイダンス施設もできたのでオススメです。

2020年07月12日 ケムラー真田上野介信吉
二ノ丸茶屋[白河小峰城  関連施設]



御城印は昨年11月から販売されています(レジにて直接販売)。

写真のような豪華さで200円はお得感ありますね。

※二ノ丸茶屋にて販売。関連施設の項目を使わせて頂きました。


2020年06月29日 源摂津守@ポンコ2
白河小峰城



東北本線白河駅ホームから三重櫓や石垣がよく見えますが、駅は南にしか改札がないので、三重櫓や本丸・竹ノ丸・二ノ丸・三ノ丸一部分へは線路下を通ることになります。
この線路下は、白河小峰城の被災した様子や街道に関する説明など、見応えある掲示になってました。
線路下から二ノ丸のあるところまで、線路下を素通りすれば6~7分です。

二ノ丸藤門跡、二ノ丸内の小峰城歴史館付近に大手門礎石や空堀なども見られ、歴史館含め、会津門跡や外堀など、じっくり見たい場合は、それ相応の時間を要すと思います。
本丸・竹ノ丸に続く内堀前の清水門跡からそびえ立つ石垣が見られ、清水門を通り過ぎた正面に、修復された珍しい半円の落とし積み石垣があります。
桜之門跡や前御門から三重櫓や本丸などへ行けますが、白河小峰城の石垣は、他にも布積や乱積などいろんな表情があって楽しめるので、竹ノ丸や帯曲輪、外周などの石垣を見てまわるのも楽しかったです。
竹ノ丸二重櫓台の石垣積み方、印象的でした。
築城の名手丹羽長重の集大成を感じさせる城でした。

被災した石垣補修は終わった報道ありましたが、北側の水懸口付近や帯曲輪一部の石垣補修が続いてるようです。
個人的に、補修が終わってからもう一度ゆっくりまわりたい城でした。
被災補修に携わった方々に敬意を表して。


2020年05月13日 野呂利左衛門督休三
常宣寺[白河小峰城  寺社・史跡]



白川城南南東6㎞の場所に和泉式部が建てた庵が始まりとされているとか。永禄二(1559)年に本町に、丹羽長重の時代(寛永四[1627]年-寛永十四年)に現在地に移っています。
第二十二代の逸誉白雲は画僧として知られ、松平定信の「集古十集」の編纂に参画したそうです。
そのためか寺には松平定信筆の扁額や、定信の側室で真田幸貫(松代城主)の母の貞順院の墓、定信の孫の定業の墓があります。

または戊辰戦争関連では、新政府軍に処刑された奥羽越列藩同盟兵の供養塔や、戦死した棚倉藩家老の阿部正煕の墓があります。
なお、棚倉藩主の阿部家は戊辰戦争の前年(慶応三[1867]年)まで白河藩主でした。兵庫開港問題を巡る幕府と朝廷の軋轢で当主の正外が老中解任の上、隠居させられ、さらに棚倉に転封させられました。慶応四年に阿部家を白河に復す決定が出されていましたが、実行されていませんでした。そのため戊辰戦争当時の白河は幕府領でした。

[参考]
白河市観光物産協会 行って!みっぺ!白河「特集 白河の寺院-常宣寺」
白河市「木造扁額 常宣寺」
Wikipedia「阿部正外」


2020年05月11日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



【松平直矩・基知墓】
丹羽長重墓廟よりも上がった場所にあり、墓地の最も奥まった場所にあります。直矩の方が一段高い奥まった方です。(右の写真が直矩。真ん中のが基知)

松平直矩は徳川家康の次男の結城秀康の孫に当たり、生涯に5度の転封をしており、2019年に映画化された小説「引っ越し大名三千里」で採り上げられています。その採り上げられた転封は秀康系松平家(越前松平家)の宗家の松平光長家中の御家騒動の高田騒動での仲裁不手際によるもので、七万石に減封の上で豊後日田に転封になっています。それから出羽山形を経て陸奥白河に転封になっていますが、その都度加増を重ねられて十五万石に復しています。
基知は直矩の子で、父の直矩が度重なる転封の負担に喘いでいたのに対し、幕府からの手伝い普請に喘いでいます。
2人とも江戸で亡くなりましたが、直矩は荼毘に付し、基知は大甕に納めてこの地に運ばれています。

墓は両者とも高さ3.6mの五輪塔です。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



【松平清照墓】
奥平松平忠弘は松平忠明(徳川家康の子の信康の孫)の子で、清照はその長男です。しかし病弱だったため廃嫡され、忠弘の娘婿の乗守(忠尚)が世子に迎えられます。しかし忠尚の子と正室が相次いで亡くなったところに清照に子が生まれ(忠雅)、跡目を巡る騒動(白河騒動)が置きます。
一時は奥平松平家の取り潰しも取り沙汰されますが、五万石を減封された上、山形へ転封となりました。忠弘は隠居し忠雅が跡を継ぎます。清照はこの顛末を見届けることなく亡くなっています。

墓は谷の入り口近くの斜面を削った場所にあります。高さ2.8mの五輪塔です。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
丹羽長重墓[白河小峰城  寺社・史跡]



市史跡としての名称は「白河藩大名家墓所」です。
谷奥に丹羽長重墓廟がありますが、その手前で右に折れると松平直矩・基知(越前松平家)の、遥か手前、谷の入り口には松平清照(奥平松平家)の墓があります。
今はありませんが、谷の入り口には寺があり、小南湖公園の池は元々はその寺の池だったそうです。その寺は各大名家の菩提寺で転封になる度に寺が替わっていました。
例えば丹羽家時代は大隣寺でしたが、同家の二本松転封に伴い移動しています。越前松平家の時の孝顕寺は現在は前橋にあります。奥平松平家の天祥寺は行田市の埼玉古墳群内にあります。
白河城主は7家21人いたそうですが、越前松平家、久松松平家、阿部家以外は40年にも満たずに入れ替わっています。

2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
乙姫桜[白河小峰城  その他]



妙関寺の見事な赤塗りの山門入ってすぐのところにあるベニシダレザクラ。伊達政宗にゆかりの桜とか。
将軍に献上しようと桜を運んで江戸に赴く途中、立ち寄った白河の寺の住職の求めに応えて苗を一本譲ったそうです。
当時は妙関寺はここにはなく、100年ほど後に移ってきたそうです。

2020年02月08日 DATE弾正大弼梵天丸政宗
関川寺館土塁・空堀[白河小峰城  周辺城郭]

白河市指定史跡。平成27年3月30日指定。
 関川寺館跡は、現在の関川寺から白河市役所にかけて存在した中世の館跡です。
 関川寺の西側から北西部分には、土塁跡と空堀跡が現存しています。館跡の形態は、江戸時代後半に描かれた「奥州白河城下絵図」の記載から、谷津田川の河川段丘を利用した、方形居館であったと考えられます。館の規模は、東西約220m、南北約180mと推定されます。残存する空堀は、幅15〜20m、土塁との比高差は最大で約10mになります。
 年代は、遺構の形態から、鎌倉時代後期に白河結城氏の居館として築かれたことが始まりと考えられていますが、残存する土塁が際立って高く、戦国時代の終わり頃の特徴も見ることができます。
 白河結城氏の館の様相を明らかにし、白河の中世史を解き明かす上で重要な遺構です。
(説明板より転記)


2019年11月11日 因幡守さちえ
白河小峰城

2011年の地震から8年の歳月をかけ計10ヶ所の崩れた石垣の修復をした白川小峰城。修復の説明等が小峰城歴史館に掲示してあります。是非是非小峰城歴史館を先に見学した後に小峰城の石垣等を見て頂けたらと思いました。

写真は修復した石垣とは全く関係なし!ただ、当時の資料を元に復元したもの。したがって階段はなかなかの勾配。

2019年11月02日 北海道新幹線征夷大将軍クララ姫
白河小峰城

【犬連れ情報】本丸広場まで犬連れOKでした。地域の方々も夕方のお散歩に来られていました。

2019年08月25日 Ninja河内守青影
白河小峰城

白黒のコントラストが素晴らしく、復元状況からも白河市のやる気がビンビン伝わって来ます!何より入城無料・駐車場無料が男前過ぎです!
また、北側の堀も土塁石垣も良く残っており、さらに整備復元を進めたらメガクラスの城にも劣らない名所になるポテンシャルはあるかと。非常に詳細精緻な図面が残ってるから可能なはず!あとはクラウドファンディングで賄いましょう。
まずは震災による石垣修復が完了してからですが、白河市の取り組みには敬意を表します!

2019年08月25日 くーりん
白河小峰城

城山公園内にある小峰城歴史館のVRシアター、解説の声が春風亭昇太師匠でした。

2019年08月15日 外記ぴっかる
三重櫓[白河小峰城  遺構・復元物]

ここにもスタンプありました

2019年04月24日 那須オフ下野守智ぞう
白河小峰城



白河口の戦いの激戦区稲荷山。戦没者の慰霊碑あり。稲荷山は公園になっており、曲輪等の遺構あり。西郷頼母の歌碑や、説明版などあります。車10台くらい止められる駐車場あり。

2019年04月23日 野呂利左衛門督休三
白河結城氏館の土塁[白河小峰城  周辺城郭]

関川寺は白河結城氏の南北朝時代の館でした。境内には南北朝時代に活躍した結城宗広の五輪塔もあります。

2018年11月24日 ねこいんこ右京亮
白河小峰城

最寄りの白河駅はSuica等の交通ICカード使えません。精算も現金です。
他駅でICで入場していた場合、証明書をもらって白河駅以外の駅でICのリセットしなくてはならないので、電車で行かれる方は注意してください。
お城のガイダンス施設を建設中で平成31年完成予定です。


2018年10月11日 大納言織田晃司
白河小峰城

白河小峰城に隣接して駐車場があります(白河駅側)

東日本大震災で石垣が崩落。初めて訪れた2011/04/29には石垣から立入禁止でした。
あれから7年で修復が行われたと思えば感慨深いものがあります。

三重櫓は木造復元されて、内部も無料で公開されてますが、入城者があまりにも多いと安全性から入城制限があります。ご注意を

2018年10月04日 ぷー姫=黄色頭巾の局
白河小峰城

*小峰城石垣の「すだれ(細工)」*
桜門台石垣と、袖石垣の全面にすだれの化粧がされているそうです。
すだれの始まりは、1657年明暦3年、の江戸大火で焼失した江戸城天守台の改装時が初めてで、以降、全国的に流行り出したとのこと。季節と一日のある時間に、光との関係で美しく見えるそうです。鈴木 啓 著「図説 城と石垣の歴史」より引用しました。もっと前から知りたかった。何人かの方の投稿写真に、美しいすだれが確認出来るものがありました!再訪せねば!

2018年09月25日 お彼岸左衛門佐紺絹地六連銭
白河小峰城

白川小峰城、二本松城、会津若松城で各々福島三城スタンプを台紙に押して所定場所に提出すると可愛いお土産が貰えますね(^o^)
品物が終わり次第終了~皆さん御急ぎ下さい(^-^)/

2018年09月16日 フックドグランデ下総守
白河小峰城

一番近い高速道路ICは白川スマートICです、白川ICと矢吹ICの間に位置し、城まではとても近いです。ETCなら、上り下りとも東京方面や仙台方面に出入り可能です。

2018年08月16日 道元長親常陸介吉乃69
白河小峰城

白河ラーメン追加です
小峰城近くの芭蕉亭も絶品でした

2018年08月16日 道元長親常陸介吉乃69
白河小峰城

白河ラーメンのオススメは、新白河駅から国道289号線を南湖方面に進み、左側にフラワーパーク跡地の先右側にある火風鼎が美味しいです。かなりの人数が並んでいるので、諦めて隣の店などに行く人がいますが、、、私の白河ラーメンランキング1位火風鼎 2位 白河関近くの やたべ 3位 南湖神社近くの湖畔亭 とら食堂など有名店は沢山ありますが、便乗営業してる店も沢山ありますので要注意です

2018年08月15日 くろねこ駿河守⛩️【祈り】
白河小峰城

基本情報です。白河集古園苑AM9:00(ス)三重櫓跡(ス)の見学開門(清水門)AM9:30二の丸茶屋(ス) AM10:00 です。

2018年08月15日 那須オフ下野守智ぞう
白河小峰城

白河小峰城二ノ丸茶屋でしか食べられない、白河だるまバーガー、

パンズにカツにカレー味ついており、たっぷり野菜と挟んであります。オススメ最近まで改装中でした二ノ丸茶屋。白河小峰城限定お土産も売ってますので、是非よって行ってください。

2018年08月15日 那須オフ下野守智ぞう
白河小峰城

白河小峰城から10キロくらいの所にある、革籠原防塁跡、堀と土塁がしっかり残っており、徳川家康上杉征伐の時に上杉方が、佐竹とここで挟み撃ちにするはずだった、幻の白河の合戦の地があります。

2017年12月08日 八紘一宇大膳大夫城弾正
白河小峰城

小峰城の石垣をよく観察すると所々に積み方が異なる箇所が多数存在する。帯曲輪南西部石垣には下段は横目地が通る布積であるが、中段辺りから乱積であり、崩れた石垣を修復した事が確認できる。そのような石垣は随所に見られ、清水門西側石垣・桜門西側石垣・藤門北方石垣・本丸西側石垣など。竹の丸、清水門東側などは落とし積であり明治以降の修復である(後者は震災で崩れ修復)。
また、三重櫓台北側石垣には下段に古式の石垣が一部残存し、石材の大きさが異なる事から、丹羽氏以前の石垣の可能性がある。

2017年12月08日 八紘一宇大膳大夫城弾正
白河小峰城

小峰城の石垣は、石垣のあらゆる築造技法を観察でき、また、城が災害に遭いながら修復を繰り返した歴史を石垣に見ることが出来る貴重な遺構である。
本丸や帯曲輪には出角、入角や、鎬角、逆鎬角の石垣、震災前には石垣天端が上に反る気負い、同じく天端を内側に反らせる輪取りが見られた。しかし、修復工事により輪取りや気負いが失われてしまったのは残念でならない。
また帯曲輪には様々な刻印が見られ、荒目櫓台石垣には十字架のような刻印があり、話題になった。現在は修復工事の為立ち入り禁止である。

2017年09月10日 左近衛大将ピアロッテ
白河小峰城

売店が来年の3月の改修までありません。自販機も園内にはないので飲み物などは他で買っていった方がいいと思います。なお一番近くの自販機にはゴミ箱がないのでゴミは持ち帰りましょう。

2017年05月09日 五瓜ニ唐花紋左大臣や~きみ
白河小峰城

電車でも行けるし、駐車場も目の前の城ですね。
朝、夜は門が閉まっていて時間外は入れないお城ですね。

2016年12月02日 もっちん上総介
白河小峰城

城内二ノ丸茶屋の、白河だるまバーガー中々いけました。登城の際には、どうぞ!運気もアップするそうな...

2016年10月28日 野呂利左衛門督休三
白河小峰城

道場門跡は白河駅ロータリーの西隣にあります。因みに門跡のすぐそばの建物は図書館です。
遺構はほぼ基部のみですが、駅ホーム上り側の新白河寄りからも見ることができます。
道場門の名前の由来は、かつて門の場所に時宗の道場の小峰寺(しょうほうじ)があったことから。現在小峰寺は道場町に移っています。白河結城氏の菩提寺で県指定有形文化財の永禄二年制作の厨子があります。

2016年09月25日 伊達常陸入道ねんさい能登守
白河小峰城

 白河城の戦いでは仙台藩はとても弱く敵味方から「ドン五里兵」と言われて馬鹿にされていました。
 大砲の音を一発聞いたら五里逃げる事から名付けられました。弱兵と化した仙台藩の中でも喜平太は勇戦しました。
 それ以外も細谷直英(通称十太夫)が衝撃隊(通称からす組)を指揮して夜襲中心のゲリラ戦で戦い新政府軍をおおいに苦しめます。
 星恂太郎は仙台藩の洋式装備の額兵隊を指揮していました。額兵隊は新型の元込め式ライフル銃を装備して赤と黒のリバーシバルの軍服を着用していました。行軍時は赤の軍服、戦闘時は裏返して黒の軍服にして戦ったと言われています。訓練が終わり装備も整い戦闘可能になったら仙台藩は降伏しました。それを可としない恂太郎は志を同じくする250名の額兵隊と共に北海道に渡りました。その後は榎本武揚と共に函館に転進して新政府軍に勇戦します。行軍時は赤の軍服であった仙台藩最強の額兵隊は幕末の赤備えでした。
 真田喜平太、細谷十太夫、星恂太郎と配下の将兵は幕末に仙台武士の心意気を示しました。

2016年09月24日 伊達常陸入道ねんさい能登守
白河小峰城

 東北戊辰戦争の白河城の戦いでは仙台藩も出兵して戦っています。
 仙台藩から白河口参謀として真田喜平太幸歓も出陣します。真田喜平太は真田幸村次男の守信を祖とした仙台真田家の当主です。幕末江戸で高島秋帆の弟子下曽根金三郎から西洋砲術を学び、仙台藩に帰国後に西洋砲術指南役となります。
 白河に出征したときは仙台真田家の旗ではなく先祖の真田六連銭の旗を隊旗に使います。白河の戦いでは先祖に恥じぬ戦いぶりを見せます。自ら銃を取って戦い、弾丸が切れてあわや討ち死にとなるも会津の援兵がきて辛くも脱出できました。この時の戦いで敵弾は喜平太の陣笠を貫通したり、腰の短銃や刀に当たるも奇跡的に負傷しませんでした。
 明治になって石巻に移住して、明治20年64歳で死去します。

2016年08月13日 大蔵大輔おかよの方@松戸城
白河小峰城

2011年から復興を見守ること4回目の登城。やっと三重櫓に入ること叶いました!戊辰戦争白河口の戦いで銃撃戦となった所にあった杉を復元で使っているので、弾痕が3ヶ所。威力を知ることができます。
かねてより不評のバラ園もなくなってました(笑)これをよい機会によりすばらしい城址となりますよう!

2016年03月30日 野呂利左衛門督休三
白河小峰城

現在遺構が良く残るのは本丸、そのすぐ側の芝生が二の丸ですが、本丸東の三の丸も北側の石垣が残っています。
本丸東隣のハローワーク裏の高みも三の丸の一角ですが戊辰戦争の薩摩藩戦死者の墓があります。

三層櫓は一層の見学はスリッパを履けますが、二層以上へは安全面からかスリッパ禁止です。寒い季節は冷えますので、その辺のご準備を。

城下町は駅を挟んだ反対側になります。駅の出口は城下町側になり、地下道で線路をくぐる必要があります。城下町側の入口はいまどきな感じですが、城側のは城門を意識したデザイン。その辺りが三の丸門跡に当たるからでしょうか。ちょっとしたタイムトリップ気分になりました。

16.01.08探訪

2015年07月20日 まー刑部卿
白河小峰城

3回目の登城だが2回は震災後の修復工事で入れず今回初めて三階櫓に入る。三階櫓入口で百名城スタンプ推せるが真ん中だけ写らないため二の丸茶屋で押すといいでしょう。

2015年06月27日 まさ宮内卿猛虎
白河小峰城

先日、訪問した際には白河小峰城の駐車場を使えず、付近の公的機関や銀行駐車場を代替え利用。
石垣完全復旧は、来年末との事。
穴太衆により復旧した石垣は、初めて見るランダム模様に見入ってしまった。《穴太衆実にお見事!》
城の盛土は水堀の土利用だが、何度か石垣が崩壊したとか?櫓の近くに人柱を持って、崩壊の対策をした。犠牲になった娘さんが、可哀相でした。《人柱桜有り》
国・市と県で揉めた本格木造三重三階櫓は、史実に基づき復旧された。完成当初は櫓内は、入場禁止処置だったが、国の力添えで内覧可能となった。惜しむらくは、小屋組みに金物補強をしてる事です。丹羽長重《棚倉城から、移封》が築城した時には、金物補強はなかったと思います。《残念!》隅梁の楔止め・床板の黒柿釘止めは立派な物でした。
使用木材は、梁以外は無節の檜材、梁材は松のちょうな削り、今も探せば、立派な木材は揃えられるのですね。

2015年05月09日 はやえもん壱岐守行動休息中
白河小峰城

本丸、三階櫓内部まで解放されており開場時間が平日が朝の10時から午後4時まで…休日は朝の10時から午後5時までで無料です



2015年05月02日 松平治部大輔元康
白河小峰城

百名城スタンプは、櫓入り口と、集古苑、甘味処(?)にありました。

2015年05月02日 金沢流北条掃部助しんのすけ
白河小峰城

天守の櫓入口に真新しい100名城のスタンプが置いてありました‼


2015年04月26日 とも左衛門佐
白河小峰城

本丸、三階櫓内部まで解放されていました!
二階、三階へは五名までの制限です。
私も約10年ぶりに三階櫓内部へ。史実に忠実に再現されているかと思うと感慨ひとしお。
震災で崩落した石垣も着実に修復が進んでいるようです。
私が幼少期を過ごした場所なので非常に嬉しいです!
桜は葉桜でしたが、三階櫓復活に満足です(^^)

2015年04月12日 虞美人草中務卿
白河小峰城

追記;百名城スタンプは集古苑の他に売店にも置いてます。

2015年04月12日 虞美人草中務卿
白河小峰城

完全な修復は2年後の春前を目指しているらしいですが、4月19日からGW期間中、本丸の一部まで解放されるそうです。
桜、持つと良いですね!

来週来たかった…

2015年02月28日 無銘
白河小峰城

白河小峰城は4月に入城できます。

2014年08月31日 土御門刑部卿美影
白河小峰城

城の売店の人に聞きましたが、数日前に三重櫓に修復の為の幕がかかり、外観が全く見れなくなりました。

2014年03月30日 こにみん
白河小峰城

久しぶりに訪門するも震災復旧中で登城できず。重機で石垣など修復中で痛々しく感じた。

2013年11月07日 磐城守 j
白河小峰城

2013年10月現在、修復工事中です。
市によると、
2015年度に三重櫓公開。
2016年度までに修復完了を目指しているそうです。

2013年04月07日 大田原釆女正資清
白河小峰城

完全復旧は5〜6年掛かるとの情報を、現地の方から頂きました。暫くは二ノ丸から遠望を楽しむ事になりそうです。

2013年03月15日 荒 心
白河小峰城

白河小峰城。H25.3.15現在、復興作業中にて残念ながら中へ入れませんでした。

2012年08月19日 傾奇揚げ仙兵衛
白河小峰城

三重櫓封鎖中で入れません。2012/8/19

2012年06月23日 リハビリ中納言独眼竜梵天丸
白河小峰城

震災後2度目の再訪問、修復工事が進んでおり、今回本丸東丘陵が 国史跡追加指定され、国の支援のもと復旧作業が進む事を期待したい

2012年05月22日 あと2城副将軍マイリバ
白河小峰城

2012年5月20日に再訪しました
三重櫓自体は損傷軽微なれど、石垣崩落箇所が多く、完成復旧には5~7年はかかるとのこと(T-T)
100名城スタンプは集古苑と白河駅観光案内所で押すことができます

2011年06月14日 野舘宮内少輔サラマンダー
白河小峰城

2011年6月13日19時頃
北側の外堀から月と共に撮影
近くに住む親戚の方が案内してくれました
肝心の城内は震災の傷跡が多く残っているため閉鎖されていました…


2011年04月18日 半日皇帝下野守
白河小峰城

石垣が崩れている写真は、2011年4月17日撮影です

2011年03月20日 tomm加賀守
白河小峰城

今回の地震で、石垣が数箇所に渡ってかなり崩落し立入禁止箇所が多数あるそうです。

NTT東日本のライブカメラにて現状が見てとれますし、個人の方のブログでも石垣崩落箇所の写真をアップされてて見る事ができます。

2010年12月27日 足軽越中守一歩
白河小峰城

個人的には、城より石垣の積み方に興味あり!私にはアーチ状に見えますが!?写真もアップされてますね。係の人の話では、「強度にはかんけいが無し」とのこと、ではファッションなのか?今のところ、他では見かけてないが、あったら教えて欲しいです。

2010年09月25日 徳川内大臣源朝臣康武
白河小峰城

白河駅出て南側に、発掘調査で出土して露出展示されてる、道場門桝形の石垣がある。将来的にはどのような公開されるのだろう
以前訪れた時、三階櫓の形した陶器に入った地酒がお土産用に販売されてたので、買い求めようとしたら、製造中止したと
欲しかった入れ物が(笑)

2010年07月19日 μ1030SW
白河小峰城

公園として整備されています。


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