笹子城(ささごじょう)
笹子城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県木更津市笹子字北裏作409-1他
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 真里谷信興
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 真里谷武田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
真武根陣屋(千葉県木更津市)[5.1km]
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笹子城の口コミ情報
2022年04月25日 RED副将軍三遠オフ初参戦
笹子城
真里谷武田氏が築城し、正木氏による改修と云われる大規模な山城。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
文明年間(1469年〜1487年)に真里谷信興によって築城と伝わります。真里谷城の支城として機能しました。
真里谷武田氏の内紛の舞台であった様で、『群書類従』に収録されている『笹子落草子』によると、1543年頃に笹子城城主の武田信茂は謀反の疑いをかけられ、兄で真里谷城主の武田信隆の命で家臣の鶴見内匠助と後藤兵庫助が笹子城を襲い落城。武田信茂も討死。
信茂を討った鶴見内匠助が城主となるも、不和となった後藤兵庫助が北条氏の力を借りて、再び笹子城を落城させたというもの。但し、信憑性は低いと言われています。その後は正木氏や北条氏の改修があり、現在の規模になったというのが通説です。
見所
墓地となっている二郭には坂虎口が見事に残ります。
多数の堀切、虎口、土塁が認められ、城域もかなりの広さですが、集落化や立入禁止部分も多く、ヤブ化。ポテンシャルは高い城跡です。
2020年12月10日 龍馬備中守【佐竹扇】
大竹城[笹子城 周辺城郭]
千葉県の袖ヶ浦市にある大竹城♪
北関東の西側に多いイメージの台地上に造られた城郭です☆城郭はざっと歩いてみたけど今は遺構はほぼ残ってません✨
宅地開発により多くを消失したのでしょう☆
デモデモ城の事、城主の事は記録として残っています☆
真里谷武田氏の武将であった大竹信光の居城であったと伝わります☆
真里谷城の支城の一つだったのでしょうね☆
里見氏とバチバチヤリ合った、真里谷武田氏☆真里谷新地を中心にいくつも支城をもつ所からカナリ力があった事が判ります♪
2016年04月16日 ひとのもん
笹子城
城跡近辺には集落があり道も狭いので車は笹子区集会所の近辺に停めました。そこから西へ道なりに300mほど歩くと「笹子城跡→」の標柱あります。道なりに登り、続いて竪堀様の路を登っていくと幾つ目かの堀切に出ます。
2016年01月18日 藤井伊賀守
笹子城
堀や堀切が、見られますが、立入禁止の場所もあるので注意。地主さんに許可を得て、入り口を教えてもらいました。