富津台場
富津台場([飯野陣屋 周辺城郭])
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富津台場の口コミ情報
2021年08月02日 国府左京大夫城介
江戸幕府が造り、明治政府が改築した台場
【歴史】
文政4年(1821)に、江戸湾の警備体制が変更され、安房の洲崎台場(現・館山市)が廃止され、富津に移された。翌文政5年に、白河藩が富津台場を築いた。安政5年(1858)に日米修好通商条約が締結されると、房総の各台場は徐々に廃止されていったが、富津台場は幕末まで残っていた。
明治14年(1881)に、明治政府によって3年の歳月をかけて改築した。大正4年(1915)に除籍となり、大正11年(1921)から昭和20年(1945)の間は、旧陸軍技術本部の実射試験場・富津射場と運用された。正式名称:富津元洲堡塁砲台
【遺構】
富津公園の「中の島」が台場跡になる。100×250ほどの台形状となっており、周囲を幅20~40mの水堀で囲んでいる。この水堀は海水を引き込んでいる。北側に近代式の石垣による虎口があり、南側の高台に5つの窪地があり、そこが砲台の跡となっている。高台の東側にコンクリートで固めれた区画があり、その下には煉瓦で組まれた弾薬庫が残っている。
また、富津岬自体が軍用地であったため、富津公園内には、監的塀、射入窖やトーチカも残っている。
【感想】
現在残っているのは江戸幕府の遺構ではなく、明治以降の戦争遺構となっています。台場の状態は、品川台場と同じような状態でした。しかし、富津公園内に点在するトーチカ等の遺構は半分くらい藪に埋まったり、道が分かりにくい状態になっているのは残念です。それでも、このような戦争遺構を間近で見える遺構はそうそうないです。
さて、江戸後期に房総地方には多くの台場が築かれていますが、その幾つかは松平定信の白河藩が築き、駐屯していたとのことです。しかも、老中時代に江戸湾海防の提言をした本人ということで、お鉢が回ってくるのは少し酷い気がします。そのため、白河藩の財政は急激に逼迫したようで、子の定永の代に三方領替え(白河→桑名→忍→白河)で桑名へ転封しています。その後、忍・会津・柳川・二本松・前橋の藩が駐屯していたようです。
【アクセス】
木更津駅若しくは青堀駅から、「富津公園」行きのバスに乗り、終点で下車し、徒歩2分。
富津公園の駐車場(無料)は利用可能。
【写真】
1:説明版
2:北側の水堀
3:虎口
4:弾薬庫
5:第一海堡
6:竹ヶ岡台場(造海城)
7:砲台跡
8:トーチカ