金谷城

金谷城([造海城  周辺城郭])

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金谷城の口コミ情報

2023年02月13日 いれぶん武蔵守


2022年に調査が行われて、大量のカワラケ出土により評定機能を有し、また戦国時代の遺構をよく残していた事が判明した金谷城本郭が2023.2.12に初の一般公開となりました。リゾート施設建設や、明治期の砲台設置等があった為に、すっかり失われていたと考えられていた城址にとびきりのご馳走が残されていた事に感謝しきりです。

物見となる小郭2ヶ所、地山切り残しの土塁、堀切2ヶ所、腰曲輪等が遺構になります。北側の小郭(物見)は三浦半島を望み、南側は外洋に向けています。竪堀が強く、岩盤を利用した厳畯な地形には圧迫されます。

写真
①腰曲輪から見た神奈川方面
②本郭から見た南側小郭
③本郭から見た北側小郭

2021年07月19日 国府左京大夫城介


里見実尭の居城でもあった海城

【歴史】
築城年代・築城者は共に不明だが、天文2年(1533)の頃には里見実尭が本拠としていた。江戸湾に面する立地から、度々北条氏の侵攻を受けており、天文22年(1553)には、里見義尭の政治顧問を務めていた妙本寺(鋸南町)の住職・日我が戦火を避けるために、金谷城に経典などを運び入れるが、天文24年(1555)に落城し、経典も焼失したという。北条氏に与していた内房正木氏に属することになりましたが、永禄年間に里見氏に帰順しています。この頃には、正木淡路守が城主となるが、天正5年(1577)に里見氏と北条氏が和睦すると、正木淡路守は造海城に移っている。

【遺構】
造海城の南南西5.3kmに位置し、鋸山・金谷港に面する標高120mの岩山に築かれている。リゾート施設の建設に伴い、遺構の大部分は消滅しており、僅かに二郭の虎口にあった四脚門の跡が残る。この四脚門は、岩盤整形した虎口と一体となっているという珍しい特徴を持っている。(遺構は埋め戻されている)
なお、普段はリゾート施設内なので、非公開となっている。

【感想】
富津金谷城が特別公開されるということで、本日(R3.7.19)見学に行ってきました。公開されたのは、パターゴルフ場にある四脚門跡で、虎口にある門ということでもっと広い門かと思いきや、かなり狭い門(2,3人程度の幅)であったことが意外でした。また、東京湾に面しており、城内から三浦半島や館山方面までの眺望は抜群で、この地を巡り、里見氏と北条氏が争ったのは納得する眺めでした。また、主郭を始め、周囲に遺構が残っていそうな場所はありますが、立入禁止となっています。なお、今後も特別公開を実施するとのことです。次回は9月以降になるみたいです。

【アクセス】
内房線・浜金谷駅から徒歩15分。

【写真】
1:富津金谷城遠景
2:四脚門跡
3:説明版(四脚門)
4:発掘時の写真1
5:発掘時の写真2
6:主郭
7:三浦半島方面を望む
8:館山方面を望む

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