飯野陣屋(いいのじんや)

飯野陣屋の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県富津市下飯野833他

旧国名

上総国

分類・構造

陣屋(古墳利用)

天守構造

なし

築城主

保科正貞

築城年

慶安元年(1648)?

主な改修者

主な城主

保科氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

土塁、横堀(水堀)

指定文化財

県史跡(飯野陣屋濠跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

佐貫城(千葉県富津市)[6.7km]
真武根陣屋(千葉県木更津市)[8.1km]
造海城(千葉県富津市)[12.9km]
笹子城(千葉県木更津市)[13.1km]
秋元城(千葉県君津市)[13.6km]
浦賀城(神奈川県横須賀市)[15.4km]
佐原城(神奈川県横須賀市)[18.7km]
千本城(千葉県君津市)[19.8km]
衣笠城(神奈川県横須賀市)[20.7km]
久留里城(千葉県君津市)[20.8km]

飯野陣屋の解説文

飯野陣屋(いいのじんや)は千葉県富津市にあった飯野藩の藩庁が置かれた 陣屋である。

概要
飯野陣屋は飯野藩の藩庁が置かれていた、富津市の小糸川下流に広がる沖積平野上にある陣屋である。構造的には本丸・二の丸・三の丸がある東側の内邸(うちやしき)と西側の外邸(そとやしき)に分けられる。

創建年代については諸説あるが、飯野藩の藩主であった保科氏が加増の結果、大名となった1648年に創建されたとの説が有力である。総面積は約17万6000m2と陣屋としては規模が大きく、日本三大陣屋のひとつとされており、また構造的に防衛を考慮された城郭的色彩が強い点などから、江戸時代以前に既存の城郭があって、飯野藩の成立後に増改築がなされたとの説もある。

廃藩置県後、飯野陣屋は一時飯野県の県庁として利用されたが、飯野県が木更津県に合併された後は利用されることもなく、陣屋内に居住していた旧飯野藩士もやがて離散し、遺棄された。 陣屋当時の建物はすでに無いが、濠と土塁は良く残されており、特に保存状態の良い内邸を囲む外濠が千葉県の史跡に指定(1967)されている。

飯野陣屋の構造
飯野陣屋は富津市の小糸川下流に広がる標高約7~8メートルの沖積平野上にある。後述するように飯野陣屋は古墳時代に築造された内裏塚古墳群の中に造られており、古代の古墳は沖積平野上に残るかつての砂丘跡である微高地に造られたと考えられているが、飯野陣屋全体としては築造当初、敷地の多くは低湿地帯であったと考えられている。陣屋の規模は南北約280メートル、東西約350メートルあり、陣屋としては大規模で、飯野陣屋は越前敦賀陣屋、 長州徳山陣屋と並んで日本三大陣屋の一つに数えられていたという。陣屋は大きく分けて本丸・二の丸・三の丸がある東側の内邸(うちやしき)と西側の外邸(そとやしき)に分けられる。

内邸
内邸は全体を千葉県史跡に指定されている幅5~6メートル、深さ1.2~2メートルの外濠が囲み、外堀の内側には高さ約2メートルの土塁が築かれている。この外濠と土塁は現在もかなり良く残っている。全体の面積は外濠の面積を含め約128000m2である。元来、内邸への入り口は本丸東側の大手門、三の丸西側の搦手門、そして本丸南側の門の三ヵ所のみであったが、現在はもっと多く、7ヵ所から内邸部分に入ることが可能になっている。

飯野陣屋の本丸と二の丸、三の丸は主軸方向にずれが見られ、本丸と二の丸、三の丸はその築造時期が異なるのではないかとの説もある。

本丸
飯野陣屋東南部、東西約210メートル、南北約160メートルで、面積は約34000m2ある。本丸の北部、西部を取り囲むように二の丸があり、本丸の東部、南部は飯野陣屋の内邸を囲む外濠と土塁に囲まれ、本丸と二の丸の間にもかつては内濠と土塁があったが、現在ほとんど消滅してしまっている。本丸内部には藩主が住む邸、藩庁があった。本丸の東側には大手門があり、また本丸南側にも門があった。

大手門は藩主の邸へ向かう道筋を防御するために、門内に幾重にも折れ曲がった枡形と呼ばれる四角形をした土塁が造られており、複雑な造りとなっていた。枡形も現在そのほとんどが消滅している。...

飯野陣屋の口コミ情報

2021年08月10日 国府左京亮城介
富津陣屋[飯野陣屋  周辺城郭]



幕末の江戸湾を守る海防陣屋の一つ

【歴史】
天正18年(1590)に、旗本小笠原氏が富津を領地としたことから、その居所として建てられた。その後、旗本の江戸在住に伴い廃止となった。
江戸湾の海防を担っていた白河藩が文政5年(1822)に、館山の波佐間陣屋からこの地に移転した。
その後、幕府代官、忍藩、会津藩、柳川藩、二本松藩、前橋藩に引き継がれていった。
慶応4年(1868)4月に、請西藩主・林忠崇により富津陣屋の武具(大砲や小銃)が接収された。前橋藩の家老小河原左宮はその責任をとって自害している。後に、一部藩士が旧幕軍に協力したことを新政府側に追及され、勘定奉行白井宣左衛門は自害した。同年9月に陣屋は取り壊され、同10月には敷地も払い下げられている。
(説明版等から一部抜粋)

【遺構】
富津陣屋、白井宣左衛門自刃、小河原多宮自刃の三つの石碑がある。
陣屋の遺構自体は残ってはいないが、宅地開発時の発掘調査の際に建物跡や白洲跡、大量の陶磁器類が発見されている。

【感想】
遺構は一切残っておらず、石碑も茂みに隠れるように立っている。発掘した資料や、建物跡・白洲跡の写真は残っていないのは残念の一言。往時の姿は、絵図面で残っており、それによると結構大きな陣屋だったみたいです。

個人的に気になったのは、石碑の「小河原多宮自刃」の名前が間違っていると思うのですが…

【アクセス】
木更津駅若しくは青堀駅から「富津公園」行きに乗車し、「かじや本店前」若しくは「仲町」で下車し、徒歩5分。

【写真】
1:説明版
2:石碑(小河原多宮自刃・白井宣左衛門自刃・富津陣屋跡)

2021年08月02日 国府左京亮城介
富津台場[飯野陣屋  周辺城郭]



江戸幕府が造り、明治政府が改築した台場

【歴史】
文政4年(1821)に、江戸湾の警備体制が変更され、安房の洲崎台場(現・館山市)が廃止され、富津に移された。翌文政5年に、白河藩が富津台場を築いた。安政5年(1858)に日米修好通商条約が締結されると、房総の各台場は徐々に廃止されていったが、富津台場は幕末まで残っていた。

明治14年(1881)に、明治政府によって3年の歳月をかけて改築した。大正4年(1915)に除籍となり、大正11年(1921)から昭和20年(1945)の間は、旧陸軍技術本部の実射試験場・富津射場と運用された。正式名称:富津元洲堡塁砲台

【遺構】
富津公園の「中の島」が台場跡になる。100×250ほどの台形状となっており、周囲を幅20~40mの水堀で囲んでいる。この水堀は海水を引き込んでいる。北側に近代式の石垣による虎口があり、南側の高台に5つの窪地があり、そこが砲台の跡となっている。高台の東側にコンクリートで固めれた区画があり、その下には煉瓦で組まれた弾薬庫が残っている。

また、富津岬自体が軍用地であったため、富津公園内には、監的塀、射入窖やトーチカも残っている。

【感想】
現在残っているのは江戸幕府の遺構ではなく、明治以降の戦争遺構となっています。台場の状態は、品川台場と同じような状態でした。しかし、富津公園内に点在するトーチカ等の遺構は半分くらい藪に埋まったり、道が分かりにくい状態になっているのは残念です。それでも、このような戦争遺構を間近で見える遺構はそうそうないです。

さて、江戸後期に房総地方には多くの台場が築かれていますが、その幾つかは松平定信の白河藩が築き、駐屯していたとのことです。しかも、老中時代に江戸湾海防の提言をした本人ということで、お鉢が回ってくるのは少し酷い気がします。そのため、白河藩の財政は急激に逼迫したようで、子の定永の代に三方領替え(白河→桑名→忍→白河)で桑名へ転封しています。その後、忍・会津・柳川・二本松・前橋の藩が駐屯していたようです。

【アクセス】
木更津駅若しくは青堀駅から、「富津公園」行きのバスに乗り、終点で下車し、徒歩2分。
富津公園の駐車場(無料)は利用可能。

【写真】
1:説明版
2:北側の水堀
3:虎口
4:弾薬庫
5:第一海堡
6:竹ヶ岡台場(造海城)
7:砲台跡
8:トーチカ

2021年08月02日 けんけん中務大輔まる
飯野陣屋



千葉県富津市。御城印は本丸内の平野青果さんか近隣の飯野ラーメンさんでいただけます。土塁と水堀ね遺構が見られ、周りに古墳も点在します。

2021年07月24日 マグロ安房守祐平
飯野陣屋



県の文化財に指定されている外周を囲む水堀が良く残っています。藩校と物見櫓があった飯野神社裏の古墳に向かいましたが、雑草と木の枝に阻まれ断念しました。近くの浄信寺には二代藩主保科正景の墓があります。

2016年01月17日 藤井伊賀守
飯野陣屋

水堀、土塁が良く残っています。

2015年05月04日 まー刑部卿
飯野陣屋

道路を走っていると左手に水濠が見えてきます。何箇所か入り口を過ぎて水濠が終わりそうなところを左折すると石碑がいっぱいあるところに出ます。ここが大手門跡。さらに左折。砂利道を進んでいきますがここは本丸跡だそうですが住宅地と化しています。神社の前の案内板の前に駐車しました。途中細い道路を通過しましたがそこはかつての水路もしくは水濠だったようです。二の丸側の水濠はアスファルト舗装されています。物見台や藩校のあった古墳は歩いてみたものの藪化で歩きにくいし視界が悪かったです。陣屋跡というと石碑しかないところがほとんどのため水濠があるところは珍しいです。

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