勝山城(かつやまじょう)
勝山城の基本情報
通称・別名
- (勝山陣屋)、加知山城
所在地
- 千葉県安房郡鋸南町勝山字谷
旧国名
- 安房国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 安西景益
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- 内藤氏(陣屋)
主な城主
- 安西氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 近隣に城郭風建物(大黒山展望台)、説明板
周辺の城
-
岡本城(千葉県南房総市)[6.5km]
造海城(千葉県富津市)[10.9km]
稲村城(千葉県館山市)[14.1km]
館山城(千葉県館山市)[14.3km]
浦賀城(神奈川県横須賀市)[17.6km]
山之城(千葉県鴨川市)[18.0km]
佐貫城(千葉県富津市)[18.7km]
三崎城(神奈川県三浦市)[19.2km]
佐原城(神奈川県横須賀市)[19.7km]
新井城(神奈川県三浦市)[20.4km]
勝山城の口コミ情報
2024年08月16日 あんどー主計頭
展望台[勝山城 関連施設]
展望台からの勝山城もよく見えるのですが、海側は絶景です。急勾配なのでわずか10分の登山はかなりキツイ笑少し老朽化しており、シャチホコも外しておりました
2023年10月23日 国府左京大夫城介
勝山藩陣屋[勝山城 周辺城郭]
安房勝山藩の陣屋
【歴史】
元和8年(1622)に、内藤清政(関東総奉行を務めた内藤清成の次男)が安房勝山藩を立藩するも、翌年死去し、嗣子もなく弟の正勝も幼少だったため、一時的に改易された。寛永3年(1626)に、正勝が安房勝山藩主に復帰するが、寛永9年(1629)に死去し、子の重頼が幼少のため、領地を返納し、安房勝山藩は廃藩となった。(なお、重頼は後に高遠藩主として大名に復帰している)
寛文8年(1668)に、若狭小浜藩の藩主酒井忠直が、甥の忠国(忠直の兄で廃嫡された忠朝の子)に対して1万石(安房国内4,500石、越前国内5,500石)を分地し、安房勝山藩が立藩された。その後、5,000石の加増を受けるが3,000石を分地したため、最終的に安房勝山藩1万2,000石となった。
歴代の藩主は大番頭、大坂加番、奏者番などを歴任し、幕末まで9代約200年にわたり、この地を統治した。
【遺構】
勝山城がある八幡山の北東麓に陣屋は築かれ、八幡山を背にして東西北には幅4間(約7.2m)程の堀と土塁に囲まれ、中央に陣屋屋敷、敷地は堀を含めて約4.500坪あった。(説明版より抜粋)
なお、現在は遺構は消滅している(集落内に井戸があるので、もしかすると陣屋で使っていた井戸かも…)
【感想】
勝山城をリアする前にの前菜として訪れました。説明版が新しくできていますが、遺構は上記の井戸くらいしか残っていません。また、周囲には屋敷観音堂や屋敷稲荷など、ここに陣屋があった名残が今も残っています。屋敷稲荷は抜け穴(鍾乳洞)があるようですが、リサーチ不足で訪れていませんでした(笑)
【アクセス】
安房勝山駅から徒歩10分。
勝山城の登城口まで、徒歩2分。
【写真】
①陣屋跡
②説明版
③井戸
④屋敷観音堂
⑤勝山城登城口につながるトンネル
2022年05月04日 jun1安房守
勝山城
登城口から民家の庭先を上がる感じですが、すぐに段差のある階段をひたすら登る感じで城郭にたどりつきます。登城時、フキ等でボウボウ状態でした。頂上部に登る階段も茂みに覆われ厳しいですが、城郭の鳥居をくぐる道から頂上にいけました。
向の大黒山や水軍拠点や対岸の三浦半島が間近に見え、重要な拠点であったのがわかります。
2022年03月16日 うっきー
勝山城
安房勝山駅から歩いて15分ほどで登城口に到着。そこから10分ほど登ります。
登り口は北側にあります。
2020年03月22日 国府左京大夫城介
源頼朝上陸地の碑[勝山城 碑・説明板]
石橋山の戦いで敗北した源頼朝公が、房総にて再起をはかるために、上陸した場所(竜島)になります。当時は、猟島という地名だったそうです。
また、頼朝公が上陸した際に、サザエが足に刺さったため、サザエに文句を言ったため、この地のサザエは剣がなくなったという面白い伝承もあります。
2012年08月03日 ビバちゃん
勝山城
勝山城跡は安房勝山駅から徒歩10分くらいの所の山の麓にあり、そこから30分くらいの山頂にあります。
現在は城跡に神社がひっそりと建っているだけです。
近くに勝山城を模した見晴台(大黒山)があり、そこからの眺望は最高です!
その他に頼朝が上陸した記念碑や袖ヶ浦の由来になった島など歴史的な物がたくさんあるので、まったりと散歩するのには良いかもしれません。