長瀞城(ながとろじょう)

長瀞城の基本情報

通称・別名

(長瀞陣屋)、雁城

所在地

山形県東根市長瀞

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

西根氏

築城年

建長年間(1249〜1255)

主な改修者

最上満家

主な城主

西根氏、最上氏、長瀞氏、米津氏(陣屋)

廃城年

遺構

曲輪、横堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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長瀞城の解説文

長瀞陣屋(ながとろじんや)は出羽国村山郡(現在の山形県東根市)に置かれた長瀞藩の陣屋。

概要
長瀞陣屋とは中世の長瀞城を利用し、三重の堀を廻らした「二の堀」の内側を陣屋に使用した。出羽を治めた最上氏改易後は代官陣屋が置かれ、寛政10年(1798年)米津通政が武蔵国久喜藩から移封された。 陣屋は114m四方の正方形をしている。戦国時代は長瀞氏の居城であったが、後に最上氏に属すことになる。天領を経て、幕府陣屋跡に陣屋を築いた。

戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に属したため、新政府軍の攻撃を受け、陣屋の建物を焼失、明治2年(1869年)上総国大網に移り、のち常陸国龍ヶ崎に移った。

陣屋跡は住宅地となっているが、周囲の堀と土塁が一部残っている。明治以降は土塁が崩され、宅地化が進んでいった。

二つの伝承のある大手門

大手門が禅会寺山門として移築されている。また、長源寺山門も大手門の移築と言われていて、どちらが江戸初期の城館のものか、陣屋の門ものかこれからの調査が待たれる。

長瀞城の口コミ情報

2020年06月18日 テク陸前守テク
長瀞城



駐車場は見当たらず、長瀞公民館が公園のようになっており小一時間お借りしました。
三重の堀の中に町が残り、市民が居住しています。近隣も神社や城を中心に町を現在も残している集落が多数あります。
民家が多数残り、輪郭式の内部が残る良い城と思います。




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