鎌倉城(かまくらじょう)

鎌倉城の基本情報

通称・別名

鎌倉城[大蔵御所・足利公方邸・畠山重忠屋敷・北条氏常盤亭他]

所在地

神奈川県鎌倉市小町1/逗子市他

旧国名

相模国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

なし

築城主

源頼朝

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

源氏

廃城年

遺構

切通し、堀切、削平地

指定文化財

国史跡(大仏切通、名越切通、朝夷奈切通、亀ヶ谷坂、北条氏常盤亭跡、一升桝遺跡)

再建造物

石碑、説明板(大蔵御所他)

周辺の城

住吉城(神奈川県逗子市)[3.0km]
斎田左衛門屋敷(神奈川県横浜市)[4.6km]
鐙摺城(神奈川県三浦郡)[4.8km]
村岡城(神奈川県藤沢市)[4.9km]
玉縄城(神奈川県鎌倉市)[5.0km]
青ヶ台城(神奈川県横浜市)[5.7km]
六浦陣屋(神奈川県横浜市)[5.8km]
八王子山台場(神奈川県鎌倉市)[6.2km]
藤沢御殿(神奈川県藤沢市)[7.1km]
野庭関城(神奈川県横浜市)[7.2km]

鎌倉城の解説文

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝によって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。

概要
鎌倉は、鎌倉時代には日本の政治において最も重要な位置のひとつを占めていた。12世紀末から14世紀半ばの1333年まで幕府が置かれた。 近代に入ってからの鎌倉には鎌倉文士と呼ばれる作家、美術家などの文化人が集まり住み、幾つかのドラマや小説などの舞台にもなってきた。 現在の鎌倉は中世の鎌倉とは断絶した地割りであるが、古都保存法によって乱開発が規制され、古社寺や史跡、神奈川県唯一の国宝建築である円覚寺舎利殿を含めた文化財が比較的多く残る。また市が観光振興に力を入れていることもあり、観光を主な産業として今なお繁栄する。

本項では「歴史都市」「文化都市」「観光都市」としての「鎌倉」について述べることとする。

天然の要害
鎌倉の市街地は東・北・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面した天然の要害である。東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であった。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がここを拠点としたのは、父祖ゆかりの土地であったこととともに、こうした地理的条件による部分が大きかったと思われる。市街地の北西には源氏山(92m)があり、山並みは高徳院(鎌倉大仏)の裏手を通って稲村ヶ崎まで伸びている。市街地の北から東にかけては六国見山(147m)、大平山(159m)、天台山(141m)、衣張山(120m)などの低い山が連なり、逗子市との境に当たる飯島ヶ崎、和賀江島(わかえじま)方面へ伸びている。市街地周辺の山はいずれも標高100~150m程度だが、標高の低い割には急坂やアップダウンの激しい山道が多いとされ、市街地北方の尾根道には「鎌倉アルプス」の別称がある。

現代の鎌倉市域は、南は相模湾に面し、北は横浜市、東は逗子市、西は藤沢市に隣接した区域で、面積は39.5k㎡である。これは周辺の腰越町(1939年合併)、深沢村(1948年合併)、大船町(おおふなまち、1948年合併)が合併した後の市域である。古代の鎌倉はこれよりずっと狭い地域で、前述の東・北・西の三方を山で囲まれた地域に相当し、現在の所謂「旧鎌倉」地域」(=鎌倉七口の内側)に当る。 鎌倉時代後期には、「鎌倉」の範囲は、東=六浦(横浜市金沢区)、西=片瀬川(藤沢市境)、南=小坪(逗子市)、北=山内(横浜市栄区)にまで拡がった。 なお、現在の横浜市南西部や藤沢市の一部を含めた地域は鎌倉郡と呼ばれた(1948年消滅)。

鎌倉幕府の都市計画:鎌倉六大路
現在の鎌倉市街地(「旧鎌倉」地域)の主要道路網は、鎌倉時代の都市計画に基づく「大路」の名残をかなりとどめている。即ち、鶴岡八幡宮から由比ガ浜に向かう都市計画上の中心線としての若宮大路がその代表といえる。このほか、東側を並行する小町大路(現在の通称:辻説法通り、三浦道等)、同じく西側の今大路(同:今小路)が、南北線の基幹大路を成していた。さらに東西線の基幹大路としては、北側(山側)から順に、三の鳥居前の横大路、下馬四つ角を通る大町大路(同:由比が浜通り、大町通り、名越道等)、さらにその南側(海側)には浜の大鳥居跡(旧一の鳥居)前で若宮大路と交差する車大路(同:琵琶小路、本興寺裏辻子等)があった。このため、かなり歪んだ形ではあるが、南北3本・東西3本の六大路により碁盤の目状の道路網が形成されていた。

このうち、現在では「車大路」のみ、一部が廃道となっている(六地蔵近くから鎌倉第一小学校前・浜の大鳥居跡・鎌倉女学院前を通り、閻魔橋を渡った約100m先で中絶)。後世の横須賀線工事によるものであるが、「小町大路」の魚町橋と横須賀線三浦道踏切の間にある横断歩道から、再び東方向に名越方面に抜ける細い辻子が残っており、「車大路」の名残が窺われる。なお、この辺りの古町名を「辻町」という(大町のうち魚町橋以南から、踏切を越えて材木座のうち元八幡辺りまで)。かつてここが、「小町大路」と「車大路」の辻に当たっていたためであり、今も辻の本興寺、辻の薬師堂等の名称にその縁を残している。

なお、上記の基幹大路の名と現在通称されている道路名とには紛らわしいものがあるので、注意を要する。特に紛らわしいのは、小町大路と小町通である。小町大路は筋替橋から材木座までの由緒ある大路で、その両側には幕府高官・御家人の屋敷が並び、とくに大町四つ角以南は当時の鎌倉随一の繁華街でもあった。このため、日蓮上人の所謂「辻説法」も、この大路の彼方此方で行われたものと考えられ、今も大路の2箇所に辻説法跡の記念碑(大町の本興寺門前、及び小町2丁目)が建てられている。今ではこの付近は閑静な住宅街となっている。一方、小町通りは、鎌倉駅前から鶴岡八幡宮までの比較的新しく名付けられた観光土産屋通りであるが、現在では多くの行楽客で賑わう一大観光スポットとなっている。
また、現在、「琵琶小路」と誤って呼ばれている第一小の前の道は、かつての「車大路」の一部である。なお、往古は、若宮大路のうち下馬四つ角から車大路四つ角の間の区間が琵琶状に歪曲していたことから、琵琶小路と呼ばれていたとされる。

歴史...

鎌倉城の口コミ情報

2022年01月23日 のぶ木工頭
鎌倉城



鎌倉城は鎌倉八幡宮。敷地内にある美術館では3月から大河ドラマ館として鎌倉殿の13人の展示が始まります

2022年01月19日 荒虎式部大輔龍成
鎌倉城



源氏池に浮かぶ「旗上弁財天」の裏側に、「政子石」がありました。頼朝が政子の安産を祈った石との事で、縁結び、夫婦円満、安産のご利益が有るパワースポットとの事です。

2022年01月05日 すなちゃん武蔵守
鎌倉城



鶴岡八幡宮の場所に鎌倉城が有ったみたいで、築城したのが源頼朝と言うぐらいしか❗️丁度三が日だったので正月モード一辺倒で、遺構らしいもは分かりませんでした。

また、三が日は通行手形が無いと車では入れず、船戸駅から電車で鎌倉駅に行きました。

2021年12月19日 nirl雅楽允
大庭邸[鎌倉城  周辺城郭]

邸を表すものはなし。マーク所在地は無関係な個人宅でした。

2021年12月05日 武蔵守与作兵衛
鎌倉城



現在は鶴岡八幡宮になっています。大銀杏跡など歴史的にも良く知られている見どころが有り、鎌倉時代に想いを馳せる事が出来ます。ただ、鎌倉城の城郭としての面影はほとんどありませんでした。

2021年11月01日 龍馬備中守【】
畠山重忠邸[鎌倉城  周辺城郭]



神奈川県の鎌倉市にある【畠山重忠邸】♪今は遺構は残りません☆石碑のみが残ります☆鶴岡八幡宮の西側にひっそりと残ります☆

畠山重忠は源平争乱から鎌倉幕府創立期にかけて多くの武勇や逸話を残した武将として有名です☆
この畠山重忠は元々は北武蔵の名族・秩父平氏の系譜を引いていて父・畠山庄司重能と母・相模の名族 ・三浦義明の娘の間に生まれました☆源頼朝が石橋山に挙兵した際は父・畠山重能が平家に仕え在京していた為に僅か17歳の重忠も平家方に属してます☆平家方・大庭景親に付き源氏方の三浦大介義明と戦い三浦大介義明を自刃に追い込みました☆

石橋山の戦いで源頼朝が安房国に渡り勢力を蓄えると、その軍に従い鎌倉入りの先陣を務めたりもしました☆更に宇治川の合戦、一の谷の合戦、奥州藤原氏の征討などに出陣しており多くの手柄を立てています☆
地元の武蔵国(埼玉県)では児玉党と丹党との争いを調停したりと武蔵武士の中心人物として多くの信望を集め源頼朝からも厚く信頼を得ています☆この信頼を得ていたという事がわかる事としてはこの武蔵国(埼玉県)の領地とは別に伊勢国、陸奥国、信濃国等の遠国にも幕府から領地を与えられていました☆
源頼朝の死後は北条時政に騙されてしまい自領地から鎌倉に行く途中に武蔵国は二俣川(現在の横浜市旭区)で討死しちゃいます☆
因みに旭区には、この戦い時に1万の兵を持って戦ったとされる北条時政軍の言い伝えから『万騎が原』という地名が残っています☆
二俣川で畠山討伐軍(北条時政)と畠山重忠は激戦を繰り広げました☆畠山重忠は愛甲三郎季隆の矢を受け最期を迎えました…

畠山重忠を射た弓の名手・愛甲三郎季隆はその後に起こった和田合戦で和田義盛に味方し一族もろとも滅亡しちゃいました☆

2020年10月31日 ゆず兵庫頭拓之助【青龍隊】
政子石[鎌倉城  遺構・復元物]

政子が腰掛けた石らしいです。
伝承なので本当か分かりませんが…
もしかしたら今のスター「英雄」が腰掛けた石も〇〇石とかで後世に伝えられるかも知れません。 ちなみに石に片思いの人の思いを伝えると両想いになれるとか(灬º‿º灬)♡

2020年10月31日 ゆず兵庫頭拓之助【青龍隊】
平家池[鎌倉城  遺構・復元物]

平家池には4つの島がこれは平家が「4」=「死」を表しています。

2020年10月31日 ゆず兵庫頭拓之助【青龍隊】
太鼓橋[鎌倉城  遺構・復元物]

この橋を一気に渡ると男性は出世する。
女性は安産になるとか‥
一気になんて渡れちゃいそうです…:^)

2019年04月06日 Marky武蔵守
鎌倉城

城跡というより、鎌倉幕府の置かれた鎌倉の街全体のことだと思われます。従って城跡を示すものはありません。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
鎌倉城

皆さんが写真で挙げている様に山の史跡の方に行くと銅像とかあります。山の史跡の方は登るルートにより、舗装された道じゃない場所ありますので、靴はキチンとした靴はいて行った方がいいです。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore