小田代城(こただいじょう)

小田代城の基本情報

通称・別名

田代城、高滝城

所在地

千葉県夷隅郡大多喜町小田代字月貫

旧国名

上総国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

東胤頼?

築城年

鎌倉時代前期?

主な改修者

主な城主

東胤頼、藤原宗高、里見氏

廃城年

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋

指定文化財

再建造物

周辺の城

大多喜城(千葉県夷隅郡)[8.2km]
久留里城(千葉県君津市)[8.5km]
真里谷城(千葉県木更津市)[12.2km]
万喜城(千葉県いすみ市)[15.8km]
秋元城(千葉県君津市)[16.0km]

小田代城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

小田代城(こただいじょう)は千葉県夷隅郡大多喜町小田代にあった城である。田代城、高滝城ともいう。

遺構
大多喜町の北西端、旧老川小学校西方の養老川に面する台地上に位置する。

台地の突端が主郭と考えられる平坦地となっており、その周囲は養老川へ落ちる断崖となっている。唯一地続きとなっている北側にはわずかに土塁と空堀の跡が見れら、現在は宅地や耕作地となっているものの、主郭から北方向に向かって城域が広がっていたものと推測される。

それを裏付けるように、現在も城跡周辺には空堀跡、殿屋敷、陣屋台、馬廻場等の地名が残るという(『大系』、『喜観』)。

歴史
千葉氏の一族・東胤頼(とう たねより)が居城して以来、千葉氏の出城であったと伝わる(『夷誌』)ことから、遅くとも鎌倉時代前期には既に存在していたと思われる。

天正年間(1573~1592)の初めの頃は、千葉氏の家臣・藤原宗高が小田代城を居城としていたが(『喜観』)、後に上総にも勢力を伸ばした里見氏の侵攻を受け、養老川対岸の山から矢を射られ落城したという(『夷誌』)。

その後の歴史についてはよく分かっていない。

交通
小湊鉄道線養老渓谷駅から車で約10分

参考文献
『夷誌』:『夷隅郡誌』夷隅郡、1924年。
『大系』:『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。
『喜観』:大多喜町観光協会公式サイト(http://kankouotaki.com/)。

小田代城の口コミ情報

昌幸近江守さあ兵庫へさん[2019年04月15日]
旧・大多喜町立老川小学校を目指して下さい。
少し先にある蕎麦屋さんを超えてすぐ、左の側道に入ります。
私はここで断念しました。
軽自動車でないと入れないような道と私有地ではないか?と思ったからです。
川沿いの断崖にあり城なので、このルート以外では見学できないのではと思います。
小学校の近くに無料駐車場があるので、巡回すれば遠景ぐらいは見られるかも知れませんね。

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