一升枡遺跡
一升枡遺跡([鎌倉城 周辺城郭])
鎌倉城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「一升枡遺跡」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
一升枡遺跡の口コミ情報
2024年12月12日 noble中納言弥勒菩薩
一升枡塁です。
口コミがないので、ここもわれが先陣を⚔️
(※史跡の主旨に諸説ある中なので参考程度に😝)
攻城日 2021年1月30日
天気晴 寒かった。しかし、登って冷や汗(-_-;)
写真 焼き直しです。オーブのような物がたくさん写ってますが、ご了承ください😅
中世武家の都、鎌倉。
“鎌倉城”と呼ばれることもあるこの都市は、北東西を山稜に囲まれて南は海という要害堅固の地、古来権力者が欲した処です。
有名な朝比奈、名越など、周辺には都市防衛のための切通を始め、至る所に局所的な防衛の設備が構築されています。
一升枡塁は、観光で有名な極楽寺と長谷の中間辺りの山中に築かれた、まさに“ピンポイント”の防塁、堡塁の一種。
如何せん所詮は鎌倉市内の低山稜中の話なので、いわゆる“城郭”のような規模を有するものではないし、距離も全然大したことはありません。
しかし、その行きづらさ、(こんなところで)遭難するかも!?という点では、現代ではまさに“難攻不落”と言っても過言ではありません😱
では、3年前の攻城記録です。
長谷側と、極楽寺(馬場ケ谷)側から侵入可能です。自分は後者から。(写真①)
一般にしっかりと認識されるような史跡ではないので、現地に案内はないと思ってください。
住宅地の奥から少し登り始めると、すぐにド藪道になります。(写真②⑧)
持参した資料を頼りに藪漕ぎ前進、10分くらいで堀切①(写真⑦)。この周辺は、木材産出の用途でもあるのか、一帯の竹が刈られ、唯一の分かりやすい遺構です。
さらに藪を進むとまさに“一升枡”、土塁囲みの城塁が竹の中に見えてきて、ここに堀切②があります(写真⑥)。
この辺りは周辺中竹林、写真だと良く見えません😓。“枡”の北東側に到達したことになります。
“枡”自体は、せいぜい20m四方くらいのイメージです。
この“枡”、虎口が南西端にあるのですが、そこは土塁上もかなり藪、というか、四周の土塁上含めて“枡”の内部全体が“ド藪”(写真④)、なので虎口は目視でも視認が難しいです😢
“枡”の東西には、堀に見える窪みが通っていますが、これはどちらかと言うと通行メインの“堀底道”らしいです。が、これも藪。(写真③)
特に西側は、堀底も半ば消滅し、斜面の斜度も結構キツいので、ムリに入ると滑落の恐れがあります。
自分のように、木にぶら下がって崖をよじ登ることになるので、西側は行かない方がいいと思います。
“枡”の南側は基本的にやはり藪ですが、南東側に、繁茂が薄い尾根状の獣道があり、ショートカットで極楽寺側へトラバースできそうな気分になります。
しかし、できません。極楽寺方面へ最短で行こうとすると、いずれすぐ下が住宅街、コンクリの10m擁壁になり、どの方向へ行っても
“王将詰んだり!😰”となります。
この擁壁は、山がちな“鎌倉あるある”🫣
“枡”の北東側から無難に戻るしかありません。
なお、馬場ケ谷への藪途中、北側の長谷方面へ抜けれると思しき獣道もあります。しかし、長谷の配水池辺りへもう少しで抜けられる手前、もはや踏み跡もなくなり、“藪漕ぎ”では済まないほど酷くなって、こちらは諦めました😖(写真⑤)
結局は馬場ケ谷往復です😞
難易度、かなり高いです。
また、その後聞いた処によると、私有地侵入、史跡調査などのため、今は立ち入り禁止になっている箇所もあるようです。
何故そこにそんな設備があるのか?
主旨も含めて面白い史跡だとは思いますが、あらゆる意味で皆さん、ムリはなさらないよう。
なお、3年前の攻城にあたっては、神奈川県城郭の権威、西股先生の著作、縄張図を大いに参考にさせていただきました(それがなければ辿り着けなかった…)ので、一応付記します。
もう一度行きたいか?
いや、もうお腹いっぱいです…😵💫