富津陣屋
富津陣屋([飯野陣屋 周辺城郭])
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富津陣屋の口コミ情報
2021年08月10日 国府左京大夫城介
幕末の江戸湾を守る海防陣屋の一つ
【歴史】
天正18年(1590)に、旗本小笠原氏が富津を領地としたことから、その居所として建てられた。その後、旗本の江戸在住に伴い廃止となった。
江戸湾の海防を担っていた白河藩が文政5年(1822)に、館山の波佐間陣屋からこの地に移転した。
その後、幕府代官、忍藩、会津藩、柳川藩、二本松藩、前橋藩に引き継がれていった。
慶応4年(1868)4月に、請西藩主・林忠崇により富津陣屋の武具(大砲や小銃)が接収された。前橋藩の家老小河原左宮はその責任をとって自害している。後に、一部藩士が旧幕軍に協力したことを新政府側に追及され、勘定奉行白井宣左衛門は自害した。同年9月に陣屋は取り壊され、同10月には敷地も払い下げられている。
(説明版等から一部抜粋)
【遺構】
富津陣屋、白井宣左衛門自刃、小河原多宮自刃の三つの石碑がある。
陣屋の遺構自体は残ってはいないが、宅地開発時の発掘調査の際に建物跡や白洲跡、大量の陶磁器類が発見されている。
【感想】
遺構は一切残っておらず、石碑も茂みに隠れるように立っている。発掘した資料や、建物跡・白洲跡の写真は残っていないのは残念の一言。往時の姿は、絵図面で残っており、それによると結構大きな陣屋だったみたいです。
個人的に気になったのは、石碑の「小河原多宮自刃」の名前が間違っていると思うのですが…
【アクセス】
木更津駅若しくは青堀駅から「富津公園」行きに乗車し、「かじや本店前」若しくは「仲町」で下車し、徒歩5分。
【写真】
1:説明版
2:石碑(小河原多宮自刃・白井宣左衛門自刃・富津陣屋跡)