大鳥城(おおとりじょう)

大鳥城の基本情報

通称・別名

丸山城、鵬城

所在地

福島県福島市飯坂町館ノ山

旧国名

岩代国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

佐藤元治

築城年

保元2年(1157)

主な改修者

主な城主

佐藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、石積

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

桑折西山城(福島県伊達郡)[6.9km]
福島城(福島県福島市)[9.3km]
名倉城(福島県福島市)[10.0km]
大森城(福島県福島市)[11.8km]
石母田城(福島県伊達郡)[12.3km]
大波城(福島県福島市)[12.3km]
阿津賀志山防塁(福島県伊達郡)[12.9km]
懸田城(福島県伊達市)[15.3km]
梁川城(福島県伊達市)[15.4km]
八丁目城(福島県福島市)[19.1km]

大鳥城の解説文



舘ノ山公園(たてのやまこうえん)は、福島県福島市にある公園である。

概要 

福島市北部、飯坂町市街地西側にある風致公園であり、舘ノ山にある大鳥城跡を用いて1880年に供用が開始された[1]。大鳥城跡をめぐる遊歩道が整備され、アジサイの名所となっているほか、園内の一角を用いて花ももの里が整備されている。東隣には飯坂球場、福島市立大鳥中学校が建っている。

大鳥城 

大鳥城(おおとりじょう)は源義経の郎党、佐藤継信・忠信兄弟の父信夫庄司(湯庄治とも)佐藤基治(元治)の居城であった。鵬城、丸山ともいう。

歴史・沿革

『信達一統志[2]』によれば、伝承として、保元2年(1157年)藤原秀衡の命により、佐藤基治が白川会津までの代官と定められ、大鳥城を築いたとされる。文治5年(1189年)8月8日、佐藤基治以下主だった将が石那坂(石名坂・いしなざか)において陣を敷き、源頼朝率いる奥州征伐軍と戦って敗れる(石那坂の戦い)[3]が、その際に大鳥城も落城したとされる。伝承によれば、佐藤基治は、山上の本陣に一羽の鶴を埋め、「鶴の魂、羽を張り大鳥に変じ敵を阻む」と詠み、必勝を祈願したとされる。そして名月の頃、頼朝軍に攻められて陥落したとされる。飯坂の地名の由来は1300年以降[4] であるが、この佐藤庄司の本拠地(飯坂)大鳥城での戦いこそが、吾妻鏡に登場する石那坂の戦いではないかとする新たな説が論じられている[5]。(石那坂は飯坂の古名と考えられている。)

佐藤一族はその後赦され、本領の大鳥城にしばらく居城していたと考えられる。以後13世紀に入り、伊勢地方に転封となり(吾妻鏡)、一部は郷士として飯坂の地に残った(大鳥城記)、全国佐藤姓の源の一つである。

構造

南には小川、北側には赤川、東には摺上川と3つの川が流れており、大鳥城の堀の役目を果たしている。山頂部には主郭、その西側には櫓跡と呼ばれる郭が存在する。『吾妻鏡』石那坂の戦いにて説明されている「堀湟懸入逢隈河水於其中」は阿武隈河に流れ込む小川・赤川・摺上川を大鳥城の天然の堀として見立てたものであり、「陣于石那坂之上」は飯坂の山上(大鳥城本陣跡)を意味していると福島県福島市議会議員の石原洋三郎は主張している[6]。山頂部は1995年(平成7年)の発掘調査により[7]14世紀の輸入陶磁器等が出土、後世の造営と考えられる。

基治が在城中の居館は、現在大鳥中学校、飯坂球場(赤舘という地名が残る)が立地する東山麓部分にあったものと推定されている。そのさらに東側には大門の地名が残っており、大鳥城への大手門があったと推定される(現在は温泉集会所、大門の湯が存在する)。

所在地 

  • 福島県福島市飯坂町字舘ノ山18-1[8]

註 

大鳥城の口コミ情報

2024年06月09日 気ままに右兵衛佐ADDA
大鳥城

西側の駐車場の脇に、『この先通り抜け出来ません』という看板のある一応舗装された小道があり、車で行けそうな雰囲気ありますが、途中の展望広場までしか車で行けません。目的地は天守だから行き止まりでもOKと思っていたが、天守付近までも車で行けないです。

また舗装面が途中で荒れていき土が剥き出し部が多く、私の軽二駆は途中のぬかるみでスタックして、かなり焦りました。

2024年04月14日 駄目太政大臣政宗
大鳥城



国道399号線のトンネルをくぐり左折して飯坂野球場に向かい、突き当りを右に登ると主郭をぐるりと回れる道路に。トイレのある駐車場に車を停めるとすぐに主郭です。

2024年04月06日 長澤大納言元親
大鳥城



温泉街にある山城。ひらけた山頂からは、絶景が望めました。

2024年01月12日 みっこん岩代守
大鳥城



・福島市北部の飯坂温泉、穴原温泉の近郊に位置しています。本丸跡は公園になっており高台なので福島市が見渡せて景色がとても良いです。本丸跡以外には空堀跡や土塁跡が残っていました。本丸跡まで車で行けますが麓から30〜40分の周回ウォーキングコースとしても整備されていていると案内看板に表記されていました。
 

2022年08月19日 おりゅう参議
大鳥城



車でも本丸まで行けますが、飯坂温泉駅から歩きで1時間弱で登れます。道は車道と旧道があります。旧道は、そもそもの道と思われ、急な細道ですが、アスファルト舗装されていて歩きやすいです。

2020年09月07日 大場掃部助まーP
大手門跡[大鳥城  碑・説明板]



地名、大門に有ります。大手門跡碑です。周辺には気になる地名がたくさんあります。

2020年08月23日 kurobuta
大鳥城



隣接している舘ノ山公園の西駐車場に車を停めて東に遊歩道を進みます。直接距離ならおそらく、300メートル程度なのだろうが遊歩道はぐるっと迂回する形なので実質歩くのは500メートル程でしょうか。ただそこそこ勾配があるので歩き応えはあります。この歩道自体が城の郭内にある感じなので当時の登城の大変さを感じることができます。
途中、案内板がありますがここではまだリア攻めにはなりません・・💧
ここから100メートルほど本丸方面に進むと判定されます。ここまで来れば本丸はあと少しです。
山城の常で蚊やアブが襲ってきますので虫除け対策は万全にど〜ぞ👍

2019年12月14日 藤陸奥守重真
佐藤一族の菩提寺[大鳥城  寺社・史跡]

義経・弁慶・佐藤兄弟に関する資料があります。

2019年12月08日 藤陸奥守重真
公衆トイレ[大鳥城  トイレ]

12月上旬から3月上旬まで閉鎖れているので、お気をつけ下さい。

2016年03月07日 カーネル
大鳥城

飯坂線飯坂温泉駅から

駅を出て西へ。大鳥中を目指す。中学校東の坂に大手門坂。という石碑あり。かなり広いお城だったことが伺えます

中学校を越えてさらに西へ行くと、民家の庭先に四の砦跡の標識。さらに先に進んだ駐車場脇の案内図にはここに土塁・空堀・櫓があったそうですが、面影なく、野球場の土手が土塁に見えてしまう

麓の駐車場脇から登ると三の砦・二の砦・東水の手・一の砦を経由して、本丸
本丸の案内板に、西の尾根を分断する土塁と堀、とあるので、西に行くと矢庫の跡があり、綺麗な土塁に囲まれていて、この周辺は空堀に囲まれてました

帰りは反対の車道から下山。西水の手を見てから花水坂駅に行きました。歩いたのは1時間45分くらい。これから、出張先へ向かいますが、既に一仕事終えた気分

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2013年01月12日 関白独眼竜梵天丸
大鳥城

現在館ノ山公園となっており、主郭には大鳥神社、佐藤基治公一族追悼供養塔、大鳥城跡碑、説明板がある。
本丸下まで西水の手『城内の井戸』の矢印沿いに車で行けますが履行に注意。
徒歩の場合大手前から登るも良し西水の手の方『紫陽花ウォーキングコース』からいくも良しどちらも土塁、空堀が確認できる。
大鳥城の名前の由来
白鳥を埋め守護神としたと案内図から要約
周辺の地名に館、古館、大門など各所に残る。

2012年11月13日 関白独眼竜梵天丸
大鳥城

福島交通飯坂線の花水坂下車南の方角の小高い山が大鳥城跡で徒歩10分少々

2012年09月09日 関白独眼竜梵天丸
大鳥城

24年9月8日現在
熊が出没してるため立ち入り規制されてます

2012年09月04日 SON
大鳥城

現在、熊出没警戒中で入山不可です

大鳥城の周辺スポット情報

 矢庫の跡(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 三の砦跡(遺構・復元物)

 東水の手(遺構・復元物)

 一の砦跡(遺構・復元物)

 大鳥城の石碑(碑・説明板)

 大手門跡(碑・説明板)

 大島城説明板(碑・説明板)

 佐藤一族の菩提寺(寺社・史跡)

 公衆トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 中央駐車場(駐車場)

 西駐車場(駐車場)

 東駐車場(駐車場)

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