丹羽長重墓
丹羽長重墓([白河小峰城 寺社・史跡])
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丹羽長重墓の口コミ情報
2020年05月11日 野呂利左衛門督休三
【松平直矩・基知墓】
丹羽長重墓廟よりも上がった場所にあり、墓地の最も奥まった場所にあります。直矩の方が一段高い奥まった方です。(右の写真が直矩。真ん中のが基知)
松平直矩は徳川家康の次男の結城秀康の孫に当たり、生涯に5度の転封をしており、2019年に映画化された小説「引っ越し大名三千里」で採り上げられています。その採り上げられた転封は秀康系松平家(越前松平家)の宗家の松平光長家中の御家騒動の高田騒動での仲裁不手際によるもので、七万石に減封の上で豊後日田に転封になっています。それから出羽山形を経て陸奥白河に転封になっていますが、その都度加増を重ねられて十五万石に復しています。
基知は直矩の子で、父の直矩が度重なる転封の負担に喘いでいたのに対し、幕府からの手伝い普請に喘いでいます。
2人とも江戸で亡くなりましたが、直矩は荼毘に付し、基知は大甕に納めてこの地に運ばれています。
墓は両者とも高さ3.6mの五輪塔です。
2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
【松平清照墓】
奥平松平忠弘は松平忠明(徳川家康の子の信康の孫)の子で、清照はその長男です。しかし病弱だったため廃嫡され、忠弘の娘婿の乗守(忠尚)が世子に迎えられます。しかし忠尚の子と正室が相次いで亡くなったところに清照に子が生まれ(忠雅)、跡目を巡る騒動(白河騒動)が置きます。
一時は奥平松平家の取り潰しも取り沙汰されますが、五万石を減封された上、山形へ転封となりました。忠弘は隠居し忠雅が跡を継ぎます。清照はこの顛末を見届けることなく亡くなっています。
墓は谷の入り口近くの斜面を削った場所にあります。高さ2.8mの五輪塔です。
2020年05月10日 野呂利左衛門督休三
市史跡としての名称は「白河藩大名家墓所」です。
谷奥に丹羽長重墓廟がありますが、その手前で右に折れると松平直矩・基知(越前松平家)の、遥か手前、谷の入り口には松平清照(奥平松平家)の墓があります。
今はありませんが、谷の入り口には寺があり、小南湖公園の池は元々はその寺の池だったそうです。その寺は各大名家の菩提寺で転封になる度に寺が替わっていました。
例えば丹羽家時代は大隣寺でしたが、同家の二本松転封に伴い移動しています。越前松平家の時の孝顕寺は現在は前橋にあります。奥平松平家の天祥寺は行田市の埼玉古墳群内にあります。
白河城主は7家21人いたそうですが、越前松平家、久松松平家、阿部家以外は40年にも満たずに入れ替わっています。