高擶城(たかだまじょう)

高擶城の基本情報

通称・別名

(高擶陣屋)

所在地

山形県天童市高擶

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

高擶義直

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

高擶氏、天童氏、斎藤伊予守(最上氏家臣)

廃城年

嘉永元年(1848)

遺構

水堀跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

寺津城(山形県天童市)[2.1km]
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高擶城の解説文

山形盆地のほぼ中央、天童市南西部に位置し、今なお集落そのものが方形を呈し、その面影をしのぶことが出来る。

築城は、応永年間ともいわれるが、現在の形になったのは、文明年間の城郭整備によると考えられる。城の中央に守り本尊の大日堂(皇太神社)を設け、外郭には寺院を配置している。

城の整備時には、東、南、西を重要視しており、永正の乱や最上内紛、最上天童合戦に備えてであろう。

城の形態は、主郭を中心に外堀を含めると4重の水堀からなる輪郭式である。道路は、すべて鍵型路、丁字路、食い違い、屈曲路からなり、北側は、京川を改修して堀の役割をさせている。主郭の位置は定かではないが、元和の検地帳に字本丸とあり、6,504坪の面積の記載があることから、現在の楯の内のほぼ中央部であったと思われる。

虎口は、東に大手を、西に勝手口を設け、西楯と中小路の南と西に三の郭から別れる郭があり、そこには家臣たちが居住したと伝えられている。堀の幅は二の郭を回るもので幅8~14間で堀底には切り石を敷いたところもあるといわれている。

この城は、はじめ最上領の北を押さえるための軍事上の城であったが、その後天童氏の隠居城となったり、江戸時代初期には、最上家臣斎藤伊予守が5,500石で配置になり、政治的あるいは居城的な正確であったろう。

弘化4年には、館林藩高擶陣屋が置かれ、嘉永元年に廃止された。

情報提供:山形県教育委員会

高擶城の口コミ情報

三沢出羽守伊兵衛様[2011年12月03日]
かつては、四重の堀がある立派な城だったらしい。今は堀は埋められ、遺構もないようですが、鍵形・丁字路などの道路は城跡の名残らしい。本丸跡は、皇太神社あたりで、近くのあかつき公園に築城600年の記念碑がありました。城址の石碑と案内板がある楯之内公民館は、ニノ丸大手門付近とのこと。

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