上山城(かみのやまじょう)

上山城の基本情報

通称・別名

月岡城

所在地

山形県上山市元城内3-7(月岡公園)

旧国名

羽前国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重?/築年不明/破却(廃城令)]、独立式望楼型[3重5階/1982年築/RC造模擬]

築城主

武衛義忠

築城年

天文4年(1535)

主な改修者

松平(能見)重忠

主な城主

上山氏、小簗川氏(伊達氏家臣)、武衛氏、里見民部(最上氏家臣)、能見松平氏、蒲生氏、土岐氏、金森氏、藤井松平氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(上山城跡)

再建造物

模擬天守、石碑、説明板

周辺の城

長谷堂城(山形県山形市)[6.1km]
上野館(山形県山形市)[6.3km]
成沢城(山形県山形市)[6.4km]
中山城(山形県上山市)[6.6km]
岩波館(山形県山形市)[9.7km]
山形城(山形県山形市)[11.8km]
畑谷城(山形県東村山郡)[13.4km]
山家城(山形県山形市)[14.9km]
山野辺城(山形県東村山郡)[15.4km]
荒砥城(山形県西置賜郡)[15.9km]

上山城の解説文



上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城。別名月岡城

戦国時代は最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となった。江戸時代は上山藩の藩庁が置かれた。城跡は上山市指定史跡[1]

現在の模擬天守は、1982年(昭和57年)に再建されたものである。

歴史 

天文4年(1535年)上山義房の子武衛義忠が高楯城を伊達家より奪還した後、天神森(現在の月岡公園)に平山城となる上山城を築城、周辺を城下町とした。以後城主は武衛義節、上山満兼と続き、最上氏の城であった。

天正2年(1574年)に天正最上の乱が発生。当初、城主の上山満兼は最上義光に加担したものの、最上義守側についた伊達軍が南から上山の樽下に進軍すると、義光を裏切り、伊達軍の通過を許した。その後、満兼は最上八楯の一員として、最上義光と和議を結ぶものの、確執は残ることとなる。

天正8年(1580年)最上義光は里見民部を寝返らせて上山城を攻めさせ、城主の上山満兼は討死した。新たに里見民部が上山城主となり、最上義光の統治下となった。

慶長5年(1600年)慶長出羽合戦の舞台の一つとなった。9月17日、上杉・直江側の武将篠井康信、横田旨俊らが率いる4000人の軍勢が上山城を攻めた。守将の里見民部の城兵はわずか500人だったが、城門を開けて打って出て、上杉軍と城門付近で戦闘が繰り広げられた。突如、上杉軍の背後から最上軍が襲いかかった。これは、民部が草刈志摩の部隊を城の外に配置し待ち伏せさせ、攻撃させたものであった。背後を襲われた上杉軍は混乱に陥った。上杉方大将の本村親盛が最上勢の坂弥兵衛なる者に討ち取られ、椎名弥七郎をはじめとする将兵の多くが討たれたとされている。里見民部は上杉軍400人余りの首を最上義光に送ったとされる。掛入石仲中山口から進軍した上杉軍は上山城の戦いで大打撃を受けたため、長谷堂城の戦いの直江本隊に合流することが出来なかった。

慶長出羽合戦後、城主里見民部は最上義光との関係が悪化していった。民部は最上義光の嫡男・最上義康と義光の父子離反を謀るとともに、廃嫡および謀殺に加担[2]したが、慶長8年(1603年)8月16日に自らの危機を察知して一族と共に逃亡した。民部らの逃亡後、上山城には最上義光の五男・上野山義直(最上光広)が入った。

慶長20年(1615年)、幕府より一国一城令が発せられたものの、上山城は破却されずに済んだ。

元和8年(1622年)、最上氏が最上騒動により改易された後、能見松平家の松平重忠が4万石で入り、上山藩を立藩した。その頃の城は、本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていたとされる。

寛永3年(1626年)、蒲生忠知が入城し、上山藩主となる。(4万石)

寛永5年(1628年)土岐頼行が入城し、上山藩主となる。(2.5万石、後3.5万石)

元禄5年(1692年)土岐頼殷が越前野岡藩に転封した直後、幕府の命により城が破却される。破却直前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた(正保絵図、元禄絵図)。

元禄5年(1692年)7月、飛騨国高山から金森頼時が上山藩主(3.87万石)となり、二の丸に御殿が構築された。

元禄10年(1697年)、藤井松平家の松平信通が上山藩主となり、本丸の一部や城門等を修築したが、天守は構築せず、二の丸に居館が設けられた程度の城構えであり、そのまま幕末や明治を迎えた。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際、9月18日に新政府軍が上山城に入城。9月19日に庄内藩征討軍(薩摩藩・米沢藩)が上山に入る。

明治時代に入り、1873年の廃城令の影響により、上山城は取り壊されたり、払い下げられたりして廃城となった。

城跡には明治11年(1878年)9月に月岡神社の建築、その後月岡公園の整備がなされ、1957年(昭和32年)4月20日に市の史跡に指定された[3]

1982年(昭和57年)11月2日、二の丸跡に現在の3層の模擬天守が建立された。模擬天守の内部は、郷土歴史資料館として利用されており、季節によって、雛人形展や鎧などの収蔵品展、刀剣展といった催しが行われている。

再建当時、天守付きで再現することについては多くの論議を呼んだ。

遺構等 

遺構

本丸西側に西内堀が残り、この他、土塁、石垣の一部と庭園が現存している。

移築建造物

建造物としては、薬医門形式の門が山形県南陽市の旅館「いきかえりの宿 瀧波」に、城内にあった兵糧米保管庫の籾蔵が市内御井戸丁の鈴木家に、それぞれ移築され現存している。

その他

  • 復興天守 - 二の丸跡には望楼型の模擬天守が建てられており、資料館として利用されている(前項「歴史」記事参照)。
  • 出羽国之内上山絵図 - 正保元年(1644年)に幕府提出の「正保城絵図」。複写が資料館にて不定期展示[4]
  • 展望台 - 左奥に蔵王連峰が遠望できる。
  • 藩校明新館跡地 - 現在は案内図看板で往時の部屋割りなどが紹介。
  • 「上中下三字説」石碑 - 沢庵和尚の教えを記す。
  • ふれあい足湯 - 天守跡・登城路などに設置。

観光 

交通
所在地:山形県上山市元城内3-7
電車
* JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」より徒歩10分、タクシー3分
路線バス
* 山交バス(山形-高松葉山線)バス停「上山城口」より徒歩3分
自動車
* 東北中央自動車道「山形上山IC」より車で約12分(約5km)
* 東北中央自動車道「かみのやま温泉IC」より車で約13分(約6km)
 ※上山城周辺に約50台の無料駐車場あり
入館時間
午前9時 - 午後4時45分(午後5時15分閉館)
休館日
12月29日~31日 その他、メンテナンス休館有
入館料
大人 420円、高校・大学生 370円、小中学生 50円(団体割引あり)
※上山市在住・在学の小中高生は土曜日無料
指定管理者
公益財団法人上山城郷土資料館
敷地内施設

  • 上山城前広場お土産売店「かかし茶屋」
  • 月岡公園(4月は桜鑑賞スポット)
  • 月岡神社(祭神は藤井松平家の松平利長、松平信一)

現施設の概要 

敷地面積 42,691.5m2
建築面積 386.93 m2
延床面積 2,480.08m2
階数 3層4階
建築構造 鉄筋コンクリート造
建築企業 建築設計・監理:㈱石本建築事務所
竣工 1982年11月2日

ゆかりのある人物 

  • 上山氏(かみのやまし) - 当地を本拠とした一族
  • 上山義房 - 室町時代の戦国武将。子の上山義忠(武衛義忠)が上山城(月岡城)を築城。
  • 上山満兼(武衛義政) - 安土桃山時代の上山城主。
  • 里見民部 - 安土桃山時代から江戸時代にかけての上山城主。
  • 上野山義直 - 江戸時代初期の上山城主
  • 松平重忠 - 1622年 出羽上山藩を立藩、初代藩主となる。能見松平家。遠江国出身。
  • 蒲生忠知 - 1626年 出羽上山藩藩主。会津藩出身。
  • 土岐頼行 - 1628年 出羽上山藩の土岐家初代藩主。摂津国出身
  • 金森頼旹 - 1692年 出羽上山藩藩主。飛騨高山藩出身。
  • 松平信通 - 1697年 出羽上山藩の藤井松平家初代藩主。播磨国出身。以後、明治時代の廃藩置県まで、藤井松平家が上山藩を治める。
  • 金子清邦 - 江戸時代末期、幕末の上山藩家老。積極的な藩政改革を行った。
  • 鈴木啓蔵 - 元上山市長。上山城再建を進めた。

参考文献 

  • 山形県教育委員会『山形県中世城館跡調査報告書(村山地区)』、1996年

上山城の口コミ情報

2024年11月08日 なかしん中務大輔
上山城



綺麗なお城です。 展示はこの地域の情報が色々

2023年07月05日 ʀᴇᴅ副将軍
上山城



最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1535年に最上氏家臣の武衛義忠により築城。
三代城主の上山満兼は最上氏と敵対する天童氏に付いたため、最上義光と対立します。
1580年に最上義光は里見民部を寝返らせて攻め落とし、上山満兼は討死。代わって里見民部が城主となりました。
最上氏の最南端の城塞であり、前線基地として米沢の伊達氏や上杉氏との攻防が行われました。
江戸初期に最上氏が改易された後は諸大名の城主が入部し、城主は目紛しく代わります。
金森氏の時代に三重の天守があったとされますが転封に伴い破却。
1692年に土岐氏の転封に伴い幕府により破却となりました。
その後、飛騨国高山から金森頼時が入封し、二の丸に御殿が構築されたと云われます。
1697年に金森氏が転封となると、備中国庭瀬から藤井松平氏が入封。藤井松平氏が十代続いて明治を迎え、1873年の廃城令により廃城となりました。

見所
望楼型の復興天守が二の丸跡に建てられ上山城郷土資料館となっています。上山市のシンボルとなっています。

2023年05月26日 和泉石狩守
上山城



別名月岡城。武家屋敷、足湯も神社もあります。

2023年05月24日 加納遠江守
上山城

唯一残る小学校グラウンド横の堀、武家屋敷、足湯巡りも良いです。

2023年05月04日 気分爽快根室守
高楯城[上山城  周辺城郭]



白土平と、北平という広い平場があり、白土平の東西には大規模な二重の堀を確認できます。山頂の主郭部には虚空蔵尊を祀った神社と鐘楼があり、登頂の記念に鐘を鳴らしてきました。

①白土平2号空堀。深い。
②白土平。堀切側には土塁がある。
③主郭1号空堀
④主郭2号空堀
⑤主郭手前の枡形状空間
⑥天水井なる井戸
⑦北平西の堀(水無沢)
⑧北平

2023年04月15日 西方
上山城

桜がきれいでした車で上まで行く場合、距離は短いけど、道がせまいので離合が大変かも

2023年04月05日 ほずみ
上山城



再建天守だが外から見た感じは精度が高く見応えがあった。高台にあるので電車の中から見たらテンション上がる。

2022年05月24日 武さーん
上山城



3回目登城しました。城内にエベレーターがあるので、車イス♿ど弱いな人のため、使用出来ます。駐車場🅿♿があります。城内にいろんな展示などが見て楽しかった。最上階に展望から素晴らしい風景でした。

2022年04月22日 あーす
駐車場[上山城  駐車場]

無料です。枠線がないので、自由に止めれます。

2021年05月02日 数珠丸恒次大納言ヒロティー
上山城

立派な模擬天守があり、中は資料館となってます。刀と甲冑の特別展示やってますよ。

2021年03月16日 大場掃部助まーP
高楯城[上山城  周辺城郭]



主郭には虚空蔵尊堂があります。
主郭周囲の空堀、白土平曲輪の堀切など見どころいっぱいあります。

2021年03月12日 刑部大輔ちー
上山城

ゴールデンウイークや元日など、上山城のイベントに重なればボランティアの自前甲冑集団『羽州上山城武将隊』に会えるかもしれません。城の内外の他、かみのやま温泉駅前辺りにも出没することがあるそうです

2021年02月21日 桜井太政大臣静龍
上山城



地図でみた通り山に囲まれた盆地というか盆地にしたのかな?な城下町に囲まれた山城でした。復元ですが、威風堂々なお城でした。第一駐車場に車を止めたのですが、1周ぐるーと回ってみたら、この城の楽しさがよりわかりました。
1階受付にて、検温と年月日時間住所氏名など記入してから入場しました。
中は1階は想像以上な広い空間の上山の郷土史料、2階というか3階以上ですね(笑)上山歴代城主と面白い上山城にまつわる昔話などなど、流し歩いてしまわないで、読んだり眺めたりが珍しく楽しい内容の史料館でした。
エレベーターがあります。
ただ、天守の外景色をみる為には外の通路に出る為車椅子仕様なバリアフリーではありません。
中からも観られたらいいのに。

西側にわずかに堀が残ってるらしいですが、よくわかりませんでした😅
ただ
今の天守は二の丸跡に建てたらしいので
昔の風景を城下町側を眺めたら感じるかもしれません。

それと、江戸の沢庵和尚が上山に流されてきてたと初めて知りました。

城下には共同浴場が直ぐありますので
駐車場に車を置いて散策もありですね。




2020年10月29日 しの左近衛中将マカヒキ
上山城

ライトアップがきれいなお城でした!近くに足湯もあるのも嬉しいです!

2020年07月27日 真田上野介信吉
模擬天守[上山城  関連施設]



上山城の御城印は昨年8月から模擬天守内の受付で販売されています。

家紋は5つ。上段左は土岐家、右は蒲生家。真ん中は能見松平家。下段左は金森家、右は藤井松平家です。

※模擬天守内販売なので、模擬天守の項目を使わせて頂きました。
御城印だけの購入でしたら入館料は取られません。
受付にて検温がありますので応じましょう。

※月岡公園から見た模擬天守の写真も添付致します。

2020年07月26日 真田上野介信吉
上山藩校明新館跡[上山城  碑・説明板]



旧上山藩校跡で、現在は更地と宅地化。石碑が跡地を示し、旧曽我部家の斜め前になります。
案内図を見ながら往時を想像してみるのもいいでしょう。

写真奥の建物は上山小学校。何かの因縁でしょうか。

2020年07月26日 真田上野介信吉
上山藩武家屋敷[上山城  寺社・史跡]



上山城が天文4年(1535)に築かれると、その西・北部一帯は武家屋敷となり、この仲丁通りには、藩の要職にあった家臣が居住していた。

ー説明板より一部抜粋ー

上山城より武家屋敷への案内板があり、それに従い歩いていくと、風情のある武家屋敷の通りに辿り着きます。
かみのやま温泉でもあるので、上山城を中心にぐるりと散策すると、より一層楽しめるのではないかと思います。

※写真は旧曽我部家、三輪家、森本家を添付。スポットの位置は旧曽我部家です。

2019年05月04日 織田上総介晃司
上山城

駐車場はあります。

「羽州の名城」と言われた上山城ですが、今の天守は戦後築城の模擬天守です。
2019年3月にお色直しが終了して真新しい外観の天守を見ることができます。

上山温泉は山形県で有名な温泉で天守のすぐそばにも足湯があります。
朝6:00から利用でき、足湯に浸かりながら天守を眺めて殿様気分が味わえます。

2018年11月04日 藤陸奥守重真
上山城

平成31年3月末まで工事中です。

2013年01月20日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
上山城

開館時間9:00~17:15(最終入館16:45)
大人400円
学生350円
子供 50円
1階~3階展示室、4階展望台
かみのやま温泉駅から徒歩10分ちょっと。
駐車場月岡神社前に30台くらい駐車可。
近くの月岡神社と小学校の間辺りには内堀確認、また月岡神社周辺に当時の石垣確認でき、武家屋敷も残ってました。
また↓のとおり、天守閣北側にかみのやま温泉の湯を利用した足湯があり6:00~22:00までつかれます(^_^)b
今の季節でもながくつかれば汗をかきます(^^;)



2010年08月12日 傾奇揚げ仙兵衛
上山城

城の隣に足湯があって(無料)売店に足湯用のタオルが売ってます100

上山城の周辺スポット情報

 水堀(遺構・復元物)

 上山藩校明新館跡(碑・説明板)

 高楯城(周辺城郭)

 上山藩武家屋敷(寺社・史跡)

 武家屋敷 山田家(寺社・史跡)

 武家屋敷 三輪家(寺社・史跡)

 武家屋敷 森本家(寺社・史跡)

 山上城郷土資料館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 模擬天守(関連施設)

 足湯(その他)

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