鐙摺城(あぶずりじょう)

鐙摺城の基本情報

通称・別名

軍見山、旗立山

所在地

神奈川県三浦郡葉山町堀内

旧国名

相模国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

三浦氏

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

三浦氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

町史跡

再建造物

説明板

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鐙摺城の口コミ情報

キョロ大宰大弐ちゃん様[2012年07月29日]
この地も『三浦氏の城』で、鎌倉初期には三浦義明の次男坊の義澄が治めていました。城跡に『伊東祐親供養碑』があるのは、頼朝が伊豆配流の際に頼朝を監視役として活躍し、頼朝挙兵の際に石橋山で頼朝を破った、伊東祐親が平家滅亡後に捕らわれ→義澄預り(義澄の妻は伊東祐親の娘)→祐親は自ら自害(一説には義澄が殺害)。のため。
頼朝は冷静で非情な面もある人物故に『恩義がある人物を自分の手を汚さずに、かつ、三浦氏の忠義を試す為に義澄預りにした?』かも知れない…。
義澄は父三浦義明や弟佐原義連と共に『坂東武者の風格』を備え、頼朝が『征夷大将軍の宣下』される際に朝廷の勅使に頼朝の名代として遣わされ、勅使が『御名前は?』と尋ねると『三浦の次郎』とだけ答えた。
官位を名乗るのが通例の時代に『ハマの番長』『金本のアニキ』みたいなニックネームを名乗るなど、要は『人間官位なんて関係ねぇ!』って言う関東武士の魂の体現者。

キョロ大宰大弐ちゃん様[2012年07月29日]
城の名前は、あの頼朝がこの地をで駆け上がる時に『鐙』が地面を『摺』った事から。
後年、『頼朝の悪い癖(18)』で、北条政子の追手から逃れた女性がこの鐙摺城に逃げ延びます。
これを知った頼朝は烈火の如く怒り、追手に向かった家来に『汝は!この頼朝の家来か!それとも政子の家来か!!』と怒鳴り散らしたそうです(でも頼朝の自業自得なのに…)。

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