御殿館(ごてんたて)
御殿館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 宮城県仙台市青葉区上愛子字宮下
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 国分氏?
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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御殿館の解説文
御殿館の口コミ情報
2024年07月07日 藤大膳亮じゃけえ
御殿館
車は諏訪神社の駐車場に止めました。階段を上がり、神社の左側の山道を10分程度登った所に看板がありました。飲み水を持って行かなかったので、そこで引き返しました。神社の熊注意も気になりましたし。
2015年01月03日 中務少輔きたろう三世
御殿館
登城路は複数あるが、今回は、諏訪神社の裏から登城した。
道なりに行くと道が二股に別れていて、左側にも遺構とも見える地形があるが、メインの遺構は、右の断崖上の道の突き当たりを右に行った先にある。横堀や土塁、虎口が良く残っている。
近くの秋保温泉地域には、最上氏に備えた伊達氏関係の7つの城郭が残っている。特に、楯山城、豊田館は見応えがある。
2012年11月04日 大蔵卿源八@はっちー
御殿館
御殿館跡は広瀬川左岸の蕃山丘陵の西端に位置し、サイカチ川によって背後の丘陵から分離された独立丘陵にある。 規模は、東西800m、南北400mで、頂部の標高は185m、段丘面からの比高差は70mである。 館跡は、自然地形を巧みに利用しており、丘陵中央部は南北から入りこむ谷によって幅20mほどの尾根状になっており、 これを境として東郭と西郭に区画して構築されている。各郭の内部には、平場・土塁・空堀・通路・土橋・腰郭・池・段状遺構など多くの遺構が確認されている。 御殿館跡に関する初見は、「仙台領古城書上」、「上愛子村風土記御用書出(安永風土記)」などがあるが、 名称や規模については記載はあるものの、館主、築城年代についての記載はない。中世この地域は国分氏の支配地域であり、 御殿館についても国分氏に関係する城館と考えられる。御殿館は、この地域で確認されている唯一の山城であり、防御的性格をもった山城である。
特に主郭周りの遺構はここまで来てよかったと思わせます。が、廃城マニア向けです(^^;)
2011年09月01日 さくら主膳佑にゃ〜
御殿館
別称古天館。築城年代、築城者などは詳らかでなく、野武士が立て籠もった山城とのみ伝承される。しかし国分一の宮と称される諏訪神社の背後に所在し、遺構からも相当の勢力を有した城主の存在が考えられるため、国分氏と関係の深い城館であろうと推定されている。
御殿館跡は、市の西部にあり、JR愛子駅の南約1㎞、広瀬川右岸の蕃山丘陵の西端に位置する。サイカチ川によって背後の丘陵から分離された独立丘陵に立地する。
宮城県の指定文化財である諏訪神社の神域と考えられる「御殿山」と呼称される丘陵全域が館跡となっており、頂部の標高は185m、段丘面からの比高差は70mあり、面積は約212,600㎡、その範囲は東西800m、南北400mである。昭和55年(1980)に、環境整備事業に伴う地形測量調査が旧宮城町教育委員会によって行われている。
館跡は、自然地形を巧みに利用しながら、丘陵中央部は南北から入りこむ谷によって幅20mほどの尾根状になっており、これを境として東郭と西郭に区画して構築されている。各郭の内部には、平場、土塁、空堀、通路、土橋、腰郭、池、段状遺構など多くの遺構が確認されている。
西郭の平場は起伏を持った平坦面で、西辺を土塁、空堀で画し、東辺は段状遺構が造成されている。西郭に西側から入り込む沢部が主要通路と考えられることから、厳重な施設配備がなされている。
東郭の平場は周囲への見通しもよく、急峻な地形で西郭ほど厳重な施設は造られていないが、北東辺を土塁・空堀で画し、南西辺は段状遺構が造成されている。
御殿館跡に関する文献の初見は、『仙台領古城書上』、『上愛子村風土記御用書出(安永風土記)』などがあるが、名称や規模についての記載はあるものの、館主、築城年代についての記載はなく、野武士が立て籠もった山城とされている。中世にはこの地域は国分氏の支配地域であり、御殿館についても国分氏に関係する城館と考えられる。
御殿館は、この地域で確認されている唯一の山城であり、関山越え最上街道に面し、また秋保・愛子地区の分岐点に位置し、広瀬川対岸の芋沢地区をも見渡すことができるなど、防御的性格をもった山城である。宮城県内においてみられるこのような山城は、15~16世紀にかけて多く築城されている。
参考文献
・仙台市ウェブサイト「仙台市の遺跡」