杭城(くいじょう)
杭城の基本情報
通称・別名
- 杭城館
所在地
- 宮城県仙台市泉区西田中字杭城山
旧国名
- 陸前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 須藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
御殿館(宮城県仙台市)[7.5km]
西館(宮城県仙台市)[8.3km]
長命館(宮城県仙台市)[9.7km]
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杭城の口コミ情報
2024年09月03日 池田紀伊守信輝
福岡館[杭城 周辺城郭]
『宮城郡誌』には、葛西清重の子孫左京太夫の弟大崎隼人清宗の居館とある。また、清宗は後に鴇田と姓を改め、その子若狭守が天正年間(1573~1592)に在城したとあるが、両者とも実在が確認されていない。その他、一次資料をはじめ、文献にはみられない城である。
2015年04月21日 中務少輔きたろう三世
杭城
北西の寿連原からは、電力の鉄塔を目印に進む。青葉幹線117の鉄塔近くに駐車し(大きな貯水槽と黄色い廃車がある果樹園が目印)、鉄塔を目指す。次に、鉄塔裏から南の沢に下り吊り橋を渡る。正面の沢を登った背後を南に直進していくと、徐々に道がはっきりしてきて、鉄塔118の脇くらいから舗装路になる。そのまま舗装路を行き、鉄塔119との分岐点で、左の重機道に入りしばらく東に進む。道が開けたところで、正面やや右寄りに見える三角の山が城址。その地点から右の重機道に進み、行き止まり手前20mくらいから右手の尾根に登り、道なりに進むと遺構が見えてくる。遺構は広範囲に存在するため、日本城郭大系の縄張図を準備するのがお薦め。
通行禁止による回り道が痛いが、事前準備をして道さえ間違わなければそれほど危険は無いと思う。
2015年04月20日 中務少輔きたろう三世
杭城
城址への道は3通りと思われる。最も楽なのは、最高所裏まで続く重機道(東の杭城林道?)で、次に近いのは南の大堤林道だが、どちらも通行禁止になっている。このため、北西の寿連原からの最も遠く、迷いやすく、難所の多い道を、片道40~50分かけて行くしかない。天気の良い日に、十分な装備(トレッキングシューズ、作業用ゴム手袋、熊鈴、鎌、地形図等)、時間、体力、気力、それなりの経験を持って挑まなければかなり辛い登城になると思う。
2011年09月01日 さくら主膳佑にゃ〜
杭城
別称槻城。山野内城を本拠とした山内須藤刑部少輔が、結城七郎によって山野内城あるいは山野村(山邑)城を攻め落とされ、急遽取り立てたのが始まりであるという。須藤氏は永禄年中(1558-70)まで山野内城にあったとされるため、杭城は戦国時代の城館ということになるが、遺構や立地を考慮すると南北朝時代の山城の特徴が見られる。
以上の点から、正平八年(文和二・1353)北朝方の和賀義綱らに攻略された南朝方の本拠、山村城の有力候補としても挙げられている。