大多喜城(おおたきじょう)

大多喜城の基本情報

通称・別名

大滝城、大多喜城

所在地

千葉県夷隅郡大多喜町大多喜字二ノ丸他

旧国名

上総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

型式不明[3重4階/築年不明/焼失]、複合式層塔型[3重3階/1975年築/RC造模擬]

築城主

武田信清

築城年

大永2年(1522)

主な改修者

本多忠勝、阿部正次

主な城主

真里谷武田氏、里見氏、本多氏、阿部氏、青山氏、稲垣氏、松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

県史跡(上総大多喜城本丸跡 附 大井戸・薬医門)

再建造物

模擬天守、石碑、説明板

周辺の城

万喜城(千葉県いすみ市)[8.0km]
庁南城(千葉県長生郡)[12.4km]
真里谷城(千葉県木更津市)[13.2km]
久留里城(千葉県君津市)[13.6km]
一宮城(千葉県長生郡)[14.7km]

大多喜城の解説文

大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代かけて存在した日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。

歴史・沿革
大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した本多忠勝が築城したものと考えられてきたが、近年の発掘によって現在の城の地下に大規模な城の遺構が遺されていることが明らかとされて、小田喜城と大多喜城とが完全に重なる訳ではない(戦国期には裏山である栗山が城の一部に使われていたが、江戸期には栗山は除かれてやや麓側に縄張りが移動されている)ものの、現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられている。

信清の後を継いだ真里谷朝信の代の天文13年(1544年)に、里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われて、以後時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされた。だが、天正9年(1581年)に里見義頼との内紛によって憲時が殺害されると、同城には里見氏の代官が派遣されたという。

天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立した。忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った。これが今日の大多喜城である。

以後、この城は大多喜藩の拠点として幕末まで重要な役割を果たしてきたが、元和5年(1619年)9月、藩主阿部正次の転封により大多喜藩は一時的に廃藩となったため、城は荒廃した。寛文11年(1671年)12月、阿部正春が1万6000石で入城した際、幕府から「大多喜城は城跡になってしまっているので、追々再建するように」という命令が下ったものの、「一重の塀もないありさまで、門や櫓などもない」という当時の記録の通り、大多喜藩規模縮小に伴い、荒廃した状態で長く支配が行われていたようである。元禄3年の幕府隠密の調査記録と思われる、『土芥寇讎記』にも、「幕府から大多喜城の再建命令が通達されたにも関わらず、大多喜藩では命令を履行していない。塀もない状態だ。ましてや門や櫓などあろうはずがない」と記されている。史料が少ないために江戸時代の状態は不明な点も多いが、阿部氏以降の城主は多少の増築などは行ったようである。ただし山頂の天守などは荒廃していたようだ。天保13年(1842年)には天守が焼失し、天守の代わりに2層の「神殿」と称する建築が天保15年(1844年)8月に建てられていたと考えられている。

明治3年12月に城は取り壊され、その後本丸も削平されたという。その後、昭和41年(1966年)に本丸跡は千葉県の史跡に指定された。昭和50年(1975年)に城跡に天保6年(1835年)の図面を基にして天守が再建されて、内部には千葉県立総南博物館(現在の千葉県立中央博物館大多喜城分館)が設置された。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(122番)に選定された。

天守
天保13年の天守焼失後、焼失した天守に代え「神殿」と称する建物が建てられたとされるが、大多喜藩が財政難に苦しんでいた時でもあり粗末な建築物だったのではないかと、この城を研究した渡邉包夫は考えている。火災があったことに関しては、昭和48年(1973年)の学習院大学の発掘調査でも大量の焼土が発見されたことで裏づけられているが、改築および天守建築を否定する説もある。小高春雄は改築そのものを否定する日本工業大学の見解(『上総大多喜城の天守について-大多喜城下町の復元的考察・2-』)を紹介し、やや否定説に傾きつつも渡邉が発見した大多喜城天守絵図面の存在から完全に否定できないとする、玉虫色の見解を示している。

天守存在説に関しては学界でも論議があり、非実在説もある。非実在説の根拠としては、

寛文年間と推定される大多喜城の絵図には、天守が描かれていない。...

大多喜城の口コミ情報

たえちゃん上総介子猫のお宿様[2018年08月14日]
続100名城のスタンプは設置場所が変更になってました。
千葉県立中央博物館大多喜城分館の玄関ではなく、2階になってました‼︎
入場料 大人200円掛かります。

三ツ鱗 武蔵守 如意成就様[2018年08月02日]
本丸最寄りの無料駐車場、山側のり面に面した駐車マスの車止めでマムシに遭遇。大多喜城付近には「マムシに注意」看板も多く、夏場は土部分の周辺散策は諦めて、アスファルト道路のみを歩くのが無難かと思いました。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月20日]
この地に「小田喜城」を初めて築いたのは真里谷信清で大永元年(1521年)のことであるとされる。真里谷当主の真里谷恕鑑の実名が信清と考えられており、「小田喜」の信清と同名であるが別人である。「小田喜」の信清は元々長南武田氏の出であったという説がある。小田喜城は信清・直信・朝信と三代20余年に亘り真里谷氏の城であったが、朝信の代に里見義堯と争い、槍大膳と称された里見の重臣正木時茂に朝信が討ち取られることで、正木氏の居城となる。正木氏の支配は40年近くに及んだが、時茂の養子、正木憲時が城主の折、里見氏当主里見義頼に反乱を起こして殺害されるという事件が起こる。この事件には先代義弘の嫡男義重を義頼が北条とともに追放したことに憲時が異議を唱えた為、謀反人の汚名を着せられたと言う説がある。正木の名を惜しんだ義頼は子の時堯を正木姓とし、時尭は正木時茂の名を名乗り城主となるが、10年も経ずして小田原合戦が起きて上総・下総の里見領が没収される。小田喜には本多忠勝が入り、今に続く大多喜城が築城されることとなる。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月20日]
三つの大多喜城
本多氏以前の小田喜城は田丁の小田喜根古屋城であったとされて来たが、現在では本多氏以前から現在の地に城郭があったと考えられている。栗山と大多喜城は尾根で繋がり、尾根上にも郭があるものの、一つの城郭であったと言い切るのは難しく、栗山の遺構は「栗山城」と銘打って言葉を濁している。三つの城の関係性を考えてみたい。
小田喜根古屋城は、田丁の台地の上にあったとされる。すぐ南に栗山がある為、城郭ではなく館であったと考えられる。言うなれば「小田喜館」か。であれば、位置的に小田喜城は栗山にあったと考えられる。大多喜城と尾根にある遺構は真里谷時代からのものか?尾根を防塁として城郭を置く構造の城は、房総丘陵によく見られ、長南武田氏の長南城もこの構造である。信清・直信・朝信は「信」の字の位置から元は長南武田氏の出であったのではないかという説があり、長南城に倣って、こうした構造の城郭を造った可能性も考えられる。こうした城郭の場合、尾根に囲まれた谷津の中に居館を置く事がよくあるが、地形図を確認するとさほど広い谷津でもないので本多氏による改築まで館は田丁に置いていたのかも知れない。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2017年12月20日]
本多氏の大多喜城は丘陵から独立した丘裾に西から本丸、二ノ丸、三ノ丸と続く連郭式の城郭である。本丸部分は模擬天守が置かれている。御殿があった二ノ丸部分は大多喜高校の校舎とグラウンドになっており、三ノ丸は宅地化されている。そのため二ノ丸、三ノ丸部分は整地されており、江戸期や明治期に描かれた絵図とは地形が異なっている。二ノ丸の薬医門・大井戸、三ノ丸の大手門跡・八幡神社、城の北側に僅かに残る水堀跡が城郭の一部であったことを示している。本丸より少し西に行った所に上の丸があり、現在は小さな公園となっている。名前を「二の丸公園」と言う、本多氏以前の小田喜城の2郭であったのだろうか?城の南側を夷隅川が流れ、北側には栗山、西側は丘陵、東側に城下町が広がる。城周辺の紺屋町・田丁・猿稲町・久保町・桜台町・新丁・柳原町は根古屋七町と呼ばれ、中でも商家・旅籠が軒を連ね、城下の中心であった久保町・桜台町・新丁は現在も文化財建築が残る。根古屋七町には円照寺・東長寺・長楽寺・桜谷寺・妙福寺・良玄寺・夷隅神社とこの地を収めてきた城主達に所縁のある寺や神社がある。

ハチミツ中務卿様[2017年09月06日]
いすみ鉄道大原駅から大多喜駅まで、片道530円ですが、1日フリー切符が1000円なので、往復するならフリー切符の方がお得です。もちろん時間に余裕があれば、国吉駅で途中下車してムーミンショップに寄るのも良いし、上総中野駅まで行ってみるのも良いと思います。
大多喜の町は、房総の小江戸と言われていて、城下町もとても素敵です。駅前に観光センターもあるので、パンフレットをもらって散策して下さい。お土産は、最中が有名だそうです。
大多喜城は大多喜駅から約1.3km、徒歩20
分くらいです。昭和50年に建てられた天守閣つくりの中央博物館は一般200円で見学できます。大多喜高校の敷地内にある大井戸は現存城内井戸日本一だそうです。薬医門も江戸時代中期の城内御殿の門だそうです。

椿武蔵守昌家 はぐれ箕輪衆様[2017年05月27日]
公共交通機関利用の場合、大多喜駅から徒歩での登城となります。
乗り鉄も楽しむなら房総横断乗車券がお得。後戻りさえしなければ途中下車可能です。
鉄道は時間がかかって嫌、という方には、品川発の高速バスがおすすめ。品川グース3階から大多喜駅前まで約1時間半。交通系ICカードも使えます。ただし、渋滞による遅れは覚悟してください。
自家用車の場合は、本丸近くに無料の、大多喜駅近くに有料の町営駐車場があります。
無料駐車場にある食堂の鹿唐揚げは美味です。某めぐらーさんに教えていただき、食べてみました。
無料駐車場に停めた場合も、ぜひ城下町まで脚を伸ばしてください。古い建物がたくさん残っていて、とても良い雰囲気です。また、夷隅川を利用した惣構えがよくわかります。

お酒好きの方には、地酒大多喜城。このお酒には観光協会限定銘柄として本多平八郎忠勝「まけしらず」、同「突破力」、小松姫「おやゆずり」があります。ラベルには忠勝公、小松姫のカッコいいイラストが。「まけしらず」のイラストは大多喜駅前の観光本陣でラベルシールだけでも購入できますので、忠勝公ファンの方は是非(私も買ってきました)。

サンダンス相模守キッド様[2017年05月08日]
大多喜城さくら祭りの際に聞いた歌です。
素晴らしい歌詞の一部をご確認下さい

大多喜城讃歌  作詞尾本信平 作曲市角源一
1 世は戦国の 房総に 
  武田や正木の 根古屋(ネゴヤ)城
  万喜(マンギ)の土岐(ドキ)と 幾度か
  干戈(カンカ)交へし 刈谷原
  ああ夢遠し 大多喜城
  鐘の音何処 無縁堂
2 三河の本多 忠勝は
  徳川勢の 四天王
  里見に備へ 舞鶴(ブカク)城
  夕陽きらめく 天守閣
  ああ夢遠し 大多喜城
  冑の絵姿(スガタ) 今に見る
3 慶長秋に ロドリゴは
  ルソンを出でて 岩和田に
  漂着難破 忠朝(タダトモ)の
  なさけは世界に 伝はりぬ
  ああ夢遠し 大多喜城
  支倉(ハセクラ)ローマの 縁かな

6 昔を偲ぶ 大井戸や
  空壕(カラボリ)跡も 草しげし
  若殿輩(ワカトノバラ)も 此の城門(モン)を
  立ち出てたらむ 花吹雪 
  ああ夢遠し 大多喜城
  影こそ映れ 御禁止(オトメ)川

立花飛騨守様[2016年08月10日]
おもちゃの天守閣もどきには、まったく興味なし。二の丸の堀切、道路で寸断されてしまった堀切、さらに、別尾根の旧小多喜城跡も見応えあります。野鳥のさえずりに、癒されながら、ハイキングしました。

しかし、地図をよく確認しなかったので、とんでもないところに、行かされてしまいました。

竪琴安房守海豹様[2015年08月30日]
館内の、おじさんとても優しく陣羽織と兜かぶれるのでオススメ^_^
現地で忠勝忠朝親子GET出来るよ^o^

Mr左近衛大将ワコーレ様[2014年09月26日]
いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15から20分くらいのところに県立中央博物館大多喜城分館があります。そこが大多喜城址です。途中の道端に「本田忠勝、忠朝を大河ドラマに」という幟がたくさん出てます。今回は現地まで行ってみました。

すかんぴん杉丸根室守様[2014年07月24日]
十万石最中で知られる津知家さんの包装紙は、元役場の方?が描かれたという城絵図です

学術的には価値があるのかは別としても、とても味わいのある絵です

最中も美味しいのでオススメです(*^^*)

ビバちゃん様[2012年05月04日]
徳川四天王の一人、本多忠勝の居城。大多喜城の下にある大多喜高校の中に当時からあった大井戸と薬井門は見学出来るのでぜひ見学して下さい!

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