高助館(たかすけたて)
高助館の基本情報
通称・別名
- 斑目館
所在地
- 福島県西白河郡西郷村鶴生字高助
旧国名
- 磐城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 斑目則常
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、横堀(空堀)、犬走り
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
白河小峰城(福島県白河市)[8.0km]
白川城(福島県白河市)[10.5km]
長沼南古館(福島県須賀川市)[15.3km]
白河関(福島県白河市)[15.5km]
長沼城(福島県須賀川市)[16.2km]
芦野城(栃木県那須郡)[19.7km]
国神城(福島県西白河郡)[20.2km]
伊王野城(栃木県那須郡)[22.6km]
須賀川城(福島県須賀川市)[25.6km]
棚倉城(福島県東白川郡)[26.9km]
高助館の口コミ情報
2026年08月30日 マグロ常陸介祐平
南館[高助館 周辺城郭]
南大膳の居館とされているようです。嫁塚館から南に約500m程にある大龍寺の西側から南側にかけての台地が城址となります。白河市歴史民俗資料館にある、鹿嶋神社の別当寺の最勝寺(廃寺)の天文13年(1544年)に作られた銅鐘(県指定文化財)の銘文に白河結城氏義綱・晴綱親子の名とともに結城一族の南左馬頭恵綱や近隣の和知直頼(柏野館主)の名が見られ、鋳物師も西郷村内の米村在住の早川但馬守清次となっていることから、南大膳も結城氏の一族に連なる武将かもしれません。お城と隣接する大龍寺は慶長9年に現在地に移転したと伝わり、立地的には居館跡かもしれません。大龍寺は、近隣の小館山館主安良勘解由が開基のようです。
お寺の南側の墓地の上段は細長い曲輪状の削平地、西側は一段高い曲輪で、さらに西側ピーク部分は訪問当日にユンボが入り、地形がわかりづらくなっていました。いずれにしても明確な城郭的な構造は、見当たらない感じでした。
大龍寺には、戊辰戦争の白河口の戦いのひとつの戸の内の戦いで討死した、千葉周作の高弟森要蔵や子の虎尾など上総飯尾藩5名と会津藩15名の合葬墓があります。
2026年08月28日 マグロ常陸介祐平
嫁塚館B[高助館 周辺城郭]
嫁塚隼人の居館とされているようです。地理的に白河結城氏の家臣でしょうか。先人様が「嫁塚館A」と「嫁塚館B」を位置登録されており、今回は「嫁塚館B」に立ち寄りました。
下羽太地区集落センターに隣接する小高い独立した岡が該当地となります。岡の上部の狭い削平地に愛宕神社が鎮座し、社殿の左奥には土塁状の土盛りが僅かに見られます。簡易的な砦のような印象です。東側には細尾根状に坂となり、その先には居館跡にも見える微高地となっています。
遺跡としての嫁塚館は「嫁塚館A」の方で、遺構としては中世の土塁と空堀、出土した遺物は中世の鉄滓・羽口・銭貨となっています。「嫁塚館A」は小字嫁塚に存在していますが、立ち寄った「嫁塚館B」は小字狸屋敷(ムジナヤシキ、いかにも城館がありそうな地名)にあることから、「嫁塚館B」は嫁塚館ではなく、別の屋敷跡の可能性があるように感じられます。
2025年01月09日 猿関白・大宰大弐藤重真
高助館
道は整備されているとは言い難いので、実際攻城される場合は、お気を付けて。









