高擶城(たかだまじょう)
高擶城の基本情報
通称・別名
- (高擶陣屋)
所在地
- 山形県天童市高擶
旧国名
- 羽前国
分類・構造
- 輪郭式平城
天守構造
- -
築城主
- 高擶義直
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- -
主な城主
- 高擶氏、天童氏、斎藤伊予守(最上氏家臣)
廃城年
- 嘉永元年(1848)
遺構
- 水堀跡
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
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高擶城の解説文
高擶城の口コミ情報
2011年12月03日 三沢出羽守伊兵衛
高擶城
かつては、四重の堀がある立派な城だったらしい。今は堀は埋められ、遺構もないようですが、鍵形・丁字路などの道路は城跡の名残らしい。本丸跡は、皇太神社あたりで、近くのあかつき公園に築城600年の記念碑がありました。城址の石碑と案内板がある楯之内公民館は、ニノ丸大手門付近とのこと。
高擶城の周辺スポット情報
高擶城址説明板(碑・説明板)
築城は、応永年間ともいわれるが、現在の形になったのは、文明年間の城郭整備によると考えられる。城の中央に守り本尊の大日堂(皇太神社)を設け、外郭には寺院を配置している。
城の整備時には、東、南、西を重要視しており、永正の乱や最上内紛、最上天童合戦に備えてであろう。
城の形態は、主郭を中心に外堀を含めると4重の水堀からなる輪郭式である。道路は、すべて鍵型路、丁字路、食い違い、屈曲路からなり、北側は、京川を改修して堀の役割をさせている。主郭の位置は定かではないが、元和の検地帳に字本丸とあり、6,504坪の面積の記載があることから、現在の楯の内のほぼ中央部であったと思われる。
虎口は、東に大手を、西に勝手口を設け、西楯と中小路の南と西に三の郭から別れる郭があり、そこには家臣たちが居住したと伝えられている。堀の幅は二の郭を回るもので幅8~14間で堀底には切り石を敷いたところもあるといわれている。
この城は、はじめ最上領の北を押さえるための軍事上の城であったが、その後天童氏の隠居城となったり、江戸時代初期には、最上家臣斎藤伊予守が5,500石で配置になり、政治的あるいは居城的な正確であったろう。
弘化4年には、館林藩高擶陣屋が置かれ、嘉永元年に廃止された。