造海城(つくろうみじょう)

造海城の基本情報

通称・別名

百首城

所在地

千葉県富津市竹岡字城山4492-1他

旧国名

上総国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

真里谷信興

築城年

寛正2年(1461)

主な改修者

正木氏

主な城主

真里谷武田氏、正木氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、空堀、石垣、土塁、井戸、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

佐貫城(千葉県富津市)[8.6km]
勝山城(千葉県安房郡)[10.9km]
浦賀城(神奈川県横須賀市)[11.3km]
飯野陣屋(千葉県富津市)[12.9km]
秋元城(千葉県君津市)[14.7km]
佐原城(神奈川県横須賀市)[14.8km]
岡本城(千葉県南房総市)[17.3km]
衣笠城(神奈川県横須賀市)[17.4km]
真武根陣屋(千葉県木更津市)[19.7km]
山之城(千葉県鴨川市)[19.9km]

造海城の解説文

造海城(つくろうみじょう)は、千葉県富津市竹岡にあった日本の城。

概要
造海城は、真里谷氏によって築かれた山城。里見氏の支配下に入った天文6年(1537年)以降、里見氏の対北条氏最前線として重要な役割を果たした。

歴史・沿革
寛正2年(1461年)、真里谷信興により築城された。
天文3年(1534年)、真里谷信隆と信応の間に家督争いが起こると、信隆の子信政が拠った。
天文6年(1537年)、信応に付いた里見義堯に攻められ開城し、里見氏方の正木氏が入った。
天正18年(1590年)、小田原征伐の後、里見氏が安房一国に減封され廃城となった。
江戸時代末期、城内の北端及び南西端二箇所に台場が設けられた。

構造
浦賀水道に面した南北に伸びる独立性の高い丘陵上に占地し、西面を浦賀水道、北面を白狐川に守られた天然の要害である。

郭は尾根上に四郭を設け、西側に伸びる支尾根上及谷の上部に郭が重ねられている。東側の地形は西側に比べて起伏に乏しいが、三柱神社脇の尾根筋及び外部へと繋がる尾根筋に普請が認められる。後者は灯篭坂大師から伸びる大手道を、後者は延命寺・三柱神社にあったと考えられている居館をそれぞれ守る目的で設けられたものと考えられる。この他に、大手尾根の付け根付近に木出根と呼ばれる場所があり、腰郭が設けられている。

考古資料
遺構
山上の遺構はほぼ完全に残っており、空堀や石垣、土塁、及び井戸が残る。ただし、後に台場が設けられたため、幕末期の遺構も混在する。

造海城の口コミ情報

2021年12月05日 相模守愛洲久忠
造海城



台風の被害で登城道の一部は崩れたままでしたが、今日時点で特別に危険な印象は受けませんでした。
但し、倒木の下を潜らないと先へ進むことの出来ない場所が2箇所ありましたのでご注意下さい。

写真① 燈籠坂大師さんの階段、ここの斜度が一番きついです
写真② 大師さん裏手の切り通し、ここがお城の入り口です
写真③ 登城道
写真④ 登城道
写真⑤ 腰郭
写真⑥ 主郭
写真⑦ 細尾根状になっている箇所があります
写真⑧ 迷うような箇所はありませんが、紫色のリボンが目印です

2021年07月22日 国府武蔵守城介
大久保城山城[造海城  周辺城郭]



富津金谷城の支城か?

【歴史】
築城者・築城年代は一切不明。

【遺構】
富津金谷城の北東850m程に位置し、標高80mほどの山に築かれている。
主郭はかなり広いが傾斜した地形になっており、第六天社の祠がある部分が一番高い場所になっている。主郭の南側は帯曲輪状の地形がある。西側に行くと、岩盤を掘削した堀切がある。東側には、物見台らしき地形があり、その西にかなり大きな竪堀がある。

【感想】
鋸山の安兵衛沢ルートの途中に登城口が2つあります。手前側の登城口は線路を越えて直ぐの所に、奥のルートは廃墟らしきあたりから登っていくルートになります。個人的には、手前側の登城口をお奨めします。少し見つけにくいですが、直登するだけで着くので分かりやすいです。一方、奥のルートは泥濘や倒木などがあり、初見だとどのように行けばいいのか分かりにくい感じがしました。

さて、この大久保城山城は遺構がしっかりと残っています。こういう山の中にある史跡指定されていないお城の多くは、藪が覆い茂り遺構が分かりにくい状態になっていることが多いですが、遺構がしっかりと視認できるので驚きました。しかも、蜘蛛の巣もほとんどなく、虫も少なく、その上、樹木による丁度いい木陰があり、凄く探索しやすい城でした。

堀切も岩盤を掘削したものがあることから、里見系の城郭だと思われます。そもそも、この城自体は一切資料に出てこないので、実際誰がどのような目的で作ったかは不明です。富津金谷城と比べると、城の造り自体はシンプルな造りです。おそらく西側の物見台付近が本来の登城口だったと思われます。物見台に切通みたいな通路と巨大な竪堀で防御されています。ただその先は、線路によってがっつりと削られており、もしかすると他にも何か遺構があったのかもしれません。

富津金谷城の特別公開を見た後に物足りなさを感じたら、是非登城してみてください。

【アクセス】
浜金谷駅から徒歩10分。
鋸山登山用の駐車場(有料)が周囲に沢山あります。

【写真】
1:大久保城山城遠景
2:登城口(倒木の脇から登る)
3:主郭
4:第六天社の祠
5:物見台
6:竪堀
7:堀切1
8:堀切2

2021年07月19日 国府武蔵守城介
富津金谷城[造海城  周辺城郭]



里見実尭の居城でもあった海城

【歴史】
築城年代・築城者は共に不明だが、天文2年(1533)の頃には里見実尭が本拠としていた。
江戸湾に面する立地から、度々北条氏の侵攻を受けており、天文22年(1553)には、里見義尭の政治顧問を務めていた妙本寺(鋸南町)の住職・日我が戦火を避けるために、金谷城に経典などを運び入れるが、天文24年(1555)に落城し、経典も焼失したという。北条氏に与していた内房正木氏に属することになりましたが、永禄年間に里見氏に帰順しています。この頃には、正木淡路守が城主となるが、天正5年(1577)に里見氏と北条氏が和睦すると、正木淡路守は造海城に移っている。

【遺構】
造海城の南南西5.3kmに位置し、鋸山・金谷港に面する標高120mの岩山に築かれている。
リゾート施設の建設に伴い、遺構の大部分は消滅しており、僅かに二郭の虎口にあった四脚門の跡が残る。この四脚門は、岩盤整形した虎口と一体となっているという珍しい特徴を持っている。(遺構は埋め戻されている)
なお、普段はリゾート施設内なので、非公開となっている。

【感想】
富津金谷城が特別公開されるということで、本日(R3.7.19)見学に行ってきました。
公開されたのは、パターゴルフ場にある四脚門跡で、虎口にある門ということでもっと広い門かと思いきや、かなり狭い門(2,3人程度の幅)であったことが意外でした。また、東京湾に面しており、城内から三浦半島や館山方面までの眺望は抜群で、この地を巡り、里見氏と北条氏が争ったのは納得する眺めでした。
また、主郭を始め、周囲に遺構が残っていそうな場所はありますが、立入禁止となっています。
なお、今後も特別公開を実施するとのことです。次回は9月以降になるみたいです。

【アクセス】
内房線・浜金谷駅から徒歩15分。

【写真】
1:富津金谷城遠景
2:四脚門跡
3:説明版(四脚門)
4:発掘時の写真1
5:発掘時の写真2
6:主郭
7:三浦半島方面を望む
8:館山方面を望む

2021年06月03日 疲れた人
二又要害城[造海城  周辺城郭]



二又要害城(君ヶ谷城)は文献には全く登場しない城で、築城者や歴史は不明です(峰上城跡測量調査報告書より。峰上城の周辺の城館跡として君ケ谷城として記載があります)。
歴史は不明ながら、造海城から2キロほどの距離にあり支城だったのかなあと思いました。東へ8キロほど行くと峰上城があります。

こんなとこにこんな堀切いります?誰かここ攻めに来ます?とか、いつものように騒ぎながらしっかりとじっくりと楽しみました。
オススメです。

二又要害城への行き方です。

Googleマップは、君ヶ谷観音堂に設定してください。付近に少しスペースがあり駐車できます。君ヶ谷観音堂に行くまでの道が行き違いができない道ですが、たぶん、滅多に行き違うことはないかと思われます。普通車で行けます。

車を止めたら山へ上がる道があるのでそこを登って行きます。登りきると畑があり、畑沿いに歩くと道が見えます(写真)。
あとは写真右手の斜面を尾根を目指して直登していきました。
斜面に登り口とわかる目印は一切ないです。
自分が行った時は、何となく先人が足をかけたように見える跡があって、そこから登ることにしてみました(すぐにその跡はなくなりました…)。

尾根まで行く過程の写真データが消えてしまったので、説明文だけになってしまいましたが、少しでも攻城の参考になれば幸いです。

2021年04月30日 愛甲左京大夫【相模の凶人】
石丁場跡らしき断崖[造海城  遺構・復元物]



砲台跡のあった曲輪の北側、尾根の裏に隠れるような位置関係で、谷に面した急斜面が幅数十メートル、高さ10mほどの規模で垂直に削り取られています。様子が房州石の丁場と似ていて、恐らく城の遺構ではなく、幕末か明治以降の石丁場と思われますが、情報がほとんど無く、定かではありません。

崖はほぼ垂直になっており、東側の面には平行する横線が無数に入っています。平場掘りの採石で出来る跡と同じように見えます。西側半分は横線はほとんど見えず、ノミの痕らしいものがたくさん見えます。
城内にはこの崖の他に横堀や岩盤堀切、近くには切通し隧道がありますが、岩に刻まれた削り痕はこれらのどれとも違っているように見えます。このあたりの調査結果を知りたいものです。

城の近くには房州石の一大産地であった鋸山がありますが、事と次第によってはこの城も鋸山のようにボコボコにされていたかもしれないと思うとゾッとします。反面、日本の近代化の一翼を担う存在であったかも知れないと考えるとワクワクしてきます。今後の調査に期待したいところです。

2021年04月04日 左馬助たっか
造海城



お大師様の横の階段を上がるとすぐに案内板があります。倒木が多いですが荒れた感じは無く、散策には問題ありませんでした。進んで行くと頂上と溜池の案内板があります。溜池へ行く道は落ち葉が厚くフカフカした感じなので雨上がりは注意が必要だと思います。

2021年01月02日 葵上総介
造海城



神社でお参りし、その横通り抜け尾根伝いに登城してきました。何ヵ所か倒木や崩落したと思われる場所があり、くぐったり跨いだりして登ってきました。先人の方々も仰ってますが、看板や道案内は何もないので1人での登城は危険と思われます。

遺構は結構残っているので、整備されれば良い観光名所になりそう。本日は富士山や海がキレイに見えました。

2020年09月19日 龍馬備中守【】
上総天神山城[造海城  周辺城郭]



千葉県の富津市にある上総天神山城☆

天神山城は峰上城主の真里谷武田氏が支城として築いた城となります♪後に里見氏に奪われてからは里見氏の武将・戸崎玄蕃頭勝久の居城となりました☆

城域内にある天神社や付近にある妙見社との関係から千葉氏の一族天羽氏の関連、後北条氏が里見氏を攻める為に築いた可能性もあるみたいです☆

登り口は滝ノ谷に入り込んで行くと右手に城山が見えてきます♪住宅地から入り込む事、500m〜600m位進むと堤防?砂防?の様な土橋みたいな橋が現れます♪此方に突き進むと後は登るだけです♪登って行くと堀切に出てきます☆尾根を加工している城郭の為決して広くは無いけれど遺構は堀切、土橋、横堀状の堀底、削平された郭がシッカリと残ってます♪

城山と竜ノ谷の写真入れておきます♪全体は岩盤で切り立っていますが城山から続く奥の森から尾根を登って行けば城郭へ向かえます♪登り口が分かりづらいので情報として入れておきます♪

因みに城域は大きくリア攻めマップに入りましたが実際に主郭の位置は3キロでは入りきれませんでした。

2019年04月23日 昌幸近江守野面積み♡
造海城

郭を囲むように石積みがあったと思われる。

2019年04月23日 昌幸近江守野面積み♡
竹岡砲台跡[造海城  遺構・復元物]



竹岡砲台跡。「寛政の改革」の松平定信が5基設置。各藩持回りで守備し、ペリー来航の頃は会津藩が担当だった。

2018年11月11日 田部朝臣土持安房守
造海城

他の方も書かれていますが、多分なお荒れてしまったものと思われます。登城口より城の本格的な廓が始まるというべき地点で道が崩落しており、本来の道に沿って城内に入ろうとするとかなり危険です。地元の方が道をつけたのか、無理くり乗り越えで城内に入れます。削平された廓がかなり残っているのですが、廓間の移動はかなり困難。軍手必須。

2018年07月08日 愛甲左京大夫【相模の凶人】
造海城

房総往還の時代から使われていたらしい、恐ろしく背の高い旧城山隧道から鎖大師参道の奥に登城路があります。すぐ突き当りを左に進むと中心部まで明瞭なトレイルが続きますが、案内は一切ありません。
中心部の曲輪群は恐ろしく急峻な石の壁や土の急斜面などに囲まれていますが、石垣はほとんどありません。主要部の海側一段下には腰曲輪らしい平場、その奥へ進むと急峻な横堀、さらに先には唐突に水堀が現れ飽きさせませんが、やはりトレイルはあるものの案内は一切無く、山慣れた人でないと単独行動は危険と思われます。
尚、登城路下の旧城山隧道は、旧道や旧隧道の愛好家には垂涎のポイントでもあります。

2018年04月08日 だび
造海城

一部草刈りされていて郭とか見やすくなってます。
登城口(燈籠坂大師方面)からの道も普通の登山道のようで歩きやすい。
城郭は広く巨石もゴロゴロあり近代の改変と思われる箇所も苔むしていてラピュタの雰囲気。
鬱蒼としているので景色はよくないがそれが返って埋もれた城を演出している。
房総の城郭としては危険度は普通で恐れるほどではないのでご安心を(それなりの装備の最低限の準備は必要)

2017年10月25日 雑賀
造海城

予定外の登城、台風翌日でもあり無理せずと決め撤退覚悟で向かいました。
 
本丸まで制覇した!という達成感はなく今回はここまでと引き返し…
そんな未消化の攻略ではありますが、少しでも参考になればと記します。
 
国道127号、城山トンネル北側脇の『燈籠坂大師』のアーチをくぐるとすぐに4台ほどの駐車スペースがあります。観光スポットになりそうな素晴らしい切通しトンネルを抜け、大師の社裏から上がり尾根伝いに歩きます。
 
息切れするような急坂はありませんが、まったく整備はされておらず、倒木を潜り跨ぎ藪をかき分けの悪路。左右とも急崖、崩落に阻まれ大回りなど非常に危険な箇所が幾つもあります。万が一を考え、単独行動はお勧めしません(怖っ) 
検索すると大変参考になる城好きさんの詳細なレポートがヒットしますし、装備と共に情報など事前準備を万全に挑戦なさって下さい。
 
眼前に浦賀水道を臨む里見水軍の基地に、幕末の砲台跡や遺構…複数の時代を感じることが出来ます。 
岩盤横堀や水堀、井戸など見所は少なくなさそうなのでリベンジを誓いました。

2013年08月01日 いず常陸介なおとし
造海城

ギャラリーの灯籠坂大師より尾根筋を進みますが、近年は崩落が進み、危険なところが増えてきました。初登城の場合はお一人で行かれるのは大変危険が伴いますのでご注意ください。一番危なかった縁のない深井戸は切岸の崩落石でちょうど蓋がされていました。その他も郭間の移動も大変歩きにくく滑りやすいので、ご注意願います。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore