蔵波城
蔵波城([椎津城 周辺城郭])
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蔵波城の口コミ情報
2022年04月20日 ️_
遺構はありませんが、住みたくなる駅近&海近物件です😚開発👷♂️により城跡の殆どが削られていますが、全てが消え去った訳ではありません😌
残った台地に立てば、かつて城域だった駅やイ◯ンを俯瞰して萌えることができますし、真新しい✨解説板の鳥瞰図を見て北条🆚里見の海戦に思いを馳せることもできると思います🙄「暗いと不平を言うよりも自ら進んで灯りを灯しなさい」ですね☺️
〜以下、解説板より〜
蔵波城は、築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、近接する久保田城とともに、椎津城の支城だったともいわれていて、後に里見氏の城として、対北条氏の 前線基地の役割を持っていたと考えられます
蔵波城は、椎津から木更津に通じる海岸沿いの街道を押え、さらに北側には長南、真里谷に通じるルートが存在する重要な地でした
そのため、蔵波周辺は、上総武田氏、千葉氏、小田原北条氏、里見氏の抗争の舞台となりました 東京湾に面した丘陵に築かれ、周囲には「殿畑」、「宿畑」といった地名が残ってい ます
開発により城跡のほとんどが崩され、現在は、厳波八幡神社が建つ丘陵部分 (現在の蔵波小鳥の森)を残すのみですが、かつてはここから北に向かって、城域が展開していました
蔵波城の西側は、海が迫り、南側には防御の役目を担っていたと思われる蔵波川が流れていることからも、蔵波城が築かれた丘陵が要害の地であったことが見て取れます
蔵波周辺には、14世紀からの中世集団基地が発見された神田遺跡をはじめ、五輪塔等の中世石塔物が多く残り、湊町として早くから栄えていたことがわかります
そのため、対岸の海賊から略奪にあうこともあり、武蔵国坂本村(現横浜市) の寺に「もと上総国望陀郡蔵波村八幡社の鐘」があったという伝えもあります
蔵波城は、早くからの里見氏の経済拠点である蔵波湊の守護としても重要な場所でした
蔵波城から北東約2kmの距離にある久保田城は、天正14年(1586年)頃に は北条氏が支配し、整備を繰り返していたことが資料にあり、非常に近い位置で 里見氏と北条氏が対峙していたことがわかります
船戦の戦況を報告する書状も残っていて、蔵波城の前面の海で里見方と北条方船戦を繰り広げ、北条方が勝利したことがわかっています。
まさに蔵波城は、戦国時代の江戸湾攻防の歴史を物語る城といえます