椎津城(しいづじょう)

椎津城の基本情報

通称・別名

城山

所在地

千葉県市原市椎津字外郭他

旧国名

上総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

椎名胤仲?

築城年

明応年間(1492〜1501)?

主な改修者

主な城主

椎津氏、三浦氏、真里谷武田氏、里見氏、北条氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡、虎口

指定文化財

県史跡(椎津城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

五井陣屋(千葉県市原市)[6.7km]
笹子城(千葉県木更津市)[11.2km]
佐是城(千葉県市原市)[11.6km]
曾我野陣屋(千葉県千葉市)[13.7km]
犬成城(千葉県市原市)[14.2km]

椎津城の解説文

椎津城(しいづじょう)は、千葉県市原市椎津にあった城。

概要
千葉県市原市の南の玄関口、姉崎の八坂神社の裏手の台地に広がる椎津城は、南北約400m、東西約180m、標高28mで同市内でも最大級規模の城郭である。

椎津は豊かな穀倉地帯を臨み、武蔵・下総から上総・安房の房総に通じる交通の要所であったため、この城をめぐる攻防戦が幾度となく繰り広げられた。

しかし、椎津城跡は宅地化がすすんでおり、本丸も私有地のため立ち入りができない。

城跡は消滅の危機にあり、市当局による早急な史跡の整備が求められる。

椎津城の支城としては、久保田城(袖ヶ浦市久保田字浜宿)、蔵波城(袖ヶ浦市蔵波)、神代城(市原市神代)、 海保城(市原市海保字公家台)、要害山城、(市原市畑木字要害台)、万台城(市原市内引田字木々野)などがある。

構造
椎津城は海を前にした台地の北端部にあり、城山と呼ばれる丘が本丸で、土塁が残っており、昭和46年の発掘調査では最高所の基壇部は古墳を利用していることがわかっている。

本丸南側には二重の空堀を構える。1の堀は、昭和48年の発掘調査では幅14m、深さ4.5mの攻めにくく守りやすい薬研桝堀であることが判明している。

本丸の南側には二重の空堀を隔てて約600m2の平坦な二の丸に相当する「五霊台」のくびれた台地があり、南北に急崖を残している。

この台地の北、東側を流れる境川は堀の役目を果たす。...

椎津城の口コミ情報

藤井伊賀守様[2016年01月18日]
去年、市の指定史跡になりました。

入り口がわかりにくいですが、主郭虎口など、雰囲気は味わえます。

周囲に堀跡も残っていますが、埋まって畑になっています。

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