真武根陣屋(まぶねじんや)

真武根陣屋の基本情報

通称・別名

請西陣屋

所在地

千葉県木更津市請西字堰ノ上1062-1他

旧国名

上総国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

林忠旭

築城年

嘉永3年(1850)

主な改修者

主な城主

林氏

廃城年

慶応4年(1868)

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(真武根陣屋遺址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

笹子城(千葉県木更津市)[5.1km]
飯野陣屋(千葉県富津市)[8.1km]
佐貫城(千葉県富津市)[11.4km]
椎津城(千葉県市原市)[15.1km]
真里谷城(千葉県木更津市)[16.2km]

真武根陣屋の口コミ情報

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2017年01月08日]
真武根陣屋こと請西藩陣屋は幕末好きにはおなじみの場所である。

信濃守護である小笠原清宗の子、林光政は足利持氏に仕えたのち、林郷(松本市里山辺)で隠棲していた頃に松平有親・親氏と出会った縁で三河野田に移住して松平家に出仕。
7代当主の吉忠は大坂夏の陣に際し、秀忠麾下の大番頭、高木正次隊に属して明石全登との戦闘で戦死。
この武功もあって三河以来の譜代旗本として連綿と続き、忠英の頃には将軍家斉のもとで若年寄に栄進、上総貝淵藩18,000石の大名となる。

嘉永3年、忠旭が現在地に陣屋を移して上総請西藩となる。
慶応3年、伏見奉行の忠交が急死すると、嫡男の忠弘が若年であることから甥の忠崇が藩主に就任する。

慶応4年、江戸を脱出した人見勝太郎・伊庭八郎ら旧幕府遊撃隊に協力を要請された忠崇は陣屋に火を放ち、一部の藩士とともに遊撃隊に参加。
藩主自らが脱藩したことで請西藩は改易となる。
その後、徳川宗家存続の報に接した忠崇は仙台で新政府軍に降伏。

昭和12年に浅野長勲が没すると、生存する最後の大名と呼ばれ、昭和16年没。

中村彰彦「脱藩大名の戊辰戦争」に詳しい。

まー宮内卿様[2015年05月04日]
霊園の前にあります。駐車場はその霊園のところに停めました。立入禁止区域(ロープが張ってある)を覗き込みましたが何もなかったです。下屋敷として使われた貝塚陣屋跡も住宅地で遺構もないし駐車するところもなかった。

赤いRVR弾正大弼@松本様[2012年02月28日]
城主の林氏は、信州松本から出た一族、伝承では、室町時代に徳川氏の先祖が信府に来た際に、雪の中で捕らえた兎を用いて吸物にしてもてなしたという。その伝説地は、松本市里山辺に「兎田旧跡」として、石碑が建っている。
幕末、林氏は藩主自ら脱藩して徳川幕府のために戦い、明治になって爵位を与えられなかったが、後に朝敵であったことを赦されたという。

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