造海城(つくろうみじょう)
造海城の基本情報
通称・別名
- 百首城
所在地
- 千葉県富津市竹岡字城山4492-1他
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 真里谷信興
築城年
- 寛正2年(1461)
主な改修者
- 正木氏
主な城主
- 真里谷武田氏、正木氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、空堀、石垣、土塁、井戸、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
佐貫城(千葉県富津市)[8.6km]
勝山城(千葉県安房郡)[10.9km]
浦賀城(神奈川県横須賀市)[11.3km]
飯野陣屋(千葉県富津市)[12.9km]
秋元城(千葉県君津市)[14.7km]
佐原城(神奈川県横須賀市)[14.8km]
岡本城(千葉県南房総市)[17.3km]
衣笠城(神奈川県横須賀市)[17.4km]
真武根陣屋(千葉県木更津市)[19.7km]
山之城(千葉県鴨川市)[19.9km]
造海城の解説文
[引用元:Wikipedia「造海城」の項目]
造海城(つくろうみじょう)は、千葉県富津市竹岡にあった日本の城。
概要
造海城は、真里谷氏によって築かれた山城。この通説に対し、黒田基樹は足利成氏が真里谷一族の祖である上総武田氏の初代武田信長に与えた「上総国造細郷」を造海郷の誤りとみる立場から、造海城が武田信長すなわち上総武田氏の最初の本拠で、真里谷城や庁南城への進出は次世代以降とする説を唱えている(黒田は造海に真里谷や庁南と異なる系統の上総武田氏の嫡流がいた可能性も指摘している)[1]。
里見氏の支配下に入った天文6年(1537年)以降、里見氏の対北条氏最前線として重要な役割を果たした。
歴史・沿革
- 寛正2年(1461年)、真里谷信興(あるいは武田信長)により築城された。
- 天文3年(1534年)、真里谷信隆と信応の間に家督争いが起こると、信隆の子信政が拠った。
- 天文6年(1537年)、信応に付いた里見義堯に攻められ開城し、里見氏方の正木氏が入った。
- 天正18年(1590年)、小田原征伐の後、里見氏が安房一国に減封され廃城となった。
- 江戸時代末期、城内の北端及び南西端二箇所に台場が設けられた。
構造
浦賀水道に面した南北に伸びる独立性の高い丘陵上に占地し、西面を浦賀水道、北面を白狐川に守られた天然の要害である。
郭は尾根上に四郭を設け、西側に伸びる支尾根上及谷の上部に郭が重ねられている。東側の地形は西側に比べて起伏に乏しいが、三柱神社脇の尾根筋及び外部へと繋がる尾根筋に普請が認められる。後者は灯篭坂大師から伸びる大手道を、後者は延命寺・三柱神社にあったと考えられている居館をそれぞれ守る目的で設けられたものと考えられる。この他に、大手尾根の付け根付近に木出根と呼ばれる場所があり、腰郭が設けられている。
考古資料
遺構
山上の遺構はほぼ完全に残っており、空堀や石垣、土塁、及び井戸が残る。ただし、後に台場が設けられたため、幕末期の遺構も混在する。
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造海城の口コミ情報
2024年08月11日 昌幸近江守晩秋リア旅
天神山城[造海城 周辺城郭]
2023年に御城印が発売された天神山城。
それを機に地元有志の方により整備・保全が進み見学しやすくなりました。
本題に入る前に2点ほどお伝えさせていただきます。
《駐車場がありません》
道が大変狭い上に、天神社付近には「駐車禁止」や「〇〇邸駐車場」の看板が立っており、近くに駐車するスペースはないです。
《スポット登録の位置》
現在登録されているのは物見があった所と思われます。国土地理院のマップで見ると分かりやすいですが、主郭とされる所は東側の丘陵部(天神社の南)となります。
いよいよ本題ですが、湊川の河口にあり江戸湾を臨める天神山城は、水上交通の抑えと監視を担っていたとされます。里見氏に対する真里谷氏の境目の城から始まった経緯により、里見氏、正木氏、北条氏と主が変わり、造海城や峰上城と同じく北条氏の滅亡とともに廃城になったようです。
天神社から少し戻ると登城口の看板が立っており、夏場でも草刈りがされていて、更に杖までも準備されていました。5分ほどで主郭ですが、その間段郭や凹みがあります。太平洋戦争で造られた塹壕という方がおり私もそうでないかと思います。
主郭背後の尾根に施された遺構、これが戦国期のものであり、房総でお馴染みの岩盤堀切、削り残しの石塁はこの城でも見どころの一つです。
細尾根を進み物見郭まで。その後はUターンしました。
【写真の説明】
①湊川対岸より。崖上は天神平と呼ばれ居住エリアとされる。背後が城山。
②太平洋戦争時に掘られた塹壕。
③I郭背後の堀切。
④II郭と北に伸びる尾根の間の堀切。
⑤II郭から物見郭へ向かう途中の堀切。竪堀になっていて下ったところから撮影。岩石もあり迫力満点。
⑥細尾根の石塁。樹木の生命力を感じる。
⑦金谷石の採掘場にもなっていた様子。
⑧物見郭。祠が建っている。
2024年08月07日 昌幸近江守晩秋リア旅
二又要害城[造海城 周辺城郭]
別名:二又山要害城、君ヶ谷(きみがやつ)城
詳細不明の二又要害城。造海城から内陸へ2.6㎞に位置するこの城は造海城の付け城とされています。
山頂に小さな郭を持ったこの城、そこに辿り着くまでに施した遺構に見応えがあります。
麓に兵が駐屯できる広い郭を堀切で断ち、
尾根を登ると、本城部手前でふたたび堀切と切岸を設け近づけさせない縄張りです。
本城部はさほど広くない3つの郭が段々に並んでいます。
場所はグーグルマップに表示される君ヶ谷観音堂を目指してください。
素掘りの隧道があり、その手前のスペースに3台ぐらいは駐車できそうです。
そして目の前のお墓の裏を登っていきます。
【写真の説明】
①兵が駐屯できる広い郭と尾根道を分かつ堀切
②尾根は岩を利用し段々に郭を連ねているところもある
③岩を削った尾根道
④本城部間近。岩盤が通路を狭める
⑤岩盤上は削り残した石塁と武者隠しが確認できる
⑥本城部下の岩盤堀切
⑦本城部虎口
⑧腰郭には岩を加工した井戸跡が残る
2024年03月05日 カツ式部卿
造海城
個人的には整備され過ぎている城跡よりもされていない方が好きです。ただ整備されなさすぎて入口が分からないのが難点かも😅でも雰囲気が良く好きです
2024年01月07日 久松胆振守西門左衛門️
「大師口」バス停[造海城 その他]
上総湊駅から路線バスがあります。本数は少ないので、日東交通のホームページでご確認を。
2023年09月27日 右近衛大将眞神辨次
造海城
別件で登ったんですが、下山後に大小のマダニが靴/靴下にわんさか。冬場はどうか知りませんがマダニ山なんでご注意。
城のことは全くサッパリわからないので、素人目には何が遺構でどこがどう等、皆目見当もつきませんでした。辛うじて「これは土橋というやつかしら」とか「...これは井戸の名残かなあ?」くらいです。
2023年09月12日 マグロ常陸介祐平
造海城
燈籠坂太師裏の岩盤の切り通しを抜け、西に向かう細尾根を進むとすぐに土塁(部分的)を伴う郭があり、さらに進むと南北に広がる郭群に辿り着きます。途中倒木がありますが迂回は困難ではありません。
山頂の矢印方面に進むと南に向かって尾根上に四つの郭が並んでおり、所々に石積みを見ることができます。
西側には、下に向かって段々に郭が並び、水堀も確認できます。水堀は郭の内側にあり、防衛的な感じではありません。
今回、全てを回りきれたわけではありませんが、山城の割には比較的見通しがよく、縄張を実感しやすいお城だと感じました。
イノシシの荒らした跡や若干危険箇所などありますので、複数の登城がよろしいかと思います。
2023年02月15日 いれぶん[⭕️雁雁]
鋸山美術館[造海城 御城印]
金谷城の御城印を取り扱っています。フロントで販売しているので、入館せずに購入可能です。また、美術館裏に別館となる鋸山資料館があり、この建物は鋸山の石を使用して建てられいる国登録有形文化財です。切り立った金谷城の縄張りを理解する一助になると思います。駐車場はかなり広く確保されています。
住所: 富津市金谷2146−1
電話: 0439-69-8111
営業時間:10時〜17時
定休日:火曜
入場料800円/資料館300円・共通1000円
2023年02月15日 いれぶん[⭕️雁雁]
栄寿司[造海城 御城印]
日曜日15時頃の仕込み時間帯に訪問しました。のれんがかかっていないので「ダメかな?」と諦めつつ引戸に手を掛けると開くので、思い切って店主に声を掛け、無事に御城印を頂けました。話かけやすい店長さんです。ランチの刺身定食の評判が良いようです。駐車は店の脇に数台は可能
住所: 富津市竹岡4402-2
電話:0439-67-8145
定休日:毎週月曜
2023年02月13日 いれぶん[⭕️雁雁]
金谷城[造海城 周辺城郭]
2022年に調査が行われて、大量のカワラケ出土により評定機能を有し、また戦国時代の遺構をよく残していた事が判明した金谷城本郭が2023.2.12に初の一般公開となりました。リゾート施設建設や、明治期の砲台設置等があった為に、すっかり失われていたと考えられていた城址にとびきりのご馳走が残されていた事に感謝しきりです。
物見となる小郭2ヶ所、地山切り残しの土塁、堀切2ヶ所、腰曲輪等が遺構になります。北側の小郭(物見)は三浦半島を望み、南側は外洋に向けています。竪堀が強く、岩盤を利用した厳畯な地形には圧迫されます。
写真
①腰曲輪から見た神奈川方面
②本郭から見た南側小郭
③本郭から見た北側小郭
2023年02月13日 いれぶん[⭕️雁雁]
TJKリゾート金谷城ロビー[造海城 関連施設]
私企業(保養施設)ではあるが、金谷城遺構保護に取り組んでおられていて、ロビーの一角に金谷城コーナーを作り発掘品の展示他の紹介に努めて頂くだけで無く、フロントにて金谷城御城印の販売も行って頂いている。ニノ郭四脚門遺構公開時等に、ご迷惑が掛からぬように鑑賞させて頂くと宜しいでしょう。
2023年01月29日 信濃守学堂
造海城
倒木が多かったのですが、手が入っていない感じが却って印象的でした。小ぶりながら海城且つ山城として魅力的です。内房線の竹岡駅から歩きましたが、1時間に1本なので時間配分要注意です(笑)。
2023年01月09日 国府左京大夫城介
天羽城[造海城 周辺城郭]
峰上城と天神山城を繋ぐ狼煙台
【歴史】
平安時代末期に、上総広常の弟である天羽秀常(天羽直胤ともいう)が築いたと伝わる。
天羽秀常は上総広常が誅された際に所領を没収されたが、後に許され、御家人になった。その後、天羽氏の一族は阿波に移住しており、江戸時代には徳島藩士となっている。
【遺構】
造海城の東4.7kmにある山(標高124m)に築かれている。
急峻な山に、主郭、腰曲輪、石積、堀切などが残っている。また、山頂の主郭には窪みがあり、狼煙台の跡と云われている。
【感想】
2019年の台風直撃により、倒木は激しく、稜線上の木々は根元から倒れています。その結果、この城は岩盤の上に築かれていたことが露になっています。登城口自体は複数あるようですが、台風の影響により、今回使ったルート以外は壊滅状態らしいです。また、この辺りは猪が出没するようなので、登城時にはご注意を。
遺構も倒木等の影響を受け、見づらいというか分かりにくい状態になっています。城域がいまいちよく分からないですが、主郭からかなり離れた尾根に堀切らしき跡があります。主郭まわりであれば、北側に岩盤を穿った堀切と、そこから南に下ったところに石積があります。狼煙台と言われる窪みは確認できませんでした。
一応、上総広常の弟である天羽氏が築いたとのことですが、平安末期にこんな不便な山中に築くとは思えません。遺構的には戦国期の城郭で、峰上城と天神山城を結ぶ位置にあることから、真里谷武田氏または内房正木氏が築いた可能性が高いと推測します。
因みに、城は天羽城(あまじろ)で、築いた(伝承)人物は天羽(あまは)氏と読むので、ややこしいことこの上ないです
【アクセス】
上総湊駅から徒歩で登城口まで約40分、そこから山頂まで約30分かかる。途中に猪避けの柵が二か所あります。
登城口付近の農道に、一時的であれば駐車することは可。(富津市発行の『中世の山城楽歩』より)
【写真】
①登城口
②尾根にある堀切
③岩盤を掘った通路
④細尾根(土橋?)
⑤岩盤が露わになった稜線
⑥主郭
⑦主郭北側の堀切(真ん中は根ごとめくれた木)
⑧石積
2022年07月08日 千葉相模守早雲【権六】
造海城
岩盤をフルに利用した房総らしい城です。
岩盤を削り切り通しを設けて、防御力をアップさせています。また、自然石を活かしつつも、所々石積みにより郭の機能性を向上させており、見どころ満載です😁
城郭は内房の海沿いに南北に伸びる山?丘陵?の尾根伝いに郭を展開し、東に伸びる尾根道を大手道として、燈籠坂大師の脇に大手口を設けています。Ⅱ郭下の堀切とⅢ郭とⅣ郭下の横堀は岩盤を削って作られ規模も大きく、特に見どころだと思います。
その他にもあちらこちらに自然石を取り入れた石積みが見られ、また、石積みを形成していた思われる石が転がっており、かつて城郭であったことがよく分かります。
そのどれもが苔むしていて、夏草や兵どもが夢の跡を彷彿とさせてくれます😁
城内は道があまり整備されておらず、どちらに進むべきか迷う場所も多々あります。ネットで縄張り図を入手して行くのがオススメです。また足元が不安定・緩い場所が多いので、軍手や靴などの装備もしっかりと準備するのもお忘れなく。見どころ満載の為、時間にも余裕を持っていざ!😁
1.大手道から続く堀底道。
2.クランクの脇にある竪堀。
3.Ⅱ郭下の堀切。
4.Ⅲ郭側から見た横堀。
5.横堀をⅢ郭方向に望む。
6.石積み。上にⅥ郭が広がる。
7.Ⅵ郭。石積みが直角に折れている。
8.砲台跡。幕末期の遺構。
2022年04月29日 坂東のダイ
造海城
燈籠坂大師トンネル上部を通過するときは滑落しないように注意してください 強風時は危険です 道はかなり整備されていますが倒木なとがあります🐍もいますので注意
2022年03月16日 RED副将軍
造海城
山城好きの多くが訪れている名城のひとつ。
至るところを岩盤掘削しまくっている真里谷武田氏、里見氏による魔城。
オススメ度 ★★★★★
1461年に真里谷信興が里見氏に備えるために築城。
1537年、武田信政が足利義明、里見義堯との戦いで籠城するも敗れて開城。
その後はは里見氏の支配となり正木氏が入城。水軍の拠点として機能しました。
幕末期の1810年には陸奥国白河藩により砲台が築かれました。
見所
真里谷嬢、里見嬢によるドS城です。
灯籠坂大師の裏手にある岩盤を掘削した切通し。造海城の虎口であったと言われます。
主郭西側下部の横堀。名物の岩盤を垂直に断ち切った横堀。深さ6m、幅3mほどの規模。
二郭北側の垂直掘削された巨大な岩盤堀切。
主郭東側の細尾根を掘削した土橋の先には東京湾を望む小さな郭を形成。周囲は断崖絶壁で囲まれています。
主郭西側には砲台跡が残ります。
2022年01月04日 HS兵部大輔
造海城
築城当時の遺構と近世の遺構が混ざり 複雑な印象でした。整備が入ってもう少しわかりやすく歩きやすくなったら もっと良くなるのではと感じました。
2021年12月05日 相模守愛洲久忠
造海城
台風の被害で登城道の一部は崩れたままでしたが、今日時点で特別に危険な印象は受けませんでした。但し、倒木の下を潜らないと先へ進むことの出来ない場所が2箇所ありましたのでご注意下さい。
行き方:国道127号線を木更津市方面からならば館山市方面へ向かい南下します。竹岡インター入口の交差点を直進すると、右カーブの登り坂になり頂上にトンネルが見えてきます。トンネル手前左側に燈籠坂大師さんの駐車場へ入る道がありますので左折して下さい。大きな石鳥居が目印です。駐車スペースは5台程度駐車可能です。ワンボックスカーやミニバンのような大きな車でも楽に取り回し出来ますが、傾斜地なので輪止めやサイドブレーキは確実に。駐車場から坂の上を目指し真っ暗なトンネルを抜けると道は突き当りますので右手へと曲がります。もうひとつトンネル(こちらは電灯あり)をくぐると燈籠坂大師さんの入口になります。
写真① 燈籠坂大師さんの階段。ここの斜度が一番きついです。
写真② 大師さん裏手の切り通しで、ここがお城の入り口です。かつてここに頑丈な城戸があったのでは?と、想像出来ます。
写真③ 登城道
写真④ 登城道
写真⑤ 腰郭
写真⑥ 主郭
写真⑦ 細尾根状になっている箇所があります
写真⑧ 迷うような箇所はありませんが、紫色のリボンが目印です。
2021年07月22日 国府左京大夫城介
大久保城山城[造海城 周辺城郭]
富津金谷城の支城か?
【歴史】
築城者・築城年代は一切不明。
【遺構】
富津金谷城の北東850m程に位置し、標高80mほどの山に築かれている。
主郭はかなり広いが傾斜した地形になっており、第六天社の祠がある部分が一番高い場所になっている。主郭の南側は帯曲輪状の地形がある。西側に行くと、岩盤を掘削した堀切がある。東側には、物見台らしき地形があり、その西にかなり大きな竪堀がある。
【感想】
鋸山の安兵衛沢ルートの途中に登城口が2つあります。手前側の登城口は線路を越えて直ぐの所に、奥のルートは廃墟らしきあたりから登っていくルートになります。個人的には、手前側の登城口をお奨めします。少し見つけにくいですが、直登するだけで着くので分かりやすいです。一方、奥のルートは泥濘や倒木などがあり、初見だとどのように行けばいいのか分かりにくい感じがしました。
さて、この大久保城山城は遺構がしっかりと残っています。こういう山の中にある史跡指定されていないお城の多くは、藪が覆い茂り遺構が分かりにくい状態になっていることが多いですが、遺構がしっかりと視認できるので驚きました。しかも、蜘蛛の巣もほとんどなく、虫も少なく、その上、樹木による丁度いい木陰があり、凄く探索しやすい城でした。
堀切も岩盤を掘削したものがあることから、里見系の城郭だと思われます。そもそも、この城自体は一切資料に出てこないので、実際誰がどのような目的で作ったかは不明です。富津金谷城と比べると、城の造り自体はシンプルな造りです。おそらく西側の物見台付近が本来の登城口だったと思われます。物見台に切通みたいな通路と巨大な竪堀で防御されています。ただその先は、線路によってがっつりと削られており、もしかすると他にも何か遺構があったのかもしれません。
富津金谷城の特別公開を見た後に物足りなさを感じたら、是非登城してみてください。
【アクセス】
浜金谷駅から徒歩10分。
鋸山登山用の駐車場(有料)が周囲に沢山あります。
【写真】
1:大久保城山城遠景
2:登城口(倒木の脇から登る)
3:主郭
4:第六天社の祠
5:物見台
6:竪堀
7:堀切1
8:堀切2
2021年07月19日 国府左京大夫城介
金谷城[造海城 周辺城郭]
里見実尭の居城でもあった海城
【歴史】
築城年代・築城者は共に不明だが、天文2年(1533)の頃には里見実尭が本拠としていた。江戸湾に面する立地から、度々北条氏の侵攻を受けており、天文22年(1553)には、里見義尭の政治顧問を務めていた妙本寺(鋸南町)の住職・日我が戦火を避けるために、金谷城に経典などを運び入れるが、天文24年(1555)に落城し、経典も焼失したという。北条氏に与していた内房正木氏に属することになりましたが、永禄年間に里見氏に帰順しています。この頃には、正木淡路守が城主となるが、天正5年(1577)に里見氏と北条氏が和睦すると、正木淡路守は造海城に移っている。
【遺構】
造海城の南南西5.3kmに位置し、鋸山・金谷港に面する標高120mの岩山に築かれている。リゾート施設の建設に伴い、遺構の大部分は消滅しており、僅かに二郭の虎口にあった四脚門の跡が残る。この四脚門は、岩盤整形した虎口と一体となっているという珍しい特徴を持っている。(遺構は埋め戻されている)
なお、普段はリゾート施設内なので、非公開となっている。
【感想】
富津金谷城が特別公開されるということで、本日(R3.7.19)見学に行ってきました。公開されたのは、パターゴルフ場にある四脚門跡で、虎口にある門ということでもっと広い門かと思いきや、かなり狭い門(2,3人程度の幅)であったことが意外でした。また、東京湾に面しており、城内から三浦半島や館山方面までの眺望は抜群で、この地を巡り、里見氏と北条氏が争ったのは納得する眺めでした。また、主郭を始め、周囲に遺構が残っていそうな場所はありますが、立入禁止となっています。なお、今後も特別公開を実施するとのことです。次回は9月以降になるみたいです。
【アクセス】
内房線・浜金谷駅から徒歩15分。
【写真】
1:富津金谷城遠景
2:四脚門跡
3:説明版(四脚門)
4:発掘時の写真1
5:発掘時の写真2
6:主郭
7:三浦半島方面を望む
8:館山方面を望む
2021年04月30日 愛甲太閤【相模の狂人】
石丁場跡らしき断崖[造海城 遺構・復元物]
砲台跡のあった曲輪の北側、尾根の裏に隠れるような位置関係で、谷に面した急斜面が幅数十メートル、高さ10mほどの規模で垂直に削り取られています。様子が房州石の丁場と似ていて、恐らく城の遺構ではなく、幕末か明治以降の石丁場と思われますが、情報がほとんど無く、定かではありません。
崖はほぼ垂直になっており、東側の面には平行する横線が無数に入っています。平場掘りの採石で出来る跡と同じように見えます。西側半分は横線はほとんど見えず、ノミの痕らしいものがたくさん見えます。
城内にはこの崖の他に横堀や岩盤堀切、近くには切通し隧道がありますが、岩に刻まれた削り痕はこれらのどれとも違っているように見えます。このあたりの調査結果を知りたいものです。
城の近くには房州石の一大産地であった鋸山がありますが、事と次第によってはこの城も鋸山のようにボコボコにされていたかもしれないと思うとゾッとします。反面、日本の近代化の一翼を担う存在であったかも知れないと考えるとワクワクしてきます。今後の調査に期待したいところです。
2021年04月04日 左馬助たっか
造海城
お大師様の横の階段を上がるとすぐに案内板があります。倒木が多いですが荒れた感じは無く、散策には問題ありませんでした。進んで行くと頂上と溜池の案内板があります。溜池へ行く道は落ち葉が厚くフカフカした感じなので雨上がりは注意が必要だと思います。
2021年01月02日 葵尾張守
造海城
神社でお参りし、その横通り抜け尾根伝いに登城してきました。何ヵ所か倒木や崩落したと思われる場所があり、くぐったり跨いだりして登ってきました。先人の方々も仰ってますが、看板や道案内は何もないので1人での登城は危険と思われます。
遺構は結構残っているので、整備されれば良い観光名所になりそう。本日は富士山や海がキレイに見えました。
2020年09月19日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
天神山城[造海城 周辺城郭]
千葉県の富津市にある上総天神山城☆
天神山城は峰上城主の真里谷武田氏が支城として築いた城となります♪後に里見氏に奪われてからは里見氏の武将・戸崎玄蕃頭勝久の居城となりました☆
城域内にある天神社や付近にある妙見社との関係から千葉氏の一族天羽氏の関連、後北条氏が里見氏を攻める為に築いた可能性もあるみたいです☆
登り口は滝ノ谷に入り込んで行くと右手に城山が見えてきます♪住宅地から入り込む事、500m〜600m位進むと堤防?砂防?の様な土橋みたいな橋が現れます♪此方に突き進むと後は登るだけです♪登って行くと堀切に出てきます☆尾根を加工している城郭の為決して広くは無いけれど遺構は堀切、土橋、横堀状の堀底、削平された郭がシッカリと残ってます♪
城山と竜ノ谷の写真入れておきます♪全体は岩盤で切り立っていますが城山から続く奥の森から尾根を登って行けば城郭へ向かえます♪登り口が分かりづらいので情報として入れておきます♪
因みに城域は大きくリア攻めマップに入りましたが実際に主郭の位置は3キロでは入りきれませんでした。
2019年04月23日 昌幸近江守晩秋リア旅
造海城
郭を囲むように石積みがあったと思われる。
2019年04月23日 昌幸近江守晩秋リア旅
竹岡砲台跡[造海城 遺構・復元物]
竹岡砲台跡。「寛政の改革」の松平定信が5基設置。各藩持回りで守備し、ペリー来航の頃は会津藩が担当だった。
2018年11月11日 田部朝臣土持安房守
造海城
他の方も書かれていますが、多分なお荒れてしまったものと思われます。登城口より城の本格的な廓が始まるというべき地点で道が崩落しており、本来の道に沿って城内に入ろうとするとかなり危険です。地元の方が道をつけたのか、無理くり乗り越えで城内に入れます。削平された廓がかなり残っているのですが、廓間の移動はかなり困難。軍手必須。
2018年07月08日 愛甲太閤【相模の狂人】
造海城
房総往還の時代から使われていたらしい、恐ろしく背の高い旧城山隧道から鎖大師参道の奥に登城路があります。すぐ突き当りを左に進むと中心部まで明瞭なトレイルが続きますが、案内は一切ありません。
中心部の曲輪群は恐ろしく急峻な石の壁や土の急斜面などに囲まれていますが、石垣はほとんどありません。主要部の海側一段下には腰曲輪らしい平場、その奥へ進むと急峻な横堀、さらに先には唐突に水堀が現れ飽きさせませんが、やはりトレイルはあるものの案内は一切無く、山慣れた人でないと単独行動は危険と思われます。
尚、登城路下の旧城山隧道は、旧道や旧隧道の愛好家には垂涎のポイントでもあります。
2018年04月08日 だび
造海城
一部草刈りされていて郭とか見やすくなってます。登城口(燈籠坂大師方面)からの道も普通の登山道のようで歩きやすい。城郭は広く巨石もゴロゴロあり近代の改変と思われる箇所も苔むしていてラピュタの雰囲気。鬱蒼としているので景色はよくないがそれが返って埋もれた城を演出している。房総の城郭としては危険度は普通で恐れるほどではないのでご安心を(それなりの装備の最低限の準備は必要)
2017年10月25日 雑賀
造海城
予定外の登城、台風翌日でもあり無理せずと決め撤退覚悟で向かいました。
本丸まで制覇した!という達成感はなく今回はここまでと引き返し…そんな未消化の攻略ではありますが、少しでも参考になればと記します。
国道127号、城山トンネル北側脇の『燈籠坂大師』のアーチをくぐるとすぐに4台ほどの駐車スペースがあります。観光スポットになりそうな素晴らしい切通しトンネルを抜け、大師の社裏から上がり尾根伝いに歩きます。
息切れするような急坂はありませんが、まったく整備はされておらず、倒木を潜り跨ぎ藪をかき分けの悪路。左右とも急崖、崩落に阻まれ大回りなど非常に危険な箇所が幾つもあります。万が一を考え、単独行動はお勧めしません(怖っ)
検索すると大変参考になる城好きさんの詳細なレポートがヒットしますし、装備と共に情報など事前準備を万全に挑戦なさって下さい。
眼前に浦賀水道を臨む里見水軍の基地に、幕末の砲台跡や遺構…複数の時代を感じることが出来ます。 岩盤横堀や水堀、井戸など見所は少なくなさそうなのでリベンジを誓いました。
2013年08月01日 いず常陸介なおとし
造海城
ギャラリーの灯籠坂大師より尾根筋を進みますが、近年は崩落が進み、危険なところが増えてきました。初登城の場合はお一人で行かれるのは大変危険が伴いますのでご注意ください。一番危なかった縁のない深井戸は切岸の崩落石でちょうど蓋がされていました。その他も郭間の移動も大変歩きにくく滑りやすいので、ご注意願います。
造海城の周辺スポット情報
竹岡砲台跡(遺構・復元物)
石丁場跡らしき断崖(遺構・復元物)
金谷城ニノ郭四脚門虎口(遺構・復元物)
砲台跡(遺構・復元物)
金谷城本郭北側小郭(遺構・復元物)
大手虎口跡(遺構・復元物)
岩盤横堀(遺構・復元物)
岩盤堀切(遺構・復元物)
岩盤土塁(南西尾根)(遺構・復元物)
切り通しと水堀(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
溜池、頂上案内板(碑・説明板)
天神山城(周辺城郭)
二又要害城(周辺城郭)
大久保城山城(周辺城郭)
金谷砲台(周辺城郭)
天羽城(周辺城郭)
金谷城(周辺城郭)
栄寿司(御城印)
鋸山美術館(御城印)
竹岡清藍荘(御城印)
竹岡マリーナ レストハウス(御城印)
駐車スペース(駐車場)
TJKリゾート金谷城ロビー(関連施設)
城跡への入口(その他)
「大師口」バス停(その他)