小浜城(おばまじょう)

小浜城の基本情報

通称・別名

下館

所在地

福島県二本松市小浜字下館

旧国名

岩代国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

不明

築城主

大内宗政

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

蒲生氏郷

主な城主

大内氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏

廃城年

寛永4年(1627)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宮森城(福島県二本松市)[1.9km]
小手森城(福島県二本松市)[7.0km]
二本松城(福島県二本松市)[8.4km]
田地ケ岡館(福島県二本松市)[9.4km]
八丁目城(福島県福島市)[11.8km]
瀬戸川館(福島県本宮市)[12.3km]
河股城(福島県伊達郡)[12.9km]
三春城(福島県田村郡)[13.6km]
常盤城(福島県田村市)[18.2km]
大森城(福島県福島市)[19.3km]

小浜城の解説文



小浜城(おばまじょう)は、福島県二本松市にあった戦国時代の日本の城(山城)。現在は本丸跡が史跡公園として整備されている。

歴史・沿革 

小浜城のある塩松地方(現在の福島県二本松市の一部を含む)は、室町時代には石橋氏の所領であった。小浜城はその家臣・大内氏の、大内宗政が文明3年(1471年)に築いたといわれている[1]。永禄11年(1568年)、小浜城主・大内義綱は田村氏に通じて主家の石橋尚義を追放し、塩松地方一帯を支配下に置いた。大内氏はその後、田村氏からの独立を目論んで伊達氏・蘆名氏の側に転じた。天正12年(1584年)に伊達政宗が家督を継ぐと、当主・大内定綱は引き続き伊達氏への従属を誓ったが、翌年には離反し、蘆名氏に属する。これに対し、政宗は自ら軍を率いて塩松地方へ攻め込み、支城の小手森城を攻め落とすと、その勢いで塩松地方の制圧に成功した。小浜城の大内定綱は蘆名氏を頼って逃亡し、政宗は小浜城へ無血入城することができた。この後政宗は小浜城を二本松氏攻撃の拠点とし、天正14年(1586年)8月までの約1年間滞在した。政宗の父・輝宗が二本松義継に拉致殺害された事件(粟之巣の変事)が起きたのもこの小浜城滞在期間中である。なお、定綱は郡山合戦の際に伊達成実の調略によって帰参し、後に伊達家の重臣となった。天正19年(1591年)、奥州仕置によって塩松が蒲生氏郷領となると、家臣の蒲生忠右衛門が2万5千石を与えられて小浜城代となった。現在、本丸跡に残されている石垣はこの時築造されたものである。その後、上杉氏時代は山浦景国、再蒲生時代は玉井貞右が城代となり、寛永4年(1627年)廃城となった。

構造 

小浜城跡は二本松市役所岩代支所(旧岩代町役場)東側の丘陵一帯である。最も高い平場を本丸とし、その四方に6つのやや大きめの郭が存在し、さらに南西方向は小規模な郭を階段状に配置している。本丸跡は昭和56年(1981年)に発掘調査されており、7棟の掘立建物跡が確認されている。また、本丸入口に現存する石垣は蒲生氏郷時代のものと推定されている。現在、郭は畑になり解りづらい、堀切は道路になっていたり、他の堀切には倉庫が置かれている。本丸跡は公園となっていて、大内氏の子孫により、大内氏の碑が建てられてる。

小浜城跡の南方約2kmに宮森城跡がある。小浜城は下舘、宮森城は上舘とも称され、両城一体となって小浜城の防御が戦略的に可能になるといえる。

小浜城の口コミ情報

2023年09月17日 あきくん
小浜城



石垣が残っており、階段を登った上には、遊具があります。駐車場もあります。

2021年08月22日 源山城守@ポンコ2…
小浜城



アクセスは先達の方々の口コミ通り、主郭下まで車で行けます。

主郭への階段そばに、定番の蒲生時代の石垣を見ることができます。また、主郭は児童公園となっており、複数の遊具が置かれてますが、あまり人の出入りがないのか、郭内は10㌢前後の高さの草で覆われ、それについた朝露で革靴やズボン裾が濡れましたので、格好や登城時期はご検討下さい。蛇も一匹お会いしました。

主郭内はフォトの案内板がある西の地山がやや低く、東がやや高めと上段下段の構造になっており、上段にあるという櫓台は、草でみつけられませんでした。先達の方の口コミにある政宗桜からの空堀、歩ける範囲で見た主郭周囲の切岸は、なかなかの見応えでした。比高60㍍の主郭からの眺めは良好で、城主の梟雄大内定綱やここで一年過ごした伊達政宗は何を感じてたのかななど思ってしまいました。

また、主郭と西側の郭の間の堀切もかなりの高さがありましたが、背丈ほどの草木のため、ツッコむのは断念しました。西側の郭もこの時期入れなさそうです。この他にも、この堀切の先や主郭東などにも郭があり、階段上の平地になってる畠なども帯郭のようでした。

なお、小浜という名の由来は若狭小浜からだそうです。

ご参考まで。

2021年02月09日 桜井太政大臣静龍
小浜城



車で…小浜支所の裏側の登り坂から入り、左側に地図では小浜城址駐車場とありますが、さらに上、急坂ですが車で登れました。階段横に駐車スペースありました。小浜城址は上は公園ですね。眺めはよくて、二ツ石稲荷神社がよく見えました。小浜城下町も見えたんだろうなあ。南西にはたぶん安達太良山連峰ですかね、雄大に見えます。

2020年11月21日 kurobuta
小浜城



二本松5城の中で100名城の二本松城の次に訪問が容易なお城🏯です。
旧岩代町役場のすぐ北側にあり門のすぐ隣に駐車場があります🚗
階段を登ると本丸ですが現在は公園になっています。
ここの1番の見所は政宗桜の位置から見える巨大な空堀跡です。これが見れただけで満足できます。
小浜城は大内定綱の居城なのですが、伊達と蘆名の間で上手く生き抜いたしたたかさが堀にも表れているように思えてなりません。
二本松に来たらぜひ寄って頂きたいお城です🏯

2020年09月20日  稀偉主 愛魔尊
小浜城

バス停 小浜新町で降り、役場で「小濱史蹟」のパンフを入手すると史蹟めぐりに役立ちます(バス終点は役場なので、終点の方が楽ではある)。小浜新町バス停の城とは反対側に「畠山義継公梟首乃處」碑(場所分かりづらかった)があります。役場の裏手が大手門跡です。

2019年08月28日 副将軍夢幻の如くなり
小浜城

最寄りのバス停は「小浜新町」または「中央新町」です。

2012年06月24日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
小浜城

駐車場は本曲輪登り途中に、あと本曲輪右側に数台駐車スペースあり!

2010年09月25日 徳川内大臣源朝臣康武
小浜城

県道から案内看板に従って丘陵状の山を登ると、本曲輪に到着。
二本松の市街地から東に車で20分くらい。

小浜城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 切岸(遺構・復元物)

 本丸一曲輪跡碑(碑・説明板)

 小濱城址(下館)石碑(碑・説明板)

 小濱城址説明板(碑・説明板)

 宮森家祖大内氏城址石碑(碑・説明板)

 小浜城址説明板(碑・説明板)

 小浜城址説明板(碑・説明板)

 小浜出城(周辺城郭)

 四本松城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車スペース(駐車場)

 合戦場のしだれ桜(その他)

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