秋元城(あきもとじょう)
秋元城の基本情報
通称・別名
- 小糸城、青鬼(せいき)城
所在地
- 千葉県君津市清和市場字根古屋
旧国名
- 上総国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 秋元義正
築城年
- 永正年間(1504〜1521)
主な改修者
- -
主な城主
- 秋元氏、斎藤正房(北条氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋、櫓台、虎口、切岸、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
千本城(千葉県君津市)[7.3km]
佐貫城(千葉県富津市)[8.5km]
久留里城(千葉県君津市)[9.8km]
真武根陣屋(千葉県木更津市)[13.2km]
飯野陣屋(千葉県富津市)[13.6km]
笹子城(千葉県木更津市)[13.8km]
造海城(千葉県富津市)[14.7km]
真里谷城(千葉県木更津市)[14.9km]
山之城(千葉県鴨川市)[16.3km]
佐是城(千葉県市原市)[20.6km]
秋元城の解説文
秋元城の口コミ情報
2023年12月29日 千葉相模守早雲
秋元城
駐車場(スポット登録されています)があり、道路脇の案内板の近くに登城口があります。
根小屋や千駄グラの段郭を横目に見ながら登って行くと、高い岩盤を削ったとみられる虎口や堀切が現れ、ここは城の北側の防衛ラインだろうと思われます。
堀切の脇の虎口を抜けると千畳「古城」と呼ばれる広い削平地に出ます。奥には西向三段「御殿」と呼ばれ、土塁が残る郭があり、南側には上から見下ろすと大きな横堀を見る事が出来ます。
千畳から西の尾根へと進むと八幡社のあるⅢ郭。その奥には大きな二つの堀切があります。尾根の南側には岩盤を削った横堀があり、竪堀にも繋がっています。このゾーンが一番の見どころですが、道は細く、ロープ伝いでなければ登り降りが厳しい箇所もあります。
1.虎口。
2.堀切。
3.千畳「古城」。奥に西向三段「御殿」が見える。
4.西向三段「御殿」の土塁。
5.西向三段「御殿」南側の横堀。藪で見えにくい。
6.Ⅲ郭西側の堀切。
7.岩盤を削った横堀。
8.一部は畝堀になっている。
2023年11月29日 RED副将軍
秋元城
国内最恐の垂直に岩盤掘削をした障子堀が特徴的な名城🏯
オススメ度 ★★★★★
永正年間(1504年〜1521年)に秋元義正により築かれたと云われます。
秋元氏は、藤原道兼の系譜で下野国の豪族である宇都宮氏の庶流とされ、宇都宮頼綱の子である宇都宮泰業が秋元庄に入部し秋元氏を称したのが始まりとされます。
戦国時代初期には里見氏には従属しており、北条氏に対する備えとして里見義豊の命により築かれたとされ、1564年には北条氏により落城し、当主の秋元義久は討死したとされます。
その後は北条氏家臣である斎藤正房が城代となりましたが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると廃城となりました。
見所
鹿野山から南に延びる標高約110mの尾根先端部に築かれています。
東麓から登り始めると耕作地が広がり根小屋とされます。北尾根を更に登ると木戸跡とされる切通を経て千畳と呼ばれるかなり広い郭があり東に立派な土塁が残ります。
千畳の南側には一段高い郭があり、西尾根を進めば八幡社が祀られる郭があり主郭とされます。
最大の見所は主郭背後の西尾根であり、まず二条の大堀切で遮断されています。
更に南側下には岩盤を垂直掘削した横堀と竪堀があります。横堀には仕切があり障子堀となっており、落ちれば登ることは出来ません。今まで見た横堀の中でも、最強かつ最恐かつ最凶です。
行き方は、城域東側麓に登城口があり駐車場もあります。比高は約70mほどで大したことはありませんが、岩盤掘削の障子堀までに辿り着くのに足場は悪い上に、落ちれば場所によっては登れないと思いますので十分にご注意ください。
山城好きならここも必須課程とも言うべき素晴らしい城郭です。周辺の千本城、久留里城、造海城などもハイレベルなので併せてご訪城ください。
2023年11月22日 ファン掃部助トム治郎
秋元城
虎口、曲輪など見処あります。房総丘陵特有の岩肌むき出しの箇所多く滑りやすいので注意を。
2023年04月14日 マタローちゃん大宰少弐
秋元城
ナビを頼りに城に近づくと道の東側に専用駐車場があり数台停められるので助かる。通りを挟んで直ぐに案内板があり、その脇に城への入口があるので解りやすい。途中、分かれ道があるがその都度案内があるので迷う事は無いだろう。ただ、道は険しく歩きにくいので注意が必要。山を登ると千畳という場所があるが、これは曲輪の一つらしい。他にも曲輪は幾つもあり、主郭部分はさらに奥にある。しかし、途中まで進むも二日前の雨のせいで滑り安く危険なので、拙者はここで断念した。
2021年03月04日 愛甲太閤【相模の狂人】
峰上城[秋元城 周辺城郭]
随一の名勝である7重堀切へ行くには主郭側から行くのが一番安全でしょう。
大手道を進んで尾崎曲輪方面との分岐点の少し先に、すぐ下の曲輪状に降りる踏み跡を降り、大手道に沿って進むとヤブになります。ヤブの向こうは崖なので右に折れながら進みます。踏み跡は何となく続いているので外さないようにすると、崖の上に刻まれた細い通路状が7重堀切方面に向かって伸びています。高度感が凄い上に掴まる物が無く、先の方が倒木の枝で塞がっているので慎重に通過します。
通過できれば主郭南東の堀切に出るので、あとは崖に沿って起伏のある平場を進めば7重堀切に到達出来ます。
近ごろ登城される方が増えているとの事でしたが、お住いの方がいらっしゃいます。くれぐれも荒らしたり騒いだりせず、往時の面影を静かに噛みしめながら訪問したいものです。
2021年02月12日 昌幸近江守佐竹の城
峰上城[秋元城 周辺城郭]
テーブルマウンテンを彷彿とさせる岩の上にある峰上城。沢山の堀切が造られ、特に7連続堀切は全てが十分な大きさがあり見事。真里谷武田のお家騒動の際、一方がこの峰上城に籠城したのは非常に納得。
ただし一人での攻城は絶対におすすめしません。危険箇所多すぎですので。
【写真の説明】
①7連続堀切の一つ。
②7連続堀切よりもう一つ。
③こちらの郭に木橋を掛けていた思われる。岩の加工跡。
④堀切を下から。ここには扉をつけていたような凹みがある。
⑤加工された跡が見える尾根。山切りカットの歯ブラシを想像した。
⑥こんな垂直岩盤の上にお城がある。
2021年02月12日 国府左京大夫城介
東大和田城[秋元城 周辺城郭]
大規模な堀切がある峰上城の支城
【歴史】
築城年代、築城者ともに不明。
【遺構】
峰上城の北1.5kmにある比高50mほどの山に築かれている。国道465号によって、城が分断され、北側が主城で、南側が出城になっている。
主城は、4つの郭から構築されている。1郭は最も高い場所にあり、高さ4,5m程の切岸に周囲を土塁で囲んでいる。南側は房総名物の岩盤堀切に、北側の3郭間の堀切とかなり堅固である。そして、この城の最大の防御機構と言えるのが、2郭と4郭間の堀切で、ほぼ麓近くまで切通として続いている。加えて、尾根側の高さは6m近くあり、ほほ垂直となっている。
出城には、興源寺の背後にある尾根に堀切があるとのこと。高宕川沿いの道からそれらしきものはあったが、藪などではっきりと確認できなかった。
【感想】
峰上城とは違う方向性で、面白い城でした。
1郭は大事な区画なのか土塁や切岸、堀切、虎口といった戦国期の単郭の基本的な防御機構が施されています。しかし、何より一番面白いのが、2郭と4郭間にある堀切の一言に尽きます。この堀切は、あえて敵をこの堀切に通して、防御しづらい尾根上から攻撃によって殲滅させるための仕掛けとなっています。そのため、他の郭には土塁といった防御設備を整備する必要をなくし、コストカットを図っていたのかもしれません。
ただ惜しむらくは、近年の気象災害による影響である倒木や伐採した竹などで堀切が塞がれて、下まで降りることが出来なくなっています。
【アクセス】
JR内房線の上総湊駅から「上後」または「戸面原ダム」行きに乗り、「環駅」バス停で下車し、国道465号を東に徒歩15分。
【写真】
1:登城口付近(左が主城、右が出城)
2:登城口
3:堀切(麓付近)
4:1郭南の堀切(左が1郭)
5:1郭土塁
6:1郭虎口
7:1郭北の堀切(左が1郭、右が3郭)
8:2郭と4郭の間の堀切
2021年02月11日 国府左京大夫城介
関尻常代城[秋元城 周辺城郭]
峰上城の北西にある支城の一つ
【歴史】
築城年代、築城者、一切不明。
【遺構】
峰上城の北西約1kmにある比高20mのかなり広大な台地自体が城となっている。
台地の南側はほぼ農地となっており、虎口っぽい地形もあるが、遺構なのか不明。東側の高台らしきところが主郭らしいが、果樹園らしき場所を通らないといけないので、そこには入っていない。北側は竹藪になっているが、不自然に盛り上がった土塁らしきものや、東側の崖沿いに明らかに方形の郭があり、それが二段になっている箇所もあった。
【感想】
農地になっていたり、竹藪になっていたりと遺構の保存状況はあまり良くない。とはいえ、竹藪に残っている郭や土塁らしきものから、ここに城があったことは間違いないと思われる。ただ、今回の訪城では北側の竹藪内の東側しか探索していない。西側はあまりにも竹藪が密になっており、入る気が起きなかった。そして、竹藪内の写真は…orz
【アクセス】
JR内房線の上総湊駅から「上後」または「戸面原ダム」行きに乗り、「環駅」バス停で下車し、徒歩3分。
関尻交差点(ファミマが目印)にあるJAきみつの脇の道を上っていく。
【写真】
1:麓からみた関尻常代城
2:主郭がある台地
3:虎口の跡?
4:方形の郭跡
2021年02月10日 愛甲太閤【相模の狂人】
峰上城[秋元城 周辺城郭]
房総らしい広い台地と屹立する岩盤の尾根や斜面…というより壁を巧みに取り入れ、加工して防御力を高めた城、ひとことで言えばそんな城でしょうか。
主要な曲輪の周囲はほとんどが直登不能と思われる垂直の崖、もしくは安息角になった土の急斜面で、フツーの人が縄張図片手に単独で登攀できるような城ではありません。先人の切り拓いた侵入ルートは、南側の急峻な崖と斜面の中で、僅かなホールドスタンスを頼りに渡り歩きながら切岸を登り詰め、ひりつくような垂壁で仕切られた尾崎曲輪南東の堀切を下降し、主要部の高崖を見ながら7連続堀切へ進んでゆくという狂気性の塊のようなもので、地元の方々にも遭難を心配されるほどでした。このルートが制覇できれば、戦国時代に生まれ変わっても攻城のプロフェッショナルとして立派に生計立てて行ける事でしょう。
縄張図では広い台地上の主要部と、周囲の尾根に刻まれた堀切からなる山城の印象ですが、実際の城域はもっとずっと広い可能性があって、一本北側の尾根上には数段の段郭状があり、水溜めのような穴が複数穿たれています。これが城郭遺構であるとするならば、推定されるよりはるかに大規模な、一帯の台地と尾根を取り込んで長大な防衛ラインを構築した、庁南城や万喜城にも類似した巨大城郭の可能性もあり、今後の調査が期待されるところでしょう。
岩盤尾根をゴッソリ削ぎ落とした巨大堀切などを見て、今の房総から想像するよりもはるかに大きな勢力と、高度な技術を持った職能集団の存在を妄想してしまいました。房総には城郭だけでなく、岩盤を掘削した江戸〜明治時代の土木遺構が無数に残っており、これらとの関連も興味深いところでしょうか。
あまりの狂気性に圧倒されて写真ほとんど撮っていなかった…🤣
2021年02月08日 国府左京大夫城介
峰上城[秋元城 周辺城郭]
峰上城の公共交通機関でリア攻めについて
JR内房線の上総湊駅から「上後」または「戸面原ダム」行きに乗り、「上後」バス停で下車し、徒歩10分程で登城口に着きます。運賃は400円(現金のみ)となります。
ただし、1日7便しかないうえ、午前中の便は8時台で終了です(-_-;)
なので、峰上城を公共交通機関でリア攻めする場合は、日東交通のHPで時刻表を確認しておいてください。
リア攻め終了後、バスの時間までの時間つぶしをするのであれば、上後バス停から徒歩10分ほどの所にある「酒匠の館」で、大吟醸酒入りのソフトクリームを食べたり、お土産を買うことができます。
一応、上総湊駅まで歩く場合であれば、60~75分程度かかります。歩道がない場所が多いので、歩く際には車に注意してください。
2020年12月20日 RED副将軍
峰上城[秋元城 周辺城郭]
オススメ度 ★★★★★
先の口コミをしておられる城友様(廻国異常者)ゲキ推しの山城として素晴らしいアテンドのもと登城して参りました。
築城は真里谷武田氏で里見氏の改修があったとも言われています。
感想を一言で表すと「狂気性を感じるドSな山城」です。
まず、登城路は標高は低く比高は約60mほどですが断崖絶壁に囲まれた痩せ尾根上にあるうえに、台風の爪痕が激しく、登りは急斜面を木の根等を掴まりながら直登し、降りは本来の登城路であろうルートを倒木、崩落跡を乗り越えて下山しました。
滑落の危険性、岩壁の鋭さと滑り易い土質のSっ気にヒリヒリしながら、苦しみを快楽に転換する異常性癖で…失礼、忍耐と精神力で進んで行きます。城友様は真里谷嬢、里見嬢に調教済なのか恍惚の表情でサクサクと登って行かれます。流石でございます。
やがて細尾根となり、名物の七ツ堀切が始まります。岩盤が10m以上掘削され、垂直削崖を見ればその凶暴性と狂気性に圧倒されます。あんなの登れる訳ありません。それを7つ連続。ハッキリ言ってやり過ぎです。
城域に土ではなく、岩盤の20以上もの堀切、大規模な横堀、竪堀の譜勢を命じた城主に対しても狂気性を感じます。
日本各地で様々な城郭を見て参りましたが、断崖岩壁を豪快に掘削した房総の山城はまた独特で野性的な魅力を感じました。
興味ある方は是非訪城を。但しグローブ、登山用シューズの着用は必須。一定の登山経験は必要と考えます。
2020年12月14日 龍馬太閤【備中の麒麟】
峰上城[秋元城 周辺城郭]
千葉県の富津市の峰上城⭐︎憧れの岩盤7連続堀切を本城の背後に構える⭐︎今回の登城で3度目(2ヶ月で通い詰めたw)1度目、2度目と岩盤7連続堀切を拝む事無く涙の撤退。。今回の3度目の正直で撃破⭐︎7連続堀切の場所は把握出来ているのに行けない…⭐︎見えてるが下れない⭐︎難攻不落w千葉県は台風の影響で倒木、崩れで城の整備が追いついていない…後は岩盤が鋭すぎて環神社の背後から下ろう何度も試みるも落ちたら18m急の垂直落下wと言う事でルート念密に考え攻める⭐︎当日は秘密兵人である下野国の城友さん城界の藤岡弘に援軍要請♪朝も早くから峰上城に来てくれました♪(下道駆4時間で駆け付けてくれたw😂)念密に考えたルート伝えて…嗅覚の鋭い城友様と登城ルートが一致⭐︎と言う訳で尾崎郭の下から出てくるルートでgo⭐︎剥き出しの岩盤が山上で睨みを効かせるw高所恐怖症の為怖いwが…見たい物がある時の人間の底力は凄いw背面へ振り向かずに木の根、土が堆積した場所を便りに登る⭐︎尾崎郭下の郭に出る⭐︎一面に広がった岩盤堀切は萌えw尾崎郭を横目に見ながら堀切、横堀を堪能🥳やっと来た主郭の下⭐︎岩盤堀切の1条目⭐︎その後順調に、2条目…と攻略し全部で7条⭐︎見れた🥳一連の流れはさて置きw峰上城は真里谷・武田信長の弟の信武が築城♪その後は真里谷武田氏の内部紛争発生⭐︎真里谷城追われた武田信隆が居城として在城⭐︎後には里見氏に攻められ里見方の城へ⭐︎里見氏と対峙した北条氏から尾崎郭の吉原玄蕃助ら22人衆にあてた反里見活動を奨励している古文書が残る✨これは北条氏は里見氏に対する反対行動をとる吉原氏らに兵糧米などの援助を送る約束をしている事が記されていてこの時期、峰上城は北条氏の上総における拠点の1つとなっていた様⭐︎その後は結局この地域も里見氏が掌握し吉原氏らは峰上城から退去⭐︎吉原氏らの退却後この地域は正木氏の支配領域に✨最終的には造海城の支城かな⭐︎結局、岩盤7連続堀切とその他の堀切12条の堀切を見る事が出来た⭐︎しかしその後に城友様より正式な峰上城の縄張り図が送られてきてビックリ❗️実はここはまだ後13条の堀切がある様でw結果的に全部で25条w近々、第4度目の峰上城に入城を誓うw次は2月7日に『堀切25本全て見るまで帰りま10👀🏯』峰神の陣でお会いしましょうw気になる方は伝言くださいw一緒に参りましょうw
2020年12月04日 龍馬太閤【備中の麒麟】
狐山砦[秋元城 周辺城郭]
千葉県の君津市にある狐山砦♪
比高は10mも無いけど藪が濃ゆかったw
郭へ行くポイントを狙うも隙間が無いw
小笹は前に攻め過ぎて身動き出来なくなった事があるので😅無理な攻めはせずに周辺を散策しました☆怪しいポイントをいくつか発見しました♪
このエリアには1km毎に城が築かれてて常代城、星谷城、周東城が、東西に一直線に並んでます☆里見氏の久留里城を守る城塞群だと思われます☆
2020年12月03日 龍馬太閤【備中の麒麟】
常代城[秋元城 周辺城郭]
千葉県の君津市にある常代城♪常代神社の背後に主要部分は聳えます♪また花厳院館も城域です♪
行ってみたらすぐ解ります♪
歴史に付いては詳細一切不明となります☆
地元豪族の居館として利用していたのか☆
ハタマタ里見氏の勢力化の中で支配され改修されていった城なのか詳細は判りません☆
城としては常代神社の西側の台地上に主郭を持ちます☆主郭の南側には見事な高さの土塁を築き一面を覆います☆主郭北側には副郭があり段差を付けながら郭を展開☆更に副郭西側には一段低い三郭を配置☆高低差を付けます☆冒頭に何故、里見氏の改修が入ったか☆を説明するとこの主要部分と常代神社の間には大堀切が在ります☆それは豪族では中々造りきれない位に巨大なモノで里見氏の改修が入った☆と思いました♪
素晴らしい城でした☆
主要部分は現在、私有地になってまして当日いらっしゃったお婆ちゃんにお願いしたら快く見て行ってね☆と頂きました☆
見学の際は一声おかけ下さい♪
情報として入れておきます☆お婆ちゃん見せてくれてありがとう☆
2020年01月05日 武蔵守黒鍬
秋元城
グーグルマップにある登城口の向かいに 駐車場あり
城内は昨年の台風の被害か 倒木が多数あってかなり荒れてます
2019年05月11日 田部朝臣土持安房守
秋元城
縄張図にて池跡となっている地点。谷になっており現在は湿地。正直、図と異なり道といって良い物なく、ずっぽし嵌まります。
2019年04月14日 雑賀
秋元城
土地柄、里見と北条に翻弄された秋元城。平成最後の城めぐり登録、よくぞ加えてくださいました!
自然の地形を活かしながら、里見らしさ満載の遺構が残る素晴らしい城址です。
ところどころロープを掴みながら歩くかなりの勾配の登城路には、幾つもの虎口が現れます。10分も進むと城内主要部の千畳と呼ばれる郭があり、そこから広い郭が二段三段と階郭式の3段削平になっており秋元城の大きな特徴のひとつです。
そんな広々とした郭から土橋を渡りさらに奥へ進むと、自然の地形を取り込みながらの堀切や切岸、むき出しの岩盤に圧倒されます。
隣りの鹿野山へ続く尾根の大堀切や西側垂直削崖下にある横堀など見どころ満載です。
滑りやすい泥状の箇所や木やロープを伝う道もあり、装備には注意が必要です。
登城口の向かい側に専用の駐車場があるのは嬉しいのですがトイレはありません。
たくさんのめぐらーさんに訪れてほしい城址です。
遺構
鹿野山の東の麓、標高約100mの丘陵に位置する。東方に小糸川が蛇行して流れている。城域は東西550m、南北400mに及び、千畳敷と呼ばれる広い曲輪を中心に西の尾根、北東の尾根にも複数の曲輪が造成されている。
また、曲輪の周囲には切岸や土塁、竪堀などが随所に見られるほか、尾根筋を遮断する堀切など、多くの山城遺構を残す。
歴史
永正年間(1504~1521)に、里見義豊が臣下の秋元義正に命じて築かせたという。秋元城のあった上総国周東(すとう)郡秋元庄は鎌倉時代から秋元氏が領有していたが、永禄7年(1564)の国府台の戦いで里見氏が北条氏に敗れると、秋元城は北条氏の攻勢を受け落城、義正の子・義久は戦死したといわれる。
その後、北条氏が城代を置いたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの後に廃城となった。
交通
・JR久留里線上総松丘駅から車で約20分参考文献
・『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。・秋元城跡現地説明板。
・君津市公式サイト(https://www.city.kimitsu.lg.jp/site/kanko/)。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。