佐是城(さぜじょう)

佐是城の基本情報

通称・別名

佐瀬城

所在地

千葉県市原市佐是字武城他

旧国名

上総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

佐是氏

築城年

鎌倉時代

主な改修者

武田国信

主な城主

佐是氏、武田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

真里谷城(千葉県木更津市)[6.5km]
庁南城(千葉県長生郡)[9.8km]
犬成城(千葉県市原市)[11.4km]
椎津城(千葉県市原市)[11.6km]
笹子城(千葉県木更津市)[12.9km]

佐是城の解説文

佐是城(さぜじょう)は千葉県市原市佐是にあった城である。

遺構
市原市を流れる養老川の蛇行部左岸にある河岸段丘上に築かれ、養老川とその支流を天然の堀としている。

北の丸にあたる明性院敷地の南東に主郭があり、主郭南側には二郭、三郭が続く。主郭周辺では土塁や空堀が残存するが現状はそのほとんどが竹藪に覆われている。

また明性院から内堀を挟んだ北側の光福禅寺周辺も城域に含まれる内曲輪とされ、古墳を利用した土塁や虎口跡が残り城址碑・説明板等が整備されている。

歴史
鎌倉時代、佐是禅師円阿(佐是四郎祥師説もある)が堀の内に「館」を構えた(『現板』)のが始まりとされる。

天文年間(1532~1555)に武田国信が祖父信長によって佐是に配された際に城を大改修したとされることから、この時期に現在見られる城域の原型が形成されたと推定できる(『庁南武田氏系図』や『市原郡志』では国信が築城したとしているが、前述の館から実戦的な城郭へと改修したことを指すとみられる)。

天文21年(1552)、武田国信は椎津城へ援軍として赴いた際に戦死し、その後佐是城は里見勢の攻撃を受けて落城したという(『大系』)。

交通
小湊鐵道上総牛久駅から徒歩で約30分

参考文献
『市文』:『市原市文化財センター年報』市原市文化財センター、1994年12月。
『現板』:佐是城跡現地説明板。
『大系』:『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。
『光公』:光福禅寺公式サイト(http://sky.geocities.jp/koufukuzennji/)。

佐是城の口コミ情報

ひとりもんの副将軍様[2016年04月17日]
光福禅寺に車を置き説明板等を確認し参道を下って堀の内集落を通り抜け、搦手となる妙見社あたりから堀底道を上がりましたが、竹藪で水も流れていました。
上がった先は北曲輪で、その竹林を抜けると廃寺らしき妙性院の東側へ続いていました。
妙性院の南側に墓地があり、この辺りにも車は停められそうでした。
そばには錆びきった標柱が建っています。
標柱から東へ向かうと竹藪の中に説明板が建つ郭がありました。

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