佐原城(さわらじょう)

佐原城の基本情報

通称・別名

所在地

神奈川県横須賀市佐原3

旧国名

相模国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

佐原義連

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

佐原氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

衣笠城(神奈川県横須賀市)[2.7km]
浦賀城(神奈川県横須賀市)[3.7km]
芦名城(神奈川県横須賀市)[6.9km]
新井城(神奈川県三浦市)[10.9km]
鐙摺城(神奈川県三浦郡)[11.5km]

佐原城の解説文

佐原城(さわらじょう)は神奈川県横須賀市佐原3丁目にあった中世山城。相模国の豪族三浦氏一門、三浦義明の子、佐原義連の居城と伝わる。

概要
三浦半島東部、横須賀市久里浜に流下する平作川の支流、佐原川右岸に面した台地上に所在する。

周辺は開発による土地改変が進み、土塁や堀切などの山城遺構はほとんど確認できないが、 1893年(明治26年)建立の『「佐原十郎義連城跡」明治二十六年九月八日佐原里民建之』と書かれた石碑が建っている。

参考文献
大類伸(監修)・金原仁『日本城郭全集』第4集(人物往来社、1967年)p.136

佐原城の口コミ情報

キョロ甲斐守ちゃん様[2012年07月28日]
ここのお城の主人公は『佐原十郎義連』。
平安末期に三浦義明の末子として誕生。
親父の三浦義明は自ら『大介』を名乗り、頼朝挙兵の際に、石橋山で敗れた頼朝と息子達をで千葉に逃して独り城を枕に89歳で討死した豪傑。
親父が親父なので、義連も『末子にありがちな、怖いもの知らずで剽悍無比、思った事はズバズバ言う(戦隊ものなら『緑色』かな?)』性格。
上総介広常が大軍を率いて頼朝の前に騎乗のまま来訪した時は『佐(頼朝)殿の御前ぞ!無礼者!!』と一喝した。
そんなヤンチャな義連を頼朝は気に入って、平家討伐(義経)軍の与力に加える。有名な一ノ谷の戦では、『鵯越の逆落とし』を義経に進言し、躊躇する義経らを尻目に『これくらいの坂、地元の三浦じゃ小鳥一羽追っかける時でも普通に下りるし〜(現代文訳)』と言うや否や『ヒャッハー!!』と単騎突っ込み、義経らは『渋々』後から突っ込んだ→平家大敗。
これを聞いた頼朝は『十郎らしい!』と膝を叩いて喜んだとか…
平家滅亡後は会津に所領を得て、子孫は地元佐原の地名『芦名』から『蘆名氏』を名乗り、伊達政宗に滅ぼされるまで家名はつづいた。m(__)m

常陸入道ねんさい岩代守様[2011年11月27日]
丘城の地形は改変されているが残っている、丘の上に碑と説明板あり、少し分かりにくい

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