池和田城
池和田城([佐是城 周辺城郭])
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池和田城の口コミ情報
2020年11月24日 国府左京大夫城介
里見氏家臣・多賀氏が守るも、内応者によって落城した悲劇の城
【歴史】
鎌倉時代に和田太郎正治が築城したと伝わる。室町時代中期には、真里谷武田氏や里見氏の支城となり、最終的には里見氏の家臣・多賀氏の居城となった。
永禄7年(1564)、第二次国府台合戦後に、北条氏政が池和田城に襲来した。多賀氏の奮戦や池和田城が堅固であったため、北条方は中々攻め落とせなかったが、城内に内応者が現れ、放火されたため、遂に落城した。その際に、多くの里見方は自刃したと伝わります。
その後、北条方の城として、運用されていたが、小田原合戦の際に豊臣方に攻められ、落城し、そのまま廃城となった。
【遺構】
国道297号線の北にある小山が池和田城となり、南側は平蔵川、西側は沼(現在は田園)に囲まれた要害の地にある。
天神社がある部分が1郭、その北にある段曲輪が2郭、1郭の西側麓にある3郭となっている。
1郭への登城道の途中には、井戸があり、今も湧き出ており、その結果登城道はかなり泥濘となっている。
2郭は段曲輪構造となっており、その西端には岸壁を削った櫓台があり、祠が祭られている。
3郭へ行く道の藪が激しいため、確認はできなかった。
先ほどの櫓台の南西側の尾根上に深さ5m以上の空堀が掘られており、西側の防御をより厚くしていることが伺える。
【感想】
1郭と、2郭・3郭が物理的に隔絶している状態になっており、現状直接行き来するのは難しい。池和田城の入口からだと、1郭だけしか見れないため、小さい城と錯覚するが、2郭や西尾根上の空堀等から、かなり防御力が高い城であることがわかる。そのため、北条氏政が攻めあぐねたことを実感することができます。
2郭や西尾根を先に進んでいくと、民家の裏側に出てしまうので、探索する際には注意が必要です。
また、櫓台を登るには、虎ロープが張られているので、それを利用して登らないといけないので、軍手は必須となります。
【アクセス】
小湊鉄道の上総鶴舞駅より、徒歩で15分程。
【写真】
1:1郭の登城道の途中にある井戸
2:1郭にある天神社
3:1郭の先端部(藪で全く見えないが、対面に櫓台がある)
4:櫓台の登り口
5:櫓台にある祠
6:西尾根へ行く途中にある枡形構造
7:西尾根上にある空堀