勝山藩陣屋
勝山藩陣屋([勝山城 周辺城郭])
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勝山藩陣屋の口コミ情報
2023年10月23日 国府左京大夫城介
安房勝山藩の陣屋
【歴史】
元和8年(1622)に、内藤清政(関東総奉行を務めた内藤清成の次男)が安房勝山藩を立藩するも、翌年死去し、嗣子もなく弟の正勝も幼少だったため、一時的に改易された。寛永3年(1626)に、正勝が安房勝山藩主に復帰するが、寛永9年(1629)に死去し、子の重頼が幼少のため、領地を返納し、安房勝山藩は廃藩となった。(なお、重頼は後に高遠藩主として大名に復帰している)
寛文8年(1668)に、若狭小浜藩の藩主酒井忠直が、甥の忠国(忠直の兄で廃嫡された忠朝の子)に対して1万石(安房国内4,500石、越前国内5,500石)を分地し、安房勝山藩が立藩された。その後、5,000石の加増を受けるが3,000石を分地したため、最終的に安房勝山藩1万2,000石となった。
歴代の藩主は大番頭、大坂加番、奏者番などを歴任し、幕末まで9代約200年にわたり、この地を統治した。
【遺構】
勝山城がある八幡山の北東麓に陣屋は築かれ、八幡山を背にして東西北には幅4間(約7.2m)程の堀と土塁に囲まれ、中央に陣屋屋敷、敷地は堀を含めて約4.500坪あった。(説明版より抜粋)
なお、現在は遺構は消滅している(集落内に井戸があるので、もしかすると陣屋で使っていた井戸かも…)
【感想】
勝山城をリアする前にの前菜として訪れました。説明版が新しくできていますが、遺構は上記の井戸くらいしか残っていません。また、周囲には屋敷観音堂や屋敷稲荷など、ここに陣屋があった名残が今も残っています。屋敷稲荷は抜け穴(鍾乳洞)があるようですが、リサーチ不足で訪れていませんでした(笑)
【アクセス】
安房勝山駅から徒歩10分。
勝山城の登城口まで、徒歩2分。
【写真】
①陣屋跡
②説明版
③井戸
④屋敷観音堂
⑤勝山城登城口につながるトンネル