大鳥城(おおとりじょう)

大鳥城の基本情報

通称・別名

丸山城、鵬城

所在地

福島県福島市飯坂町館ノ山

旧国名

岩代国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

佐藤元治

築城年

保元2年(1157)

主な改修者

主な城主

佐藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、石積

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

桑折西山城(福島県伊達郡)[6.9km]
福島城(福島県福島市)[9.3km]
名倉城(福島県福島市)[10.0km]
大森城(福島県福島市)[11.8km]
石母田城(福島県伊達郡)[12.3km]

大鳥城の解説文

大鳥城(おおとりじょう)は源義経の郎党、佐藤継信・忠信兄弟の父信夫庄司(湯庄治とも)佐藤基治(元治)の居城であった。鵬城、丸山ともいう。

歴史・沿革
文治5年(1189年)8月、佐藤基治以下主だった将が石那坂(石名坂・いしなざか)において陣を敷き、源頼朝率いる奥州征伐軍と戦って敗れる(石那坂の戦い)が、その際に大鳥城も落城したとされる。佐藤一族はその後赦され、本領の大鳥城にしばらく居城していたと考えられる。以後13世紀に入り、伊勢地方に転封となり(吾妻鏡)、一部は郷士として飯坂の地に残った(大鳥城記)、全国佐藤姓の源の一つである。

構造
南には小川、北側には赤川、東には摺上川と3つの川が流れており、大鳥城の堀の役目を果たしている。山頂部には主郭、その西側には櫓跡と呼ばれる郭が存在する。山頂部は平成7年(1995年)の発掘調査により(福島市埋蔵文化財発掘報告書第 号 大森城・大鳥城2)14世紀の輸入陶磁器等が出土、後世の造営と考えられる。

基治が在城中の居館は、現在大鳥中学校、飯坂球場(赤舘という地名が残る)が立地する東山麓部分にあったものと推定されている。そのさらに東側には大門の地名が残っており、大鳥城への大手門があったと推定される(現在は温泉集会所、大門の湯が存在する)。

大鳥城の口コミ情報

カーネル様[2016年03月07日]
飯坂線飯坂温泉駅から

駅を出て西へ。大鳥中を目指す。中学校東の坂に大手門坂。という石碑あり。かなり広いお城だったことが伺えます

中学校を越えてさらに西へ行くと、民家の庭先に四の砦跡の標識。さらに先に進んだ駐車場脇の案内図にはここに土塁・空堀・櫓があったそうですが、面影なく、野球場の土手が土塁に見えてしまう

麓の駐車場脇から登ると三の砦・二の砦・東水の手・一の砦を経由して、本丸
本丸の案内板に、西の尾根を分断する土塁と堀、とあるので、西に行くと矢庫の跡があり、綺麗な土塁に囲まれていて、この周辺は空堀に囲まれてました

帰りは反対の車道から下山。西水の手を見てから花水坂駅に行きました。歩いたのは1時間45分くらい。これから、出張先へ向かいますが、既に一仕事終えた気分

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

ガラ隠居中納言独眼竜梵天丸様[2013年01月12日]
現在館ノ山公園となっており、主郭には大鳥神社、佐藤基治公一族追悼供養塔、大鳥城跡碑、説明板がある。
本丸下まで西水の手『城内の井戸』の矢印沿いに車で行けますが履行に注意。
徒歩の場合大手前から登るも良し西水の手の方『紫陽花ウォーキングコース』からいくも良しどちらも土塁、空堀が確認できる。
大鳥城の名前の由来
白鳥を埋め守護神としたと案内図から要約
周辺の地名に館、古館、大門など各所に残る。

ガラ隠居中納言独眼竜梵天丸様[2012年11月13日]
福島交通飯坂線の花水坂下車南の方角の小高い山が大鳥城跡で徒歩10分少々

ガラ隠居中納言独眼竜梵天丸様[2012年09月09日]
24年9月8日現在
熊が出没してるため立ち入り規制されてます

SON様[2012年09月04日]
現在、熊出没警戒中で入山不可です

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