中堀館(なかぼりたて)

中堀館の基本情報

通称・別名

川原子館

所在地

山形県天童市川原子字中堀

旧国名

羽前国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

滝口兵部

築城年

天正13年(1585)

主な改修者

主な城主

滝口氏、浅岡氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

東根城(山形県東根市)[5.9km]
天童城(山形県天童市)[6.0km]
長瀞城(山形県東根市)[8.7km]
高擶城(山形県天童市)[9.7km]
谷地城(山形県西村山郡)[10.2km]
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中堀館の解説文

乱川上流の高位段丘を利用して、深さ3~5メートル、幅5~10メートルの空堀をめぐらし、段丘崖を利用して東西に4つの曲輪を連ねる。

規模は、東西200メートル、南北80メートル。第2郭が主郭で、その背後は平坦な畑や水田となっている。

天正13年、天童落城後、その再起をはかり、滅ぼされた滝口兵部らが拠った館と推定される。滝口氏は川原子兵部ともいい、天童市北部を支配する土豪であった。

情報提供:山形県教育委員会


中堀館の口コミ情報

2025年04月26日 征夷大将軍ヒトリモン
中堀館



谷地中の鳥居の北側の農道への入口の辺りは路側帯が広く車を停めました。

北側を乱川の段丘崖を利用した為なのか、蒲鉾型の曲輪が東西に並列する変わった城跡で、台地と接続する南側は空堀が各曲輪に沿って弧を描くように構えています。
北海道の標茶町のタブ山チャシに似た感じに思いました。

2021年08月23日 順☆散歩征夷大将軍215+11
中堀館



坂の下から行くと、「谷地中の石鳥居」の手前に左へ進める農道があり、そこを数百メートル進むと右側に入口っぽいところが見えてくるので、そこに入ってみましょう。予想以上に素晴らしい空堀に出会えます。ただしこの周辺は墓地になっているので写真が撮りづらいのと、散策もやや憚られます。また入口正面の切岸を登ると農地が広がっていたりするのでそちらも散策できませんが、歩いてきた農道に平行して、かなり幅の広い堀が続いているので、ここを堪能するのがオススメですね。

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