岩波館(いわなみたて)
岩波館の基本情報
通称・別名
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所在地
- 山形県山形市大字岩波
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 会田主計、日野光綱
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、虎口
指定文化財
- -
再建造物
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周辺の城
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成沢城(山形県山形市)[3.4km]
山形城(山形県山形市)[4.6km]
上野館(山形県山形市)[5.3km]
山家城(山形県山形市)[5.9km]
長谷堂城(山形県山形市)[7.1km]
中里館(山形県山形市)[9.2km]
上山城(山形県上山市)[9.7km]
中野城(山形県山形市)[10.3km]
山野辺城(山形県東村山郡)[11.4km]
高擶城(山形県天童市)[12.7km]
岩波館の口コミ情報
2024年09月29日 池田紀伊守信輝
石行寺観音堂[岩波館 寺社・史跡]
石行寺開山の折、行基菩薩が竜山川下流(現在の山形市元木付近)から霊木を得て一刀三礼大悲十一面観世音菩薩を刻み、御本尊として安置、衆生の安楽を祈りました。
面相は飛鳥仏を思わせる一木造りで、台座を含めた高さ七尺三寸(約2.2m)と伝わります。現在は秘仏となっていますが、十二年に一度、子年に御開帳されます。
観音堂は中興の祖、慈覚大師円仁による「御作ぎょさくの御堂」と称され、瀧山寺最盛期の遺構と伝えられています。 間口奥行ともに柱間三間の正方形の御堂で、明治十一年、昭和六十三年と解体復元工事がなされ、中世の密教寺院堂の様式とされる創建当時の面影をしのぶことが出来ます。
堂内には、天正八年と九年(1580年と1581年)銘の絵馬をはじめ、壁画や扁額、墨書など数多く古いものが残っています。
2024年09月29日 池田紀伊守信輝
新福山 石行寺[岩波館 寺社・史跡]
新福山般若院石行寺は、奈良時代、元明天皇の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩の草創で、その後、天台宗高僧の慈覚大師の中興を伝える、歴史ある寺院です。
平安時代前期から鎌倉時代中期にかけて、周辺一帯は瀧山三百坊の天台修験が栄えました。 石行寺はその重要な拠点となり、峰々に僧坊があり谷には僧庵が結ばれて、全山これ信仰の聖地であったと伝えられています。
2023年04月14日 ひらい陸前守
岩波館
基本私有地のようです。登城口は閉鎖されていて上まで行けませんでした。地元の人の話では、山中に猪🐗除けの罠が置いてあるので、山中に入ると危険だと言っていました。
2021年08月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
岩波館
岩波館は標高約302mの山塊山頂に主郭が存します。東麓の西行寺からの比高は40m位でしょか。お城の南麓には龍山川が流れていますが、往時は急流で山裾を洗っていたことでしょう。
山形県にお世話になった今回の遠征ですが、恩返しもしてなかったのでこの口コミをしよと思い立ちました。このお城は2020年4月6日の城郭変更によって登録城となったお城で、山形市中心部から半径5km以内の好立地にも関わらず写真投稿は遠景1枚のみ…何でかな?とか余目駅前のNIKU THE KURAで華盛り5400円をがっつきながら疑問に思っていて、それなら確かめてみよと思い訪ねてみました。肉…凄く美味かったです。
行き方はGoogleマップに位置登録されている東麓の天台宗の寺院、西行寺を目標に設定して下さい。西行寺は最上三十三観音の第七番札所でもある素晴らしいお寺さんで、室町時代末期に建てられたとされる観音堂は必見です。話は逸れましたが、お寺さん北側の墓地最奥部から直登すれば直ぐに城域に入れます。
お城は館と呼ばれますが、縄張は山城で間違いありません。築城年代、築城者は不明ですが、会田主計という方が三千石で城主だったらしく、山形城外城の一角を占めていた事でしょう。
実は意外にも情報が少ない…理由はたぶん城山が西行寺の所有だからなんでしょか。城跡としての整備は全くありません。道は踏み跡程度に一応付いてますが…
縄張図が探せなかったので適当散策しましたが、主郭はたぶん段付き…熊笹藪で輪郭不明瞭です。素晴らしいのは郭の周囲に多段に設けられた帯郭でして、はっきりと段が確認出来ます。又、堀切が2条あるらしいのですが、短パンにTシャツ、VANSで藪漕ぎする気が全くしなかったので遠目にさらっと流しちゃいました。
雪の無い冬の時期ならもっと遺構も輪郭もはっきりすると思いますが、主郭とその周囲は熊笹藪なんで絶望的でしょう。ただ見れないお城では決してないので、西行寺に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。
※東北の城館を調べていましたが、「館」と「楯」の区分の意味が解りません。知ってる方がいらっしゃいましたら是非御教授お願い致します。