芦野城(あしのじょう)
芦野城の基本情報
通称・別名
- 桜ヶ城、御殿山、芦野陣屋、芦野氏陣屋
所在地
- 栃木県那須郡那須町芦野
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 芦野資興
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 芦野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
伊王野城(栃木県那須郡)[2.9km]
白河関(福島県白河市)[8.7km]
黒羽城(栃木県大田原市)[13.8km]
白川城(福島県白河市)[15.4km]
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大田原城(栃木県大田原市)[17.6km]
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真木城(栃木県那須塩原市)[24.6km]
芦野城の解説文
芦野城の口コミ情報
2023年05月05日 マグロ常陸介祐平
芦野氏居館[芦野城 周辺城郭]
芦野氏の古い時期の居館です。田んぼが広がる中で、館跡部分のみ高くなっているため、遠くからも位置がわかります。
探訪館の方から土塁の痕跡が少しだけ分かると伺いましたが、その通りでした。
2023年05月05日 マグロ常陸介祐平
芦野城
江戸時代に陣屋として使用された二の丸には北西と南東に土塁が残り、二の丸の北東側に平行して四つの曲輪と奥にも一つ曲輪があり、それぞれ深い堀で仕切られているのが縄張り図通りによくわかります。
城のすぐ下には那須歴史探訪館があり、那須町全般の歴史を学ぶことができます。
芦野の町全体の雰囲気もよく、陣屋の裏門や武家屋敷門(小型ながら石垣の枡形)などを見ることが出来ます。
芦野氏の江戸期の墓は、城の北側にある建中寺にズラリと並んでいます。
2022年10月17日 里のシロクマ侍従
芦野城
2019年5月に1度訪城。今回はリア攻めの為訪城。駐車場とトイレは資料館の奥にあります。芦野城は、芦野氏3番の城として、戦国時代に芦野資興が築城(太田道灌の兵法を学び築城したそうです)那須一族として明治維新まで続き、城も陣屋てして明治維新まで使用されたそうです。(毎日この坂を登ると思うと大変だったと思います。(比高差60m))特異な縄張り陣屋があった削平された部分と本郭の3つの郭が堀により独立。本郭の北側には、開折谷が空堀の役割りをし、東、西、南の三方に土塁を築き、表門南下に竪堀が確認できます。小口は陣屋跡ね西に表門、裏門、東に搦め手にあり、本郭北にもう一つ確認できます。この城の見所は、各郭を寸断する堀切、深さ、幅のあるところです。自然地形を利用した「土の城」よくぞ残っていてくれました。
2022年04月25日 大膳大夫しろし
芦野城
麓の歴史資料館の方に縄張り図を見せてもらい ついでにコピーも一枚してもらって拝見しました。槙の奥の方は薮ががキツくて諦めました。キレイに整備してあるのでとても見やすいです。
2021年05月04日 ファン掃部助トム治郎
芦野城
西から那須岳の裾野がなだらかにつづきJR線路をこえたあたりから地形がかわります。那珂川支川で形成された河岸段丘が高低差をつくりだし、八溝山塊へと続きます。芦野は奥州街道の関東最北の宿場町。二の丸奥の奥の樹齢500年の槙の木が立派でした。空堀、堀切など残り見ごたえあります。
2021年01月12日 篠沼大膳大夫義久
芦野城
鎌倉?に那須氏から別れた那須七騎の一。豊臣政権と江戸時代をサバイブして最終は旗本。その間、平地にある館と詰めの館山から、すぐ東の山上のこちらに移り、江戸時代は陣屋支配。といっても、芦野城の一番ひろい曲輪に陣屋。つまりは事実上使い続けたんですね。万石以下の参勤交代あり無役寄合旗本。故に明治は華族ではなく士族。とはいいつつ、長い歴史を紡いでいるのは凄いですね。
2020年09月29日 【籠城中】下野守智ぞう
芦野城
芦野城近くの武家屋敷門。枡形になってます。付近の石垣も江戸時代のものですし、見落としがちですが必見です✨
2020年09月27日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
芦野城
絶賛です!
中世の部分と近世の陣屋部分が同居しています。平山城と分類されていますが、実質は山城。深〜い堀切、急傾斜の段郭は素晴らしいです。
2020年05月02日 クルス秋田城介トッツィー
館山城[芦野城 周辺城郭]
築城は応永年間(1394〜1428)で、1550年頃(天文年間)に芦野城に移るまでの約150年間、芦野氏の居城だったそうです。
2017年11月04日 フー甲斐守
芦野城
道の駅東山道伊王野の水車蕎麦、美味しかったです。小腹の空いた芦野城リア攻め後にお試ししてみては如何でしょう(^o^)
2016年11月03日 まー刑部卿
芦野城
町営無料駐車場へ駐車し郵便局のところを右折しまず家老も勤めた旧平久江家の武家屋敷門と構えを見た後に城跡へ行きました。登城口には『那須歴史探訪館』の長屋門があり奥に駐車場があるのでこちらに駐車したほうが城跡に行きやすいです。裏門が移築現存(一部改築)しており場所は国道294号線を大田原市方面に進むと左手の民家にあります。目印は【NTT芦野電話交換センター】もしくは【矢崎エナジーシステム株式会社 芦野作業所】でその手前にあります。駐車場はもちろんなく路駐になります。
2016年05月09日 まさ宮内卿猛虎
芦野城
芦野城は、与一兄弟の子孫が城を築いたと言われますが、それ以前に族が居たようです。
時は平安時代末期、ある書には、芦野族と那須家の鍋掛原での抗争の記録が有り、与一が元服前では有ったが参戦し、騎馬上から弓を射て多数の武功を上げたと有ります。
概要
芦野氏の近世の居城(陣屋)跡。奈良川の東岸にあり、芦野の町並みを見おろす丘陵上に位置している。面積は約3haで、現在は山林と公園になっている。構造
居城は、自然の丘陵を大規模に加工して造った平山城的なものである。本丸と二の丸、三の丸に相当する郭があり、二の丸には表門と裏門そして御殿や蔵があった。御殿は、木羽葺で間口約29m、奥行約11mあり、玄関、客間、奥の間、大広間、宿直間、仲間部屋、広敷台等に区切られていた。また建物の奥には陰殿(トイレ)もあった。
歴史
築城時期
構築の年代には2説あり、1つは天文年間(1532~55)芦野資興の代であり、もう1つは天正18年(1590)芦野盛泰の代であるが、城の形式から前者の説が妥当と考えられている。明治4年(1871)廃藩置県まで約300数10年間ここに芦野氏の居城があった。城主
芦野氏は古い歴史を持つが、ここに居城を築く頃から最盛期を迎える。特に15代資泰や16代盛泰らは、戦国時代に那須氏一族最北の雄として多くの合戦で活躍した。天正18年(1590)盛泰は秀吉に本領を安堵され、那須七騎の一家として振るい、江戸時代には交代寄合(旗本)となり、3016石の領主となった。参考文献
・『那須町の文化遺産』ウェブサイト。