常宣寺
常宣寺([白河小峰城 寺社・史跡])
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常宣寺の口コミ情報
2020年05月13日 野呂利左衛門督休三
白川城南南東6㎞の場所に和泉式部が建てた庵が始まりとされているとか。永禄二(1559)年に本町に、丹羽長重の時代(寛永四[1627]年-寛永十四年)に現在地に移っています。
第二十二代の逸誉白雲は画僧として知られ、松平定信の「集古十集」の編纂に参画したそうです。
そのためか寺には松平定信筆の扁額や、定信の側室で真田幸貫(松代城主)の母の貞順院の墓、定信の孫の定業の墓があります。
または戊辰戦争関連では、新政府軍に処刑された奥羽越列藩同盟兵の供養塔や、戦死した棚倉藩家老の阿部正煕の墓があります。
なお、棚倉藩主の阿部家は戊辰戦争の前年(慶応三[1867]年)まで白河藩主でした。兵庫開港問題を巡る幕府と朝廷の軋轢で当主の正外が老中解任の上、隠居させられ、さらに棚倉に転封させられました。慶応四年に阿部家を白河に復す決定が出されていましたが、実行されていませんでした。そのため戊辰戦争当時の白河は幕府領でした。
[参考]
白河市観光物産協会 行って!みっぺ!白河「特集 白河の寺院-常宣寺」
白河市「木造扁額 常宣寺」
Wikipedia「阿部正外」