山野辺城(やまのべじょう)

山野辺城の基本情報

通称・別名

山辺城、小鶴城

所在地

山形県東村山郡山辺町山辺

旧国名

羽前国

分類・構造

輪郭式平山城

天守構造

築城主

山野辺氏

築城年

11世紀中期?

主な改修者

山野辺義忠

主な城主

山野辺氏、日野氏

廃城年

元和8年(1622)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

中野城(山形県山形市)[3.5km]
寺津城(山形県天童市)[6.9km]
山形城(山形県山形市)[7.0km]
高擶城(山形県天童市)[7.7km]
畑谷城(山形県東村山郡)[8.1km]

山野辺城の解説文

山辺城(やまのべじょう)は、山形県東村山郡山辺町山辺にあった戦国時代の城。形式は平山城である。

城は山形盆地の西端の丘陵に築かれている。山辺小学校の南にある旧町役場の辺りに主郭を置いた輪郭式の平山城であったというが、現在は市街地に没している。

「山野辺城」と記されることもある。

概要
築城年代は定かではないが、一説には前九年の役の時に須賀川山辺氏によって築かれたとも云われる。

山野辺刑部は永正11年(1514年)置賜の領主伊達稙宗が山形の最上氏を攻めた時、最上軍先遣隊として長谷堂城に出陣し、戦死した。

その後は日野備中が城主となったというが慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦で直江兼続率いる上杉軍の猛攻にあって山野辺城は落城した。

慶長6年(1601年)には最上義光の四男山野辺義忠が一万九千石で城主となり、この時に城は大改修されたという。

元和8年(1622年)、最上氏が改易となると廃城となった。

文久6年(1823年)、白河藩阿部氏の出羽飛び地となり、陣屋が置かれた。現在、中央公民館に山辺陣屋の玄関が残されている。

山野辺城の口コミ情報

山野辺外記義忠様[2013年04月12日]
山辺陣屋の玄関が本丸跡の駐車場に移築されていました。中央公民館の増築によるものです。

山野辺外記義忠様[2013年03月16日]
↓の訂正です。
山野辺城趾の碑は一の堀跡の上です。

追加
城の西側には四の堀まであったようです。

山野辺外記義忠様[2011年03月21日]
本丸堀は、本丸跡(旧役場)の周囲の道路であったと推察します。以前にも書きましたが、三の丸堀は旧しあわせ銀行裏と弾正淵専念寺前が掘らしく残っています。
山野辺城趾の碑はニの丸内に立っているようです。
碑の書は山野辺氏の子孫によるものだそうです。

山野辺外記義忠様[2010年07月14日]
すぐ近くに「高楯城」があった。数年前、安達峰一郎博士の生家付近で建物跡が発掘された。

山野辺城三の丸の堀は現在、水路になっている。

山野辺外記義忠様[2010年07月02日]
最上義光の四男、山野辺義忠の居城
最上氏が改易となる張本人
義忠の三男、山野辺兵庫は、水戸黄門に出てくる、水戸家の家老

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