前川本城(まえかわもとしろ)
前川本城の基本情報
通称・別名
- 中ノ内城、錦ヶ館、錦館
所在地
- 宮城県柴田郡川崎町前川字本城
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 砂金氏
築城年
- 天正3年(1575)
主な改修者
- -
主な城主
- 砂金氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石積、土塁、横堀(空堀)、竪堀、枡形虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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前川本城の解説文
前川本城の口コミ情報
2023年09月29日 みその対馬守
前川本城
駐車場等の整備はされていませんが、一見の価値は有ります!曲輪は広く、土塁は高く、堀は深く、二重から三重になっています。虎口形状も複雑で、伊達の底力を見せつけられます!
2022年06月18日 城ッ!
前川本城
今回は城守りさんに色々聞いていきました!大手門前の家が門番の場所らしく築400以上で柱とか結構ボロボロでしたけど、とてもデカい柱が3本もありました!あ、勿論城守りさんの許可を頂いてます!その建物はもう取り壊すらしいので見たければ今しかない!もう色々片付けてましたw城守りさんありがとです!また行きます!
2021年11月02日 城ッ!
前川本城
川崎町のお城調査みたいなことをしてる団体の人と前川本城であったのですが。案内版の下に小さな箱に青いテープが貼ってあるものがあるのですが。そこに入ってる川崎町の城マップが結構良いです!QRコードもあり、それを読み込むと川崎町の城や館などの場所のマップが出てきます!川崎町の城は、結構色々と遺構が残っていて行って楽しいです!お城に興味のない人でも川崎町の城は凄さが分かります!自分は前川本城が大好きなので、時間がなくていけない日が続くと城不足になって疲れてきますが(中毒?)前川本城に行くと悪い気持ちが一気になくなって、また来週も頑張ろってなります!家族で行くのもオススメします!自然豊かでとっても楽しいです!少し道はガタガタしてますが曲輪は開けてるので良いです!ですが熊や蜂、蛇や虻などもいますので気をつけて下さい。宮城県に来たら絶対行っとくべき城です!
2021年04月25日 kurobuta
前川本城
山形自動車道の宮城川崎インターで降りるとすぐですが、一般道から来る場合、蔵王町から県道47号、通称コスモスラインで来るのが分かりやすいです。
蔵王側から来ると前川小学校の先を左に曲がり約2分ほどで案内板を左に発見出来ます。
🚗はこの隣に2台ほど駐車可能です。ここから西側に進むと💈がありその先に民家があって、そこの東屋の横から登れます。注意するのはそこは私有地なので一言挨拶すると良いでしょう。城を見学に来たのでと伝えたら家人の方は快くオッケーしてくださいました🙆♂️
土塁、空堀のオンパレードでこれほど満足感の得られる🏯は中々ないのではないでしょうか❓本丸よりも二ノ丸に見所が多いです。この城だけを目当てに来ても充分に楽しめます。近くに♨️も豊富ですから是非一度、いらっしゃって下さい😊
2019年05月26日 はくやく内大臣
二の丸、二重空堀(内側)[前川本城 遺構・復元物]
二重空堀の内側です。土塁まで含め、かなりの深さになります。東北で、これほどの深さは珍しく、注目を集めているようです。
2019年05月26日 はくやく内大臣
本丸、西側土塁[前川本城 遺構・復元物]
本丸の西側の土塁です。土塁の高さは、空堀の深さも含めれば、3m以上ありそうです。内側(本丸側)には、石積みの跡が見られます。
2019年05月25日 はくやく内大臣
搦め手、説明板[前川本城 碑・説明板]
大手口は民家の裏のため、また、搦め手側にも、駐車場は無いので、ご注意ください。
前川本城の周辺スポット情報
大手口(遺構・復元物)
本丸土塁(大手側)(遺構・復元物)
大手側土塁、石積み跡(遺構・復元物)
大手側、土塁(遺構・復元物)
本丸、南門跡(遺構・復元物)
二の丸土塁と空堀(搦め手側)(遺構・復元物)
本丸、北側土塁(遺構・復元物)
本丸、西側土塁(遺構・復元物)
二の丸、二重空堀(内側)(遺構・復元物)
馬出(遺構・復元物)
土塁上の高まり(遺構・復元物)
搦め手、説明板(碑・説明板)
本丸、説明板(碑・説明板)
本丸標柱・城址説明略図(碑・説明板)
駐車場(駐車場)
搦め手、入り口の休憩所(目印)(その他)
城跡東入口(大手筋側)(その他)
大手筋側城入口(廃屋南側)(その他)
遺構
立野川と前川の合流地点にある丘陵東端に位置する。北側の断崖を背にして本丸、それを囲むように二の丸が配されており、本丸東側には枡形虎口を備えた小曲輪が付属している。
本丸は方形をなし、北面を除く三方に土塁と空堀が設けられている。さらに二の丸全体を囲うように、高さ約5mの土塁と深さ約10mにもなる二重の堀切が、約300mに渡って現存している。
歴史
天正3年(1575)、伊達氏の家臣であった砂金(いさご)氏8代・砂金常久が、それまでの居城であった砂金城(川崎町本砂金)から移ってきて築城した。大規模な土木工事の跡が見られることから、山形の最上氏、または慶長出羽合戦で山形に進出した上杉氏に対抗する目的で、主君である伊達氏の主導で築かれたとも推測される。
11代・砂金実常(常房)の時、1.5km北東に川崎城(川崎要害)を築いて移ったため廃城となった。
交通
・JR東北本線東白石駅から車で約30分参考文献
・『日本城郭大系 第3巻』新人物往来社、1981年。・前川本城跡現地説明板。
・『戦国の城を極める 廃城をゆく5』イカロス出版、2017年。