五井陣屋(ごいじんや)
五井陣屋の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県市原市五井中央西2
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 有馬氏恕
築城年
- 天明元年(1781)
主な改修者
- -
主な城主
- 有馬氏
廃城年
- 天保13年(1842)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
椎津城(千葉県市原市)[6.7km]
曾我野陣屋(千葉県千葉市)[7.2km]
生実城(千葉県千葉市)[7.8km]
有吉城(千葉県千葉市)[8.6km]
犬成城(千葉県市原市)[9.5km]
千葉城(千葉県千葉市)[10.7km]
高品城(千葉県千葉市)[13.0km]
佐是城(千葉県市原市)[13.0km]
多部田城(千葉県千葉市)[13.8km]
小中台城(千葉県千葉市)[14.9km]
五井陣屋の解説文
五井陣屋の口コミ情報
2022年04月18日 国府左京大夫城介
村上城[五井陣屋 周辺城郭]
久留里村上氏が築いた城か?
【歴史】
築城年代、築城者共に不明。
永正18年(1521)頃に、村上大蔵大輔義芳という武将が居城としていたとされる。
【遺構】
上総村上駅の西側280mほどにあり、国府小学校の北側にある水田や畑が城跡です。
水田がかつての堀で、畑になっているのがかつての郭と推測される。
昭和63年に発掘調査した結果、沖積面との比高差がほとんどないため、防御性が低いため、豪族の居館として用いられた可能性があるとのことです。
【感想】
他の場所は、きちんと方形の水田をしていますが、この場所だけは畑があるせいで、歪な形状となっていることから、かつての郭と堀の名残になっています。基本的に、水田と畑になっているので、周辺から遠目に見ることしかできませんが、その畑の部分が浮島みたいになっています。
この地を治めていた村上氏は、村上義清を輩出した信濃村上氏が上総久留里へと渡った一族だと思われます。この久留里村上氏は応永7年(1400)に信濃で起きた大塔合戦に参加した村上満信の子孫にあたるようで、その中からは里見氏に属して久留里城主になった人物もおり、ある程度勢力を持っていたと考えれます。また、米本城(千葉県八千代市)を築城した村上国綱もいます。ただ、村上氏の系図はかなり不明な点が多いので、実際の所はよく分からないことも実情です。
【アクセス】
JR内房線・五井駅から徒歩25分。
小湊鉄道・上総村上駅から徒歩5分。
【写真】
1,2:北西方向から
3,4:小学校の北側あたりから
2021年09月18日 さすらいライダー
五井陣屋
城郭の痕跡は見受けられず、すべて五井駅敷地になっていました。
2012年09月27日 綱島出雲守八雲
五井陣屋
当時の五井陣屋を偲ぶ遺構は全くない。今はJR内房線・小湊鐵道線とが一緒になった五井駅が建てられている。
駅から内房を望むと無愛想な工業地帯の煙突群が白い煙をモクモクと出している。
しかし、ここから小湊鐵道に乗り換えて養老渓谷に向かうと美しい自然の中を走り楽しめます。城攻めも幾つかできます。
五井駅東口には有料駐車場もありますが、のんびり公共交通機関での城攻めをお勧めします。
五井藩はもともと、8代将軍・徳川吉宗の側近であった有馬氏倫が立藩した伊勢西条藩であった。
伊勢西条藩は、伊勢国のほか、上総・下総の一部も領有しており、5代藩主・有馬氏恕の時代に本拠を五井に移し、五井藩となった。
その後、天保13年(1842)に吹上藩に転封となり、五井陣屋も廃された。
現在、五井陣屋跡は、JR内房線・小湊鐵道線五井駅となっている。